コート・イン・ジ・アクト6 クラップ・ゲーム・フェノミナン
01
青い空に白い半月。そういうものだ。満月ならば夕陽が西に沈む頃、東の空に姿を現す。でなけりゃ丸く見えないので、昼に月が見えたならそれは欠けてるに決まっていた。
相模湾の青い水が空の下に広がっている。ヘリの窓から眺めておれは、月が高くにあるのなら今は引き潮なのだろうなと思った。潮は月が水平線の先にあるとき大きく満ちて、空へ高く昇るにつれて引いていく。
そういうものだ。もっとも、今日は干満にたいして差はないはずだが。
波の下の生き物達は、満月の夜を待ってるのだろう。そのとき潮はより大きく満ち引いて、海は産卵に沸くという。
「なあ零子」おれは相棒の林零子(はやしれいこ)に言った。「新月と満月は、人の子供も多く生まれるって本当なのか?」
「さあ。嘘でもないんじゃない?」
「ふうん。なら、今日はちょっとはマシなのかな」
陸の方を見下ろして言った。見たくなかった。こんなのはかつて一度も見たことはない。
おれはこういう商売だから、事件現場に警察車両がパトランプを光らせて四方八方から寄せ集まるのをヘリの窓からしょっちゅう見てる。だが今に見るこいつはケタ違いだった。チカチカする赤い光の数は百を超え二百を超えて、三百すら超えていきそうな勢いだ。
狂ったように応援が呼ばれ、神奈川じゅうのサツカン(警察官)がかき寄せられる状況にある。幹線道路はこちらへ向かう赤い瞬(またた)きの行列で蟻の観察をするかのようだ。それは見渡す限り遠く果てまで続いている。
空もまた、ヘリで埋め尽くされていた。秋の野を舞うトンボのように機械の羽虫が飛び交っている。
《POLICE》の文字を横に描いた警察のヘリばかりじゃなかった。空を行き交うハエのような点の中には、マスコミのヘリも相当混じっているに違いない。
『イザ鎌倉』――昔の掛け声に応ずるように、今、幾千の者どもが古い都(みやこ)に押し寄せつつある。ヘリの窓から見下ろす街は確かに美しかった。
鎌倉は山に囲まれて苔むすような緑に斑(まだら)づいている。青錆びた無数の屋根がその迷彩に隠れて見える。
古都か。今は訪れた人々も、異様な事態に観光を忘れているところかもしれない。街はパトカーと救急車が鳴らすサイレンに包まれているはずだから。
〈古都鎌倉で爆弾事件発生〉――既にテレビの画面には、速報が流されているところだろう。しかし、爆弾騒ぎなど決して珍しいものではない。これだけの人員が投入される理由は、別にゲンジョウ(現場)が観光地だからというわけではなかった。
爆弾が仕掛けられた建物だ。それは貴重な文化遺産でもなんでもない。日本じゅうどこにでもある病院のどこにでもある産科病棟。
赤ん坊が生まれる場所だ。今日、これから二時間後、そこで爆弾によるものとみられる大きな爆発があり、幾人かの新生児と大人が死亡。そしておそらくケガ人が――赤ん坊の母親や家族や友人らの他に、その幼い兄や姉、医師や看護士、そしてもちろん、胎児をまだ腹に宿した妊婦まで――多数出ることになるだろうとの予知が出された。殺人予知の感知範囲――この場合は鎌倉市から半径30キロ圏内――にいたすべての能力者の報告であり、誤感応の可能性はまずないものと考えられた。
〈産婦人科病棟での大量死〉。神奈川県警察本部のお偉方が椅子から飛んで天井に頭をぶつける事態があるとするならば、これを置いたら後はもう横浜にまた黒船がやってくるくらいしかないだろう。
たちまち号令が発せられた。人はいくら使ってもいい。すぐ市民を避難させ、その爆弾を始末しろ!
通常ならば二時間という時間があれば、それは必ずしも難しくはない。人手も多くは必要としない。だが今回は話が違った。
《生まれたばかりの赤ん坊を何十人もどう安全に避難させるんだ!》
《健康上の問題はないのか! 風邪でも引かれたらどうする!》
《保護してちゃんと親に返せるんだろうな! 後で取り違えなんてことになったら――》
おれが持つ警察用携帯電話の液晶パネルに文字が流れ映される。ゲンジョウに踏み込んだ警官達の通信が、文章化され逐一記録されるとともに、応援に駆けつける者達への情報として送られているのだ。
それをこのケータイでもって読める仕組みとなっている。おれだけでなく、神奈川にいるすべての警察官が、現地の声を文字として眼で追っている状況にあるのだ。
《いま現在施術中の手術があります! 中断はさせられません!》
《絶対安静の患者が数名在院! 動かすと命に係わります!》
《救急で搬送された重傷者あり! 「処置を誤ると危険」とのこと!》
《危篤状態の患者数名! 家族が避難を拒んでいます!》
悲鳴のような報告が次から次に映し出される。事は産科病棟だけの問題ではないようだった。
病院内にいるすべての人間を避難させることは適わず、動くことのできない患者、逃げるわけにはいかない医師や看護士に、それを置いての避難を拒否する者が大勢いるらしい。場所が病院であるために中で無線の類が使えず、それらの報告をするのにも有線電話を探さなければならない。それが余計な苦労となっているようでもあった。
そしてやっぱり、こういうところに必ずいるのが厄介な人達。
《報告します! なんらかのカルト団員とみられる者数名、病室に閉じ籠って避難を拒絶しています! 「予知など当たるわけがなく、爆発も起きるわけがないのだから、逃げる必要はない」と主張! 「予知システムを廃止しろ」と叫んでいます!》
《我々を騙そうとしても無駄だーっ! すべての予知は冤罪であーる! システムを廃止さえすれば、このような事はそもそも起きなーい! だから予知などは廃止しろーっ!》
《あんた達、バカじゃないの? 予知なんてね、当たらないのよ。当たらないの! 今まで全部外れているの。なのに信じているなんてバーカとしか思えなーい!》
「あらあら。こんなのまで拾って文字にしちゃってる」
と佐久間(さくま)ひとみさんが言った。
「まあな」と木村満(きむらみつる)班長。「『予知がなけりゃあこのテロもない』っていうのは間違いでもないだろうが」
「やっぱり〈前提〉だと思う?」
「だろ。予知で未然に防がれるのが前提でなきゃ、産婦人科に爆弾なんて――」
「愉快テロ」
佐久間さんは窓から下を見て言った。
「けど、これはいくらなんでも――」
おれも下を覗き見た。病院からゾロゾロと人が吐き出されてくるが、中には杖をついてる者や、車椅子に乗った者、包帯でグルグル巻きになっているのや、〈点滴ポール〉とでも言うのか、薬液の袋を上から吊ったキャスター台を手で押して、それとチューブで繋がっている者までいる。
介護なしには歩けもしない老人や、なんとか動かすことはできるがストレッチャーで運び出さねばならない患者――そうした人々の扱いにゲンジョウに入った者らが苦慮しているのが、ケータイの液パネだけでなく実際に眼で見る光景に現れていた。
作品名:コート・イン・ジ・アクト6 クラップ・ゲーム・フェノミナン 作家名:島田信之