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アレルギーと依存症と抗体と

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 上杉のことを好きになっている自分もいれば、好きになったという思いを錯覚だと自分に悟らせようとしている自分もいた。喧嘩になったことで、
「ほら、言わんこっちゃない。最初から好きだなんて錯覚を抱くから、錯覚が妄想になって、勝手に相手を自分像に当て嵌めてしまったんじゃないの? だから、仲直りの仕方も知らないくせに意地ばかり張って、結局喧嘩になって、どう収拾をつけるつもりでいるの?」
 と心の声があすなを責める。しかし、もう一方では、
「いい機会じゃない。喧嘩するほど仲がいいっていうし、きちんと収拾つけることができれば、これまで以上の仲になることができるわよ。恋人未満が、恋人以上になるかも知れないじゃない」
 と、こちらはあすなを擁護する。
 自分の中のネガティブな部分とポジティブば部分が錯綜しているのだが、当のあすなの中では、
「二つの考えは、どちらも分かるんだけど、どちらも分からない。それぞれのいいところをうまくくっつければ、すべてがうまくいくんだろうけど、逆に悪い部分ばかりをくっつけてしまうことにもなりかねない。そうなってしまうと、本当に収拾がつかないわ」
 と感じていた。
「でも、収拾をつけるってどういうことなのかしら?」
 あすなはそのことばかりをずっと考えていたが、堂々巡りを繰り返してしまい、結局結論に至ることはなかった。どうしていいのか分からなくなるまで、上杉からは連絡もなく、実際に頭の中で堂々巡りを繰り返している間、まわりのことを意識できる余裕などなかったのである。
 さすがに、
「もうこれ以上悩んでいてはヤバいことになるわ」
 と感じたちょうどその時、上杉の方から連絡してきた。
 学校の帰りにちょくちょく立ち寄った公園で、二人並んで座ったベンチ。その場所に呼び出されたのだ。
「ごめん。俺が悪かった」
 上杉は、恐縮して謝ってくれた。
 あすなは、そんな上杉に感謝した。それは謝ってくれたことにというよりも、さすがにヤバいと思ったそのタイミングだったのが、嬉しかったからだ。上杉はいろいろと今まで話せなかった分、その間の気持ちを話してくれたが、結構いろいろありすぎて、整理できそうにもなかったが、一つ気になる言葉があったので、それだけは印象に残った。
「お互いに喧嘩が初めてだったこともあって、仲直りに時間が掛かったのは、やっぱり落としどころが分からなかったからなのかも知れない。これは人から聞いた話なんだけど戦争にしても何にしても、争いごとは始めることは簡単なんだけど、どこで終わらせるかというのが難しいんだって。だから戦争を始める場合、ある程度シミュレーションを行って、それで、どこで終わらせるかというところまで青写真を作っておかないと、取り返しのつかないことになってしまうらしい。俺もそう思ったし、あすなも似たような思いをしたんじゃないかな?」
 それは、あすなが堂々巡りを繰り返しながら考えていたことだったのだ。
 あすなと上杉の関係で、最初に痺れを切らしたのは、あすなだった。自分の気持ちを絶えず考えていて、自問自答を繰り返していたが、結論が出ないまま時間ばかり費やしていると、
――時間がもったいない――
 と考えるようになった。
 今から思えば、一番無駄に過ごした期間は大学時代だったのではないかと思っているが、逆に一番時間について真剣に考えていたのも、大学時代だった。
 大学時代、本当なら何かを学ばなければいけない時期だったのに、思い返してみると、何も自分のためになっていることは一つとしてなかった。趣味に勤しむわけでもなければ、勉強にまい進したわけでもない。恋愛も中途半端だった。絶えず、何かをしようとしても、どこかで行き詰ってしまい、またしても、堂々巡りを繰り返していた。
 大学三年生のことで、喧嘩をしていたのが、つい最近のことだった。
 ただ、自分から告白してはいけないという思いが強かったこともあって、結局、告白はしなかった。ついには、自分の気持ちを内に籠める性格になってしまったのだ。
 元々、内に籠める性格だったが、秘密主義も手伝ってか、何かがあって気持ちが収まらない場合、自分発信ではないことで、責任を相手に押し付ける気持ちになってしまうことが多かった。
 あすなは、その頃から、依存症が激しくなった。上杉に対しての依存症が一番強いのだが、上杉以外の人に対しては、依存するというよりも、何かを待っているという意識が強くなっていた。
 前から意識としてはあったのかも知れないが、表に出ることはなかった。いつも一人で妄想するのは、あすなに限らず、他の女の子も同じであろう。
「夢見る少女」
 という言葉が当て嵌まるのだろうが、それよりも、もっと適切な言葉が世の中には存在しているのを教えてくれたのは、上杉だった。
「夢見る少女って言葉があるけど、これはいわゆる『シンデレラコンプレックス』というものなのかも知れないな」
「夢見る少女と同じなの?」
「いや、その発展形と言ってもいいんじゃないかな?」
「どういうことなの?」
「夢見る少女というのは、自分の目指しているものが分かっていて、それに向かって努力する姿が見え隠れしているんじゃないかって思うんだ。でも、シンデレラコンプレックスの場合は、明らかに他力本願で、自分の前に白馬に乗った王子様が現れるという思いをいつも抱いているんだって思うんだ。コンプレックスを感じている女の子は、ガラスの靴を履いたことがあるんだろうか?」
 上杉の話を聞くと、シンデレラコンプレックスというのは、あまりいい意味ではないことはよく分かった。
 あすなは、自分が子供の頃、確かに「夢見る少女」だったというのは否定できない。しかし、それがシンデレラコンプレックスに発展するということは、ありえないと思っていた。シンデレラコンプレックスという言葉は知らなかったが、依存症に発展型があることは分かっていた。
 あすなは、ある時を境に、それまでとそれからと、明らかに違ってしまったことに気づいていた。
 まわりの人にも分かっていたが、それがいつからなのか、ハッキリとした時は分からない。しかし、明らかに何かがあったというのは分かるくらいの豹変ぶりだったからだ。それでも根本的なことは変わっていないのに、明らかに変わったと感じられるのは、変わったというよりも、彼女の元々の性格が極端になったからではないかということに気づいた人は誰もいなかった。
 あれは、大学三年生の時にキャンプに行った時のことだった。毎年夏になると恒例のキャンプを行っていたが、あすなは毎年参加していた。
「四年生になったら、なかなか開催できないかも知れないので、これが最後になるかも知れないな」
 と、少しネガティブに考える人もいたが、あすなも、その意見には賛成だった。
 そんなこともあって、三年生の時のキャンプには、参加者の規制はかなり緩和された。元々は普段から一緒にいる連中だけでの開催だったが、その時は、
「中学時代、高校時代の友達も参加可能」
 ということになり、仲良しグループだけで開催していた時よりも、三倍くらいの人数になった。
「これじゃあ、合コンのようなものだな」