アレルギーと依存症と抗体と
面識があればそれだけ相手にも自分のことを分かるだろうし、自分も相手のことが分かる。いい部分だけが分かればいいのだが、悪い部分も同じくらいに分かってくる。確かにいい部分だけを強調して見ていると、何かあった時に、
――自分が相手のことを何も知らなかったんだ――
という思いに至るに違いない。
「お母さんはどうしてる?」
ふいに父から聞かれた。
「お母さんは、再婚したよ。僕が大学生になったことで、肩の荷が下りたと思ったんじゃないかな?」
「そうか、お母さんは大丈夫かも知れないな」
「どういうことなんだい?」
「お母さんにも、お父さんと同じようなところがあって、「友達以上恋人未満」という性格が垣間見えたんだ。だから、お父さんはお母さんを好きになった時、自分と同じ匂いを感じるって思ったんだよ。結婚している時は実にうまくいっていたんだが、そのおかげだとお父さんは今でも思っている」
お父さんの話を聞いて、「友達以上恋人未満」という感覚を持っている人が、こんなにもたくさんいるとは思ってもみなかった。
――あすなもそうだもんな――
自分にも同じものを感じている上杉は、まさかこんなに同じ感覚の人が多いとは思わなかった。
「類は友を呼ぶ」
というが、ここまでとは思わなかった。
だが、ここまでくると、「友達以上恋人未満」と思っているのは、皆なのかも知れないとも感じた。そのことをまったく感じることなく一生を終わる人がほとんどであって、知らぬが仏とでもいうべきか、逆に、今のように離婚が日常化している中、理由も分からずに離婚している人も少なくない。その人たちのほとんどは、この時に初めて、「友達以上恋人未満」という言葉を意識し、
「それならば」
と、初めて感じたことをいいことに、それを理由として自分を納得させ、離婚に踏み切っているに違いない。
――相手がどう思おうが、自分が納得できればいい。どうせ相手は離婚を考えている相手なんだから――
ひょっとすると、お母さんも同じことを考えたのかも知れない。
「二度目に失敗しなければいいんだ」
お母さんは、以前スズメバチに刺されたことがあると言っていた。
上杉はあすながハチに刺された時、アナフィラキシーショックの話を聞いていたので、それがどんなものなのか知っていた。
母親は二度目に結婚した相手から別れを告げられた時、きっとアナフィラキシーショックを引き起こすであろう。しかし、この場合のショックは、実際のハチに刺された時と違って精神的なものなので、相手にも共有させることができる。そのため、自分もショックではあるが、相手にも同じショックを与えることで、お互いに抗体を共有し、
「雨降って地固まる」
という状態に持っていけると思っていた。
――もう二度と、あの時のような屈辱は味わいたくない――
好きで一緒になった相手から、
「他に好きな人ができた。浮気ではなく、本気だ」
と言われてしまうと、それ以上何も言えなくなる。
その時の母は、父が他の女性を好きになったということが悔しかったというよりも、そんな父に対して何も言えない自分が歯がゆく、
「これ以上の屈辱はない」
と感じさせたに違いない。
「お母さんは大丈夫かも知れないな」
上杉も遠くを見るような目でそう言った。父親はそれを聞いて、ただ頷いているだけだった。
「お父さんはそれからずっと一人なの?」
「好きになった人もいなかったわけではないけど、もう愛するということはなかった。まるで自分の中に人を好きになってはいけないという抑えがあるようで、その抑えはまるで自分の中にできた抗体のようだっただ」
「抗体?」
「ああ、人を好きになることは、今までに何度もあった。どちらかというと惚れっぽい性格だと思っているからね。若い頃は何度も人を好きになっては、玉砕してきたさ。友達から無謀だと言われた相手まで交際を申し込んだりしてね。でも下手な鉄砲は数打てば当たるもので、結婚前には何人かと付き合ってもみた。でもしょせん惚れっぽいというだけで好きになった相手、長続きするはずもない。結婚前までの交際は、結婚前の『予行演習』みたいなものだったって思うようにしたんだよ。で、結婚してから幸せだったのは、その頃までにできていた抗体がうまく作用していたんだろうな」
「じゃあ、抗体はできてよかったんだね」
「そうでもないかも知れない。離婚した時に感じたことだったんだが、お父さんが離婚のきっかけを作った女性に対して本気だと思ったのは、その時の抗体が影響しているような気がするんだ」
「というのは?」
「お母さんのことも好きだったはずなのに、それ以上に好きな相手が現れた。その女に対してお父さんは、『別れたくない』という気持ちが一番だったんだけど、その気持ちを生んだのは、お父さんの中にあった抗体だったんだ。抗体の正体は、『一番最後に好きになった人が、本当に好きな人だ』と感じさせるものだったんだろうな」
「抗体って、自己防衛の意味合いが強いけど、じゃあお父さんは、本気だといっていたけど、一番最後に好きになった人がその人だったから、本気だと思ったのを、その抗体のせいにしてしまうんだね」
「そういうことだ。卑怯だと言われるかも知れないけど、それほど自分の気持ちの中の本音というものがいくら自分であっても分からないということだよ。逆に自分だから、余計に分からないものなのかも知れないな」
「卑怯だとは思わないけど、恋愛をするのに、そんな抗体があるというのは、どんなものなのかなって思うんだよ。転ばぬ先の杖というべきか、付き合っていても本当に楽しいんだろうか?」
「昭雄は、誰かと今付き合っているのかい?」
「いや、付き合っていると言える人はいないけど……」
「お前もひょっとしてその人のことを「友達以上恋人未満」だって思っているんじゃないか?」
「ああ、思っているよ。だから、付き合うことはないと思っている」
「じゃあ、今のお前の場合の『友達以上恋人未満』というのは、抗体ではないということだな。抗体というのは、何か自分の中でショックなことが起こって、二度とそんな思いをしたくないという感情から、自分で生みだすものだからな」
「お前は今まで、誰かを好きになって交際したという経験は?」
「そんな経験もない」
「じゃあ、本当にこれからなんだな。だけど、お前を見ていると、今までに何度も恋愛や失恋を繰り返してきた人に見えてくるんだ。それは身体の中にできた抗体が表に対して、そう思わせるような働きをしているからだって思っていたけど、ひょっとすると違っているのかも知れないな」
「今までに、『ああしておけばよかった。こうしておけばよかった』というような後悔は何度かしたことはある。そのたびに、反省はするけど、後悔しないで済むようになりたいって持ったことは何度もあったな」
「それが、お前の中に抗体を作ったのかも知れない。確かに抗体というのは、自分の中に起こった後悔が生み出すものだとは、お父さんも思っていたんだ」
「じゃあ、後悔したことのない人は、抗体を持っていないということかな?」
作品名:アレルギーと依存症と抗体と 作家名:森本晃次