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コート・イン・ジ・アクト6 クラップ・ゲーム・フェノミナン

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『ですからわたしは以前から、「予知システムは抜本的な見直しが必要だ」と言ってたんです』

と、その女はテレビ画面の中で言った。一夜明けても当然のように、ニュースは鎌倉のテロの話題一色だ。

『産科病棟に爆弾』というだけでも大事件なのに、場所が古都鎌倉で、実際に家が一軒吹き飛ばされ、おまけに日本で初めての中絶手術反対テロときたのでは、もうこれ以上は相模湾に火を吐く巨大怪獣でも出ないとトップは奪えまい。

今、画面でインタビューに応えているのは、葉山在住の女流作家ということだった。談話の収録は彼女の自宅。

葉山は三浦半島の、鎌倉を湾の向こうに臨む町だ。作家はその高台か高層マンションにでも住んでるらしく、窓に鎌倉の海岸と古都の街並が見えている。そして〈鎌倉アルプス〉と呼ばれる緑の山並も。

朝のうちに撮ったのだろう。江ノ島や稲村ヶ崎の岬の彼方に富士の山が霞んで見えた。

作家は言う。

『予知システムが実施されれば、故殺は限りなくゼロに近くなり、犯罪自体がそれまでの10パーセント以下にまで減少すると言われました。しかし現実はどうですか。故殺も犯罪も減るどころか、新しい犯罪が増える始末。それでもシステムは完璧で、なんの欠陥もないという。バカ言っちゃあいけませんよ。これほど問題の多いものをどうして放っておくんですか。でもシステムは廃止できないと言うんですね。わたしはその理屈って、ちょっとおかしいと思うんですけど。「マイノリティ・リポート」って、昔の映画があるわけです。なるほど言われて見てみると、バカな映画ではあるんですよ。能力者は世界に三人。いるのはひとつの国だけで、その三人はみんな孤児。うちふたりは双子でしょっちゅう同じ誤報を出すけれど、でも三人で多数決――予知が廃止できるとしたら条件がここまで変なときだけで、他の999の場合は絶対できないじゃんかよ、と。あの映画はよく見るとそれを証明しちゃってんじゃん、と。なるほど、言われりゃそうなんですよ。現実にはシステムをシステムとして成立さすには日本ならば最低五百――ひとつの県に十人ですか――は殺人予知者が必要で、みんな家族も友人もあるから強制移送なんてできない。そして日本に五百人なら世界に五万、現在ではその倍ほどいるわけで、軍事的な問題が出るため廃止は到底不能となる、と――ふうん、よく出来た言い分ですわね。でもどうなんでしょうねえ。ホントに廃止は不能なのか。もっともらしい理屈にみんな騙されてるだけじゃないのか。ひとつジックリ見直してみる必要があると思えませんか? 映画一本間違ってるから予知は必ず廃止できないってことにはならないんじゃないですか? わたしは決してあの映画は大筋のところでは間違っていないと思います。少なくともあれを撮ったときの監督と主演スターの考え方は完全に正しい。今になって「自分達は愚かだった」などとなぜ言い出したのかまるで理解できないんですが……ああそれから、よくいますよね、〈クラップ・ゲーム現象〉だとか〈フェノミナン〉だとか言う人が。わたしはあれを信じるのは、ちょっと頭の足りない人だと思います。ああした話にごまかされてシステムを無批判に受け入れてしまう人がいるから、昨日のテロも起きたんじゃあないでしょうか。予知システムをちゃんと見直してさえいれば、廃止できたし犯罪もきっとなくなっているはずですよ』

――と、そこで画面がスタジオに戻る。

『小説家の野部由紀(やべゆき)先生に、昨日の事件について語っていただきました。野部先生は文芸作で多くの文学賞を受賞の他、二十万部発行のベストセラー「トム・クルーズとスピルバーグは絶対正しい」など、ノンフィクションの分野でも高い評価を受けておられます』

と男のキャスターが言うのに続いて、横の女子アナウンサーが、

『さて犯行声明後、爆弾犯の要求について視聴者の皆様からメールが多数寄せられております。いくつかご紹介しましょう。まず岡山県の女性から、「中絶は良くないことだが法律で禁止すべきでない。私は私の体では出産は危険が大きいと医師に告げられて子を堕ろしました。〈絶対禁止〉と言うからには、その場合も禁じるのか」。続いて青森県の男性から、「中絶は天に授かった子を人の勝手で殺す手術。予知は何もしてない人に罪を着せる冤罪システム。共に決して許されません。私はこの爆弾犯を応援します」。また、こんな意見もありますね、「中絶も予知も間違ってるが暴力で要求するのはいけないと思う。正しいことは正しいやり方で主張すべき」。新潟県の女性からです――』

『ではここで、中絶の問題に詳しい専門家の方に話を伺ってみましょう』

と、男子キャスターが、隣に座る学者を紹介して言った。

『先生はこの事件をどうお考えになりますか』

それに応えて学者は言う。

『はい。これまで日本では、あまり中絶の是非についての論議がされてきませんでした。一方で世界には法で禁じている国や、戒律で禁じる宗教が多く存在するわけです。しかし、本来妊娠とは母体に危険を強いるもので、医学が発達する以前には低いと言えない確率で出産により妊婦が死亡していました。なのに社会は気に留めず、女性に子供を産ませ続けてきたわけですね』

『はあ……あらためて聞くと恐ろしい話ですね。ですがそれはある意味当然と言いますか、止むを得ないことであるように思えますが』

『ええもちろん。ですが、「この体で子を産むのは危険」とわかっているような女性にまで妊娠を強要し、分娩に際し母体を取るか子供を取るかの選択で子供の命が優先されてきた、という歴史的事実があるわけです。この日本でもそれは変わらず、昭和の半ば頃までずっとそうでした』

『現代ではその場合、まずほとんど母親の身が第一になるはずですね』

『日本ではそうです。世界も多くがそう変わりつつあります。ですが中絶を禁止する国や宗教の場合には、この二十一世紀半ばの今でもこれが逆なわけです』

『は? と言うと?』

『つまり〈中絶禁止〉は元々、子供を産めば死ぬとわかっている女性にまで子を産ませるための法だったわけです。未だに世界のあちこちで、宗教や民族をめぐる紛争が続いていますね。それらの地域では子供の生まれる数が減れば、たちまち敵の勢力が強くなってしまいます。ために女を犠牲にしてでも、子を産ませようとする。キリスト教などは〈愛の宗教〉を名乗っていますが実態は百年前まで『女はそもそも人ではない』と教えてきた宗教です。教義上では牛や馬とまったく同じ扱いで、イスラムや他の異教徒を殺す兵士を産ます道具とされてきた。ために女は金串などを自分で腹に差し込んで胎児を殺し、周囲には「流産だった」と告げるようになりました。中にはそれに失敗して死ぬ妊婦もいたのです。すると教会は締め付けを強め、女を拷問や火炙りにかけて他への見せしめにする――これが昔の話でなく、まだ続いているんですね。海外では、自分で子を堕ろそうとして死ぬはずだった女性が予知され、日本の殺人課急襲隊にあたる部隊に捕縛されるケースが日々起きている』