アレルギーと依存症と抗体と
その夢には二つのパターンがあり、まわりの友達は就職していたり、大学生だったりするのに、自分だけがまだ高校生だという思い出だ。この時は、高校を卒業して就職すると決めた後に、働くことに対しての不安から見せた夢なのだと思っていた。
逆にまわりの友達は皆高校生のままなのに、自分だけが就職しているのだ。母親は高校を卒業してからの進路を決める時、就職するか進学するか、最後まで迷っていた。その時のイメージが頭の中に残っていて見る夢だった。
どちらの夢が多いかというと、自分だけが就職している夢が多かった。そんな時、夢の中で急に場面が変わって、河川敷に座って絵を描いている少年と、その後ろから覗き込んでいる一人のお姉さんがいるのを感じた。その後ろ姿がまさか自分だとは思えないことから、
――あの子の絵のファンは、私だけではなかったんだ――
と思った。
だが、二人を見ていて、
――絵を描いている少年が自分の息子で、後ろから見ているのが母親になった自分だったら素敵だな――
と思ったのを覚えている。
この時の夢だけは、なぜか詳細に覚えている時が多い。自分の気持ちの移り変わりまで覚えているのだからすごいものだ。そのうちに自分が妄想しているのが、この時の夢の続きではないかと思ったことがあったが、
――この夢には、本当は続きがあったのかも知れない――
と感じるようになっていた。
夢に続きがあったのではないかと思ったことは今までに何度もあった。覚えている夢というのはそんなにたくさんあるわけではなく、その中でほとんどの夢が、
「ちょうどのところで目が覚める」
という思いが強くあった。
楽しい夢というよりも、怖い夢の方を覚えている方が圧倒的に多い。怖い夢を見ることの方が楽しい夢を見るよりもたくさんあるということなのかも知れないが、見ている夢の比率に変わりはないとすれば、怖い夢というのはそれだけ印象に残ってしまうものだと言えるのではないだろうか。逆に楽しい夢は、
「忘れたくない」
という思いが働いて、逆にそう思う方が余計に忘れさせてしまうという反対の作用を及ぼすのかも知れない。
そう思っていると、怖い夢の続きがどんなものだったのか、勝手な妄想をすることもあった。妄想はホラーであり、
「恐ろしいものに追いかけられ、自分が逃げている」
という場面が思い浮かぶ。真夜中ではなく、時間帯は夕方だった。
普段なら黄色く染まっている西日が、その時は真っ赤に夕焼けを映し出している。雨が降ってきそうに感じたが、その雨は血の雨だった。
最後に後ろを振り向くと、追いかけてきた恐ろしいものの正体を見ることになるのだろうが、結局は見ることができないように思えてならなかった。
夢の続きを見ることができるのは、過去の夢であり、その時に出てくるまわりの人たちはその当時のままで、自分だけが年を取っているのだ。
その時に考えることとして、
「この中の誰か、大人になり切れていないのではないか?」
という思いが頭を掠める。
大人になり切れていないというのは、
「子供のままでいる」
というわけではなく、
「永遠に大人になることができない。つまりは、この年齢で死んでしまったのではないだろうか?」
と感じるのだ。
だから、死んでしまった子供がゾンビになって、自分の夢の中に出てくる。夢を見ることを拒否はできないが、最後の瞬間まで見なくて済むように仕組まれている。
「それが私の中の夢の構造なのかも知れないわ」
と感じていた。
離婚してから、覚えている怖い夢を見ることが多くなってきた。離婚してすぐくらいは、ほとんど毎日だった。離婚してしまって襲ってくる脱力感のために、気持ちが折れていたこともあり、それが理由かと思っていた。離婚には強気だったが、離婚してしまうと、自分がどこにいるのか分からなくなり、まさに渓谷の梯子のような橋の上にいるようなイメージが頭から離れていない証拠なのかも知れない。
見るようになった怖い夢だが、渓谷の橋の上にいる感覚を味わうようになってから、前と後ろにいるのは、同じ恐ろしいものでも、恐怖映画に出てくるようなものではなくなっていた。
そこにいるのは、
「二人の人間」
だった。
前を見ると、自分がいる。しかもそれは小学生の頃の自分だった。後ろを見ると、そこにいるのは、河川敷で絵を描いていたあの少年だったのだ。
「前にも後ろにもいくことができない」
と思っていたが、進むとすればどっちがいいと思うだろう?
橋の上にいる人は、小学生の自分なので、身動きするのが恐ろしいのだろうが、客観的に見ている自分は夢を見ている現代の自分なので、少しは違って見えている。夢の中で小学生の自分に、語り掛けている、
「踵を返して、後ろに下がりなさい」
と言っているだろう。
前に進むということは、もう一人の自分に向かっていくということだ。夢であっても、同じ世界に同じ人間が存在していることを、無意識のうちに恐ろしいと感じている。
もし自分が後ろに向かって進んでいても、前に向かって進んだとしても、目の前にいる人は、自分が辿り着いた時点で消えてしまうような気がした。
後ろに下がって少年が消えてしまう分には問題ないが、前に進んで小学生時代の自分が消えてしまうと、橋を渡ってきた自分まで消滅してしまうような気がした。だから、後ろに下がることを客観的に見ている今の自分は判断したのだ。
そう思って夢を見ていると、今度は夢に出てきている人たちはすべて何を考えているか分からない。
いや、何も考えていないのだ。ただ、夢を創造している自分の感情に操られているだけ。辻褄の合わないことがあっても、それはそれで仕方のないことだ。
夢の中は真空状態のように、何も聞こえない。空間が音を吸収し、聞こえているのは、耳を通り抜けていく風の音だった。真空状態なのに風が吹いているというのもおかしなものだが、そもそも真空で意識があるというのがおかしいのだ。
しょせんは自分という一人の人間が創造した世界。どうにでもなるというもので、考え就かないことは、何も起こらないことにすれば、それで事足りる。
そんな夢を見るようになったことを知っているのは自分だけだと母親は思っていたが、なぜかもう一人知っている人がいた。それが上杉だったのだ。
離婚してしばらく毎日のように見るようになった渓谷を渡る橋の上の夢。前に見えているのが子供の頃の自分、そして後ろが絵を描いていた少年だと思っていたが、実はそこに写っていたのは、小学生時代の上杉だった。
上杉が思春期の頃に両親は離婚した。
上杉はその時思い出していたのは、家族三人の仲が良かった頃のことだった。
それが上杉の小学生時代の頃であって、思春期の傷つきやすい時に、小学生時代のことを思い出していると、安心することができる気がしたのだ。
いくら昔のことを思い出しても、両親の離婚が収まるわけではない。上杉が好きだったのは、母親の後姿だった。
ちょっとおどおどしたような自信なさげな様子だったが、子供の上杉には、逆に頼もしく見えた。不安に思っている自分の前にいつも立ってくれて、防波堤の役目をはたしてくれている。
作品名:アレルギーと依存症と抗体と 作家名:森本晃次