アレルギーと依存症と抗体と
そうかも知れないという予感はあったが、ハチに刺されるということは今までになかったので刺されるとどうなるか分からなかった。ただ、スズメバチに刺されると死ぬこともあると聞かされていたので、自分が生きていることが不思議なくらいに感じられた。
「大丈夫だよ。応急治療もよかったし、病院でも薬を投与したので、問題ないという話だ。でも、後で先生から話があるらしいので、それはキチンと聞いておけばいいよ」
「ありがとうございます」
キャンプに参加するのだから、ハチに刺された時の対処や状況くらい勉強しておくべきだったのだろうが、あすなは、怠っていたのだ。
「スズメバチに刺された時は、一度目はまだいいんだけど、二回目以降は気を付けなければいけないよ」
と医者から言われた。
「一度目は、ハチの毒が身体に入っても、小さなハチの毒で、人間が死ぬということはあまりない。人間の身体には抗体を作るという作用があるんだけど、この場合もハチの毒に対しての抗体が作られるんだ」
「免疫のようなものですね?」
「そんな感じかな? 普通なら二度目に刺されると、その抗体が働いて、ハチの毒を退治してくれて事なきを得るんだけど、この場合には、ハチの毒と、身体にできた抗体が反応して、一種のショック状態を引き起こす。つまりはアレルギー性のショック状態というわけだね」
「それで?」
「実は、ハチに刺されて人間が死ぬというのは、ハチの毒そのもので死ぬわけではなく、この時のショック状態が人間を死に至らしめるんだ。これを専門用語では、アナフィラキシーショックというんだけどね。だから、今身体の中に抗体ができている状態の井上さんは、次ハチに刺されないようにしなければいけない。ハチが飛んでいるようなところだったり、ハチの巣のありそうなところにはいかないようにしないといけないよ」
「分かりました」
かなりショッキングな話ではあったが、気を付けていれば大丈夫という思いもあり、自分でも少しだけアナフィラキシーショックについて勉強もしてみた。
キャンプから帰ってきてからのあすなの様子は、明らかに違っていた。ハチに刺されたという事実はあっても、まるで別人のように人と話さなくなり、内に籠ってしまったかのようだった。
しかも、時々何かに思い詰めたような雰囲気も感じられ、
「人が変わってしまったかのようだ」
と、まわりの人は気にしていた。
しかし、それも一か月もすれば、誰もあすなのことを気にしなくなった。いくら自分たちが気を病んでも、本人に何ら変わろうという意志がないのであれば、どんなにアクションを起こしても同じだった。
毎日のようにあすなに話しかけてくれる友達もいたが、まったく反応のないあすなに愛想を尽かすのも時間の問題だと思われていたが、一か月が限界だった。
「よく一か月も話しかけられたわね」
と他の人から言われると、
「いいのよ、もう私には関係のないことよ」
と彼女も豹変していた。
その人は、ギリギリまで相手に歩み寄ろうとしたが、結果としてまったく反応のない相手であれば、こっちも後腐れなく離れることができる。
「最初から、友達なんかじゃなかったんだって思えば済むことよ」
一か月が彼女にとって長かったのか短かったのか分からないが、限界まで達すると、後はスッキリしたものだった。
せっかく話をしてくれる人がいたのに、完全無視であれば、他の人も歩み寄る気は失せていた。
こんな時こそ、上杉の出番なのかも知れないが、上杉の出鼻をくじいた彼女の接近は、一か月も経って何も変化が見られないのであれば、上杉の出る幕もなくなってしまった。上杉としては、少しでも変わってくれるのを待って、話しかけるしかないと思うようになっていた。完全な他力本願である。
そして、ハチに刺されて三か月が経った頃、あすなが少しずつまわりに反応するようになった。それまでは完全な引きこもり状態だったが、次第に部屋を出て散歩したり、公園のベンチに座って、まるで誰かを待っているかのような態度を示すようになっていた。
その時を逃さず、上杉はあすなに話しかけた。あすなは話しかけてもらうのを待っていたかのように笑顔で答える。
「やっと、以前のあすなに戻ったんだね?」
というと、
「私一体どうしていたのかしら?」
どうやら、引き籠っていた時の記憶が曖昧なようである。
あすなの中にシンデレラコンプレックスと、秘密主義的な考えがあからさまに表に出てきたのは、それからすぐのことだった。
――こんなに極端に変わるものなんだろうか?
上杉は、今まである程度分かっていると思っていたあすなが分からなくなり、自分から遠くに行ってしまったように思えてきたことから、あすなに対しての自分の本当の気持ちを模索するようになっていた。
明るくなったのはいいのだが、シンデレラコンプレックスには困ったものだった。
最初にあすなの変化に気が付いたのは、上杉ではなかった。逆に一番気が付きにくかった人がいるとすれば、上杉だろう。
上杉は、他の人よりも、あすなのことをよく分かっていた。それは絶えずあすなのことを見てきたからで、他の人が表面しか見ていなかったとすれば、上杉は彼女の内面も見ていたのだ。
今まで表に出さなかっただけで、明るい部分も、依存症なところがあるのも、上杉には分かっていた。だから、いずれはあすなの変化に気づくのだろうが、一番ではない。上杉にとって、あすなの変化は、元々あった性格が表に出てきただけなのだ。つまりは、いずれはありうることとして、自分の中の許容範囲であったのだ。
ただ、それはあくまでも自然に推移した場合のことであり、誰かにいきなり指摘されてしまうと、上杉は自分の中で、整理がつかなくなる。
――あすなのことは、一番俺が分かっているはずなのに――
という思いから、変化に気づかなかったことであすなに対して、自信喪失にもなるし、また、あすな以外のことでも、自分で分かっていると思っていることが音を立てて崩れ去っているように思えてきたのだ。
――俺はこのまま崩れてしまうのではないだろうか?
そう思えてしまうほど、ショックでもあった。
それにあすなの様子が普段自覚していた雰囲気から、両極端になっていることが気になっていた。
明るい部分は、いい性格なのに、シンデレラコンプレックスは、決していい性格だとは言えない。
あすなの変化に気づいた人も、普通なら「依存症」という言葉を遣えばいいものを。シンデレラコンプレックスという言葉を使っている。何か思うところがあったのかも知れない。
シンデレラコンプレックスというのは、男性に高い理想を求め続ける、女性の潜在意識にある「依存的願望」のシンドローム(症候群)だという。
元々は子供の頃から、そのような意識を持っていなければ、大人になってから急になるというのは考えにくい。ただ、依存症と思えるところはあった。しかし、それも相手が男性に限ったわけではない。シンデレラコンプレックスというには、相手は男性でなければいけないはずだ。それでは一体彼女がシンデレラコンプレックスだと言った人は、彼女の中に何を見たというのだろう。
作品名:アレルギーと依存症と抗体と 作家名:森本晃次