アレルギーと依存症と抗体と
すると思いつくのは、
――相手に悟られないように、妄想したことを思い出さないようにすることだ――
という思いが意識となって働くことで覚えていないのだろう。
何しろ頭の中には、誰もが妄想することができるのだから、自分と同じような妄想をしている人がいないとも限らないという思いがあったからだ、
そんなあすながその頃に何を考えていたのか、今では思い出すことができる。ある時を境に思い出すことができたのだが、それがあすなが高校に入学してから少ししてのことだった。
その頃から、少しだけ、
――おや? 昨日までとは少し違う――
と感じるようになっていた。
微妙に違っているのだが、前ならこんなことに気づかなかったはずなのに、不思議だった。
しかも、感じたのは一日だけではなかった。ある日、というのを境に、気が付けば一週間が経ち、一か月が経っていた。それでも、毎日の微妙な変化を感じない日はなかった。
気が付けば、感じなくなっていた。それを感じたのは半年ほど経ってからだったが、半年経ったその前の日までは感じていたというわけではない。その日からだいぶ前のことで、どうしてそんなに長い間気づかなかったのか、自分でも不思議だった。
その半年ほどが経ったその日、何かが起こるという意識があったのは、本当だった。
――私の予感って、意外と当たるのよねーー
と思っていると、その日、学校で初めて男子から告白されたのだ。
「井上さん。誰かお付き合いしている人、いますか?」
「いませんけど」
「じゃあ、僕とお付き合いしてください」
学校では大人しく、目立たない男子だと思っていた男の子からの告白に、
――せっかく告白されたのに、相手がこの子というのもね――
という複雑な気持ちだった。
しかし、男子から告白されて嬉しくない女の子なんていないだろう。気分的には鼻高々の状態で、その日を境に、自分が大人になったという意識が芽生えたのだ。
そう思うと、半年前からの毎日自分の身に起こっていた微妙な変化というのは、
――大人になる階段――
だったのではないかと感じていた。
「大人の階段上る♪」
という曲もあったではないか。
今では懐メロに匹敵するほど古い曲だが、考えてみれば、古い曲ほど今聴けば、胸に響くものもないのかも知れない。
あすなは、その告白してきた男子に対して、
「気持ちはありがたいんだけど、今すぐお返事というわけにはいかないので、少し考えさせて」
と無難に答えた。
あすなでなくとも、誰でもが答える内容なのだろうが、そう答える人は、考え方が様々ではないだろうか。
最初から、自分の好きなタイプではないと思ったところで、本当なら断りたいけど、すぐに断ってしまったのでは、相手に悪いと思ってしまう女の子。あるいは、
「付き合ってもいいんだけどな」
という中途半端な気持ちのまま、答えることを躊躇っている女の子。
逆に好きなんだけど。すぐに返事をしてしまうよりも、焦らすことでさらに相手を自分に引き付けておこうという打算的な考えの女の子。
あすなの場合は、何も考えられず、とりあえず返事を保留にしただけだった。本来の意味での返事の仕方の正当な理由ではないかと時間が経ってからもそう感じたあすなだった。
しかし、返事を先延ばしにしたことで、今度は自分が悩むことになってしまうとは、まったく想像もしていなかった。
最初は、
「彼のような人と付き合うなんてまっぴらだわ」
という思いが強かったはずなのに、少ししてから、
「せっかく告白してくれたんだから、お付き合いしてみるのもいいかも知れない。結婚じゃないんだから、付き合ってみて相性が合わないと思ったら、さっさと別れてしまえばいいのよ」
と思うようになり、次第に、彼のことを考えている自分がいじらしく感じられるようになった。
そんな自分を客観的に見ると、
「本当は彼のことが好きなんじゃないの?」
という心の声が聞こえてきた。
すると、断ることは自分の意志に逆らうことになるのではないかと思えてきて、
「早くお返事をしないと」
というプレッシャーとが頭の中で交錯し、結局はお断りすることになった。
その心は、
「どうして私が、プレッシャーを感じなければいけないの?」
と思った瞬間、相手が誰であれ、断ることがいきなり自分の結論になってしまったのだ。だが、告白されたのは事実であり、少なからずときめきを感じたのもウソではない。そう思うと、答えを出すまでの間、自分の中で毎日のように一つの目的のための妄想が繰り広げられていたことを示していた。
もし、初恋という概念が、妄想の世界を含めることを許されるのであれば、最初はその告白してくれた彼であることに違いなかったのだ。
妄想はそれからも激しくなった。
半年前までは、妄想の内容を覚えていなかったが、今では、妄想してから次の妄想までは、忘れることは決してなくなった。妄想の周期が長ければ、それだけ印象深く妄想を覚えているということになるのである。
あすなは、その頃から、自分に男性に対して必要以上の憧れを持っていることに気が付いていた。
それは理想が高いという意味ではなく、相手が誰であれ、どれだけ自分に尽くしてくれるかという意識が強くなっていた。あすなの妄想に出てくる男性は、皆あすなに従順だったからだ。
時には、男性を奴隷のように扱っている自分がいた。相手の男性は甘んじて、あすなの命令に従っている。
「ご主人様もご命令とあらば」
皆、そう言って、あすなの前に跪く。
あすなの妄想に出てくる男は皆あすなをご主人様と呼んだ。
その頃のあすなは、妄想なのか夢なのか、区別がついていないことが多かった。
妄想であれば、見ている時は意識がある中で、別のことを考えている状態なので、ふっと我に返ると、目の前には現実が広がっている。
夢を見ている時は、普段の意識は睡眠状態であるが、出てくる内容が非現実的な時は、それが夢であることを自覚することができる。
ただ、夢を見ていると自覚できるのは、夢の内容が、妄想している時と同じ時だった。厳密にいえば、妄想している時の「続き」になるのだが、妄想も夢も、現実に引き戻された時点で、忘れてしまっていた。だから、夢の続きは、次の妄想した時に見る。その妄想の続きは、次の夢で見るということで、決して同じ夢や妄想は存在しない。継続したものだったのだ。
もし、妄想していなければ、夢の続きを次の夢で見るということはありえなかった。あすなはそこまで分からなかったが、自分が見ている夢や妄想というのは、何か一つの一貫した柱があるということなのだろう。
あすなは、夢で見たことも、妄想したことも、ある程度までは覚えている。しかし、それが継続しているというところまでは覚えていない。もし、継続を理解できたのだとすれば、その時点で、妄想するということはなくなってしまうだろう。
あすなは、自分が妄想していることに対して、どう思っているのだろうか?
最初は、妄想する時間が楽しくて仕方がなかった。
――何しろ、自分が男性を蹂躙できるのだから、楽しくて仕方がないのも無理もないことだ――
と思っていた。
作品名:アレルギーと依存症と抗体と 作家名:森本晃次