アレルギーと依存症と抗体と
「お父さんは、あれからどうしていたんだい? 言いにくいこともあるかも知れないけど、言えることだけでいいんで聞きたいと思う」
というと、父は少し迷っていたようだ。
「中途半端な言い方をすると、事実とは異なってくるかも知れないので、話をできるとすれば、客観的にしか話はできないが、それでいいかい?」
父は言葉を選んで話をしているようだった。
これなら、言いたいことをすべてではなくても聞いていればある程度のことは分かるかも知れない。
「分かった。それでいいよ」
上杉は真剣な顔をしたが、笑顔を絶やすことはなかった。
笑顔を絶やすことのないというのは上杉のいいところなのだろうが、それ以前に、笑顔が消えるほどの恐ろしい話を聞かされたことがなかっただけのことでもあった。
ただ、上杉の人生は波乱万丈といってもいいだろう。それなのに、笑顔が消えるほどのショックを受けていないということは、それだけ神経が図太いのか、嫌なことは客観的に見ることができるからなのか、自分でも分からなかった。
「お父さんは、あれから好きになった人と少し一緒に生活をしていたんだけど、急に相手の方がお父さんの前から姿を消したんだ。因果応報というべきか、彼女にもお父さん以外に好きな女性が現れたらしいんだ」
「お父さんは、その時、どう思った?」
「まず、お母さんの顔が浮かんできたね。申し訳ないという思いが浮かんできたんだ。でも、復縁できるはずもないし、復縁しようとも思わなかった」
「相手の女性を追いかけるという気はなかったの?」
「不思議となかったんだよ。お父さんに対して『ごめんなさい。好きな人ができたの』と言った時、申し訳なさそうな顔をしたんだ。その顔を見た時、スーッと自分の気持ちが冷めてくるのを感じたんだ。やっぱりこの人はお父さんのことを愛しているわけではないってね。お父さんも自分でウスウス気づいていたことなんだけど、お父さんの方も、本当に彼女のことを愛していたのか分からなくなってね。まるで二人は友達だったんじゃないかって思ったんだ」
「そんな」
「そうだよね。お父さんこんな形でお母さんと別れるきっかけを作った女と別れるようになると、離婚がなんだったのかって思うよね」
上杉は、何ともやりきれない気持ちになった。
しかし、その思いは父が感じている思いとは若干違っているようだ。それは、今の父の話し方でよく分かった。
「違うよ。今の僕だから思うんだけど、離婚は間違いではなかったと思う。僕がやりきれないと感じたのは、その後父が、いとも簡単に『本気になった』と言った相手と別れてしまったことなんだ。一体、お父さんにとっての本気って何なんだよ」
上杉は、自分の声が上ずってきていることに気が付いていた。
「お父さんも、この時はさすがに自分の本気が何なのかって考えたものだ。浮気か本気かと聞かれて、二者選択だったら、お父さんは間違いなく本気だったんだ。その気持ちが本当に相手を愛しているという思いに繋がっていると、その時は信じていた。でも、自分がしたのと同じことをされてしまうと、よく分かったんだ。最後通牒を提示されてしまうと、言われた方は、逆らうことができないものなんだってね。逆らうことはできないけど、考えることはできる。そんな状況で考えたとしても、結論は一つしかない。その過程で、気持ちは完全に冷めていくものなんだ」
「じゃあ、あの時のお母さんもそうだったのかな?」
「それは分からない。これはお父さんが感じたことで、人それぞれに感じ方も違うだろうからね。それにお父さんは男で、お母さんは女なんだ。男女の違いというのは、結構大きいかも知れないよ」
父の言葉を聞いていると、納得できる部分もあり、
――なるほど――
と感じることもあった。
やはりそれは、男同士の会話だから感じるのだろうか。上杉も大学生になり、高校の頃までの自分とはまったく違っていることに気が付いた。
――大人になった――
と感じながら、少し背伸びしているところもあったが、父の話に共感できるところもあることを思うと、もっと父の話を聞いてみたいと思うようになっていた。
「お父さんは、その女性と、『友達以上恋人未満』だったのかも知れないな」
「そうだな。それが友達にしか思えなくなったことが、別れの原因だったのかも知れない。相手の女に本当に好きな人がいたのかどうか、お父さんは知らないが、他の人を好きになるにしても、友達にしか見ることができなくなったことが大きな原因だったことに変わりはないだろうからね」
そう言って父は、遠くを眺めていた。
父の話を聞いていると、
――俺にもやっぱり父親の血が流れているのかも知れないな――
と感じた。
それはあすなに対しての感情で、あすなも同じことを思っていても、お互いに納得したところがあった。
だからといって、恋愛感情を持つことはないと言えるわけではない。一つ言えることは、父と決定的な違いがあるということだ。この違いを感じることで、幾分か救われた気持ちにはなったが、根本的な解決にはならないような気がしていた。
――お父さんの場合は、最初から相手のことを好きだと思って付き合っていたが、実は本当は「恋人未満」であることに気が付いて、別れることになったんだ。俺の場合は、最初から「友達以上恋人未満」から始まっているので、父のような失敗はしないだろう――
と感じていた。
だが、自分の中に物足りなさがあるのも事実だった。
それは、自分が本当に相手のことを好きになることができる人間なのかということが分からないからだ。
人によっては、「友達以上恋人未満」を最初に経験して、その後で恋愛をするという人も多いだろう。しかし、そんな人たちは「友達以上恋人未満」という意識がないまま、恋愛するようになる、ただの友達と思うか、それとも「友達以上恋人未満」と思うのかということがポイントだが、最初から恋人未満だとどこか不自然だと思わせるのかも知れない。
恋人未満として見てしまうと、その人には永遠に恋愛感情を抱いてはいけないということになってしまう。自分の中でそんな戒律を設けてしまっていいのだろうか?
出会いというものが運命だとすれば、いずれ恋愛感情を抱くことになる相手だとしても、自分でそれを否定してしまうと、その後、自分には恋愛感情を抱くことがあっても、成就することのないまま、若い日々を恋愛なくして通り過ごしてしまうかも知れないのだ。
上杉は父親が自分と同じ、「友達以上恋人未満」を意識する人間だということを感じると、自分があすなに感じている思いが一体何なのか、再度考える必要が出てきた。
「友達以上恋人未満」という感覚を持つということは、友達としては最高なのに、恋愛感情を抱いた時に、どうしても譲歩できない何かがあることで、永遠に恋人にはなれないという何かに気がつくからではないかと思うようになっていた。
――あすなに譲歩できないことなんてあるだろうか?
あすなのシンデレラコンプレックスは確かに、容認できるものではない。あすなが、
「白馬に乗った王子様」
を想像しているのだとすれば、上杉にはその役は重荷すぎる。
もっとも王子様は、面識のない人間に限られる。
作品名:アレルギーと依存症と抗体と 作家名:森本晃次