アレルギーと依存症と抗体と
彼女は、いじめっ子の中では「下っ端」の部類だった。
表に出るというよりも、後ろで見ていたり、場合によっては、苛めに参加せずに、見張り役をさせられたりしていた。いじめっ子の中にも、そんな差別的な立場が存在するなど、想像もしていなかったあすなは、その女の子のことが気になってしまった。
他のいじめっ子たちは、あすなに謝ってきて、距離は近づいてはいたが、ある一線を越えることはできなかった。やはり、一度はいじめっ子といじめられっ子というそれぞれの立場にいた関係である。和解したと言っても、これ以上は近づいてはいけないという結界のようなものが存在しているのだった。
だが、彼女だけはあすなとの間に結界は存在しなかった。
――この人も、私と立ち位置は違っても、立場は同じなんだわ――
と感じた。
彼女は名前を沙織と言った。
沙織が彼女たちのグループに参加したのは、沙織が小さい頃から、いつも後ろをついて歩いていた相手がいじめっ子のドンだったのだ。彼女の言うことに逆らうと何をされるか分からないというよりも、言うことを聞かないことで無視されて、自分の前からいなくなってしまうことが何よりも不安だったのだ。
悪いことだと知りながら、「下っ端」という立場でいじめっ子グループに属していたのは、自分では切っても切り離すことのできない仲である人が、グループの中にいたからだった。
沙織は、彼女たちのグループから抜けようとは思わなかった。むしろ守られているという感覚でいたので、意地でもグループにしがみついていくことを決めていた。そんな沙織の覚悟を知ってか知らずか、いじめっ子グループは容赦なく、沙織を冷遇し、こきつかったのだ。
いくらいじめっ子グループであっても、さすがに何度も沙織を利用しながら、彼女が去側うことがないことに気持ち悪さを感じていた。
それでも、
「首領のいうことなんだから」
ということで、「下っ端」の存在を容認してきた。
そのうちに沙織に対しての気持ちもマヒして来た。それは、自分たちが苛めている相手に対して、罪悪感を感じないように、気持ちをマヒさせてきたのと同じである。
そんな彼女と話をしていると、どうやら彼女は家庭が不安定だったようだ。
父親は会社を辞めてしまい、母親がパートをしていたが、それだけではらちが明かず、夜もスナックで勤め始めた。
父親は仕事を探すこともせず、昼間から酒を呑んだり、出かけても、出かけた時と同じ顔でしか帰ってこない。
「何が楽しくて生きてるんだろうって、娘の私が思うんだから、他の人が見たら、さぞや死んだ目をしているんでしょうね」
というのが、父親に対しての気持ちのようだ。
母親の方は、スナック勤めがさすがに堪えるのか、帰ってくるなりグッタリとしている。そんな母親を見るのは耐えられないと思っているところへ、父親はそんな母親に対して、まるで汚いものでも見るような視線を浴びせたという。
母親はやがて、沙織を捨てて、家を出ていった。どうやら、男との駆け落ちのようだ。沙織は父親と二人残されたが、相変わらずの父親は何もしようともせず、昼間から酒を呑む毎日だった。
さすがに見かねた親戚が、沙織の面倒を見ているということだが、そこには同い年くらいの女の子がいて、大切に育てられていた。
親戚の人は精いっぱいのことはしてくれているようだが、視線はまったく違った。冷めた視線を上から目線で浴びせ、沙織は惨めになるしかなかったという。それを思えば、学校でのいじめっ子グループの中での「下っ端」の方がどれほどマシかということである。
沙織の家庭がそんな状態だということを知っているのは担任だけらしい。教頭や校長がどこまで知っているかまでは分からない。
――どうせ何もできないんだから――
と思えば、学校関係者の誰が知っていようが、そんなことはまったく関係のないことだった。
そんな沙織の、
「壮絶な人生」
として話を聞いている自分の感覚がマヒしてくるのを感じた。
あすなはまだまだ世間を知らないということを痛感させられたのだ。
その話を聞いた時、自分が恵まれていると感じたが、実際にどうすればいいのか、ピンとこなかった。次の日まで考えて、その答えを自分で見つけることは無理だと判断したあすなは、
――そのうちに、答えを教えてくれる人が現れる――
と、思うようになった。
ちょうどその話を聞いた頃から、いや、それより少し前からだっただろうか、頭の中で何かを妄想することが多くなってきた。小学生の頃も、絶えず何かを考えてきたと思っていたが、すぐに忘れてしまい、何かを考えているのだが、それが何だったのか分からないままだった。特に苛めに遭っていた時などは、
――自分を苛めていた人たちに一泡吹かせるにはどうしたらいいのか――
きっと、そんなことを考えていたのだろう。
しかし、苛めがなくなってからは、そんなことを考えなくなったはずだ。しかし、ボーっとしている時間は以前と変わりないほど存在していた。その時は感覚がマヒしていたように感じていたという覚えはあるのだ。
覚えがあるということは、何かを考えていたはずである。それを何と表現すればいいのか分からなかっただけである。
沙織から、壮絶な人生の話を聞いた頃から、ボーっとしている時に考えていたものが妄想していたことだと気が付いた。
考えてみれば、すぐに分かることだったはずなのに、なぜこんな簡単なことが分からなかったのだろう?
それが思春期というものであり、思春期における妄想は、誰にでもある羞恥の感覚だと考えたことで、忘れてしまおうという意識が働いたのかも知れない。それは自然な感覚であり、あすなに限ったことではないだろう。ただ、誰にでもあるということだけに、妄想する内容も人それぞれ、基本的にまったく違うものなのだろうが、中には似たような妄想を抱いている人がそばにいるかも知れない。それを認めたくないという思いを抱いたことが、記憶にとどまることを許さないのかも知れない。
――妄想は個性であり、他の人と同じだということはないはずだ――
これがあすなの考えであり、
――でも、皆が皆妄想していれば、同じ環境にいる人の中には同じ妄想を抱かないとも限らない――
妄想は個性で抱くものだという思いを持っている反面、
――本当に自分の意志が働いて、妄想するのだろうか?
という思いを抱いているのもウソではない。
妄想というのは、あすなの場合、自分のことを、
「夢見る少女」
だと思っていることで、さぞやメルヘンチックな発想を抱いているのではないかと思うようになっていた。
だから、余計に人に知られるのが恥ずかしい。自分が覚えていれば、妄想した内容を思い出して、含み笑いなどしてしまうかも知れない。
「おいおい、何ニヤニヤしてるんだよ」
と、妄想していることを指摘されると、その内容まで相手に看過されてしまうのではないかと思えてくるだろう。そうなると、恥ずかしさで、当分その人の顔を見ることができなくなる。それほど思春期の神経はデリケートなものであり、壊れやすくなっているのかも知れない。
壊れてしまうのを必死で阻止することを考える。
作品名:アレルギーと依存症と抗体と 作家名:森本晃次