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アレルギーと依存症と抗体と

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 という見解は、外部から見たもので、母の立場からすると、
「いい相談相手」
 だった。
 意味合いは似ているが、感じる印象はかなり違っていたことだろう。
 母はスナックでもスーパーでも献身的に働いた。スナックというところは、いろいろな人が働いているが、やってくる客もいろいろいる。スーパーの場合は、働いている人には様々な事情はあっても、スーパーで働く人は、スナックで働く人よりも、考え方の面で限られた人が多いと言えるのではないだろうか。
 したがって、母のように献身的な女性は、スナックではそれほど目立たなくても、スーパーでは目立つ場合がある。特に雇い主から見れば、献身的な人にはどうしても好意的な目で見てしまうのは仕方のないことだろう。
 どうしても、パートというと、自分の生活が切実な問題になってくるので、人のことや細かいことに構ってられない場合がある。雇い主としても、それは仕方のないことだと思っているに違いない。
「普通に、そしてこちらの期待している程度の仕事さえしてくれればそれでいい」
 というのが、雇い主の本音であろう。
 そんな中で上杉の母親の献身的な態度は目を見張っていた。
 やはり、スナック勤めで培った感覚は、生きているのだろう。
 何と言っても、対面式のカウンターを挟んでの一対一の会話が多い場所。相手は仕事仲間には言えないような愚痴のような話を聞いてほしいと思ってやってきている人が多い中、相手に合わせながら、相手に癒しの思いを抱いたまま帰ってもらうことをモットーに働いてきたので、少々の仕事に対してん献身的な態度は、苦にならない。
 むしろ、母親本人は献身的だと思っていないかも知れない。
「これが当たり前」
 と思っているからこそ、見ている方には、余計に健気に見えているのではないだろうか。
 スーパーの店長も、人に仕事を与えることはもちろんのこと、自分から率先して動くことも少なくなかった。他の人もそんな店長の背中を見て自分から動くようにはなっていたが、それが店長の人格から来るものだということを、母親には最初から分かっていた。
――こんな店長のいるところってそんなにないわ――
 と思っていたこともあって、長く続けていけるパートを見つけられたと思ったのは嬉しいことだった。
 店長には、奥さんと子供がいた。いわゆる既婚者である。
 母親は最初からそれを知っていたので、店長を男性として見ることはなかった。
――自分は夫に不倫されて離婚に追い込まれた女なんだ――
 という意識があったからだ。
 どんなに魅力的な男性であっても、その人に奥さんがいれば、自分がその男性に手を出してしまうと、まだ見ぬその人を自分と同じ立場にしてしまう。そんなことは許されることではなかった。
 母親は分相応という言葉を自分はわきまえていると思っている。
 この場合の分相応というには、
――自分は夫に不倫されて離婚に追い込まれた女なんだ――
 という言葉そのものである。
 そんな母親だったが、ある日突然、豹変した。
 店長のことが好きになってしまったのである。
「俺、上杉さんのことが最初から気になっていたんだ」
「でも、店長には奥さんと子供が」
「実は、もう何年も妻とは夫婦のような関係ではないんだ」
 ということは、自分が勤め始める前からということではないか。
「でも、お子さんは?」
「妻になついてしまっているので、俺は孤立してしまったんだ」
 母親の胸に、店長の言った、
「孤立」
 という言葉が響いた。
 もしそれが孤独や寂しさという言葉であれば、女心はくすぐられるかも知れないが、母親には通用しないだろう。しかし、それが孤立という言葉を聞くと、その下に、無縁という言葉を感じた。
 無縁ということは、籍には入っていても、離婚状態も同様だと解釈できたからだ。しかも孤立という言葉、母親にとっては感慨深いものがあった。
 母親は自分が子供の頃、一人の男の子と仲が良かった。まだ異性に興味を持つ以前の小学生の頃のことで、その子は、いつも学校の帰り、河川敷で絵を描いていた。
 当時は、高度成長時代。オリンピックも終わり、大阪で万博が開かれて少ししたくらいの頃で、河川敷の向こう側には絶えず黒い煙を吐いているいくつもの煙突を見ることができた。
 いわゆる光化学スモッグなどの公害問題が深刻化していた頃で、表では高度成長時代と言いながら、貧富の差は激しかった。
 中小の工場は、いつ倒産するか分からない状態のまま、綱渡りのような操業を続け、工場から少し離れたところでも、油や化学製品の嫌な臭いが立ち込めていた。その少年は、そんな工場を、河原の向こうの河川敷から描いていたのだ。
 母親は、
「お花とか、もっと綺麗なものを描けばいいのに」
 と、彼が描いている横に座って、そう話しかけたことがあった。
 前から気になっていたが、なかなか話しかける気分にならなかったのに、その時どうして話しかける気になったのかというと、ちょうど彼が描いている目の前の光景は、工場の煙突の間に真っ赤に燃える夕日が沈んでいるところだった。
 綺麗だとは思わなかったが、今までの印象を覆されてしまいそうな雰囲気は感じることができたその光景を見た時、
「話しかけるなら今だ」
 と感じたのだった。
――もっと、他に気の利いた言い方があっただろうに――
 と、声を掛けた瞬間思ったが、声に出してしまった以上、後の祭りだった。
「うん、そうだよね。でも、俺はこの光景を描きたいんだ」
「どうしてなの?」
 と聞くと、
「花とかは確かに綺麗だけど、変わってしまうものでしょう? 今は綺麗でも、綺麗なままではいられない」
 彼はそこで一旦言葉を切った。
 母親は、少し考えてから、
「だからこそ、綺麗な時期を描いてあげると思えばいいんじゃない?」
 すると彼は、
「そうだよね。でも、それは他の人がやってくれる。ちゃんとそれをする人がいるんだよ。でも、この目の前の光景を描こうという人はそんなにいないだろう。俺は、『ちゃんとそれをする人というのが、この俺なんだ』と思っているんだよ。だから、ここで絵を描いている」
「それが何になるというの?」
「いいえ、何にもならないですよ。俺がこの絵を描いたからと言って、公害問題が解決するわけでもないし、貧富の差がなくなるわけでもない。だから、逆に描かなくても同じことなのさ」
「どういうこと?」
「要するに、俺は描きたいから描いているのさ。それ以上でもそれ以下でもないということさ。理屈なんてくそ食らえだ」
 と、最後はゲスとも思える言葉を投げつけるように言った。
 後で聞いた話だったが、少年は施設に住んでいて、学校の帰りの自由な時間だけを使って、絵を描いているという。どうして彼が施設に住むようになったのかというと、それは少年の父親は、工場からの下請けの小さな町工場を営んでいたが、親工場の業務縮小によって、煽りを食った。そんな時の下請けの小さな町工場などひとたまりもない。結局工場は閉鎖。両親は首を括って心中したのだった。