アレルギーと依存症と抗体と
本当は、そんなことを感じてはいけないはずなのに、どうして感じてしまったのだろう?
これも、絶えず何かを考えているために、先読みしてしまった自分が発想したことなのだろうか。
上杉は、目の前で子供と無邪気に遊んでいる母親をほのぼのした気分で見ていたはずだったが、いつしか、その顔に母親を見た気がした。
――あの無邪気に走り回っている子供はこの俺で、それを温かい目で見守っているのがお母さん……
そう思って見ていると、女としてではなく、違うフェロモンが出ていることに気が付いた。
――これが母性本能というものか――
そんなお母さんが、お父さんの不倫相手と二人きりでバトルをした時、息子の自分にその姿を見せたくないと思った気持ちも分かる気がした。
――子供にとって、親の温かい目が忘れられないように、母親にとっても、昔公園で感じた無邪気で自分を慕っている子供の目を忘れられないんだ――
と感じた。
だからこそ、子供に自分の豹変ぶりを見せたくないというのと、そんな自分を見て、子供がどんな目をするか、それが一番怖かったのかも知れない。
公園のベンチは、高校時代の上杉にいろいろなことを教えてくれた。
毎日同じ光景が繰り返されているだけなのに、毎日少しずつ何かが違っている。それはまわりの変化を感じているのではなく、自分の成長が、微妙に違う高さに見せているのだ。
普通なら、そんなことには気づかないだろう。毎日のように繰り返していると、マンネリ化することで、
――何かが違う――
という意識を持たない限り、永遠に分かることはないに違いない。
そのことを知ったからと言って、それがどう影響してくるのか分からなかったが、知らないよりも知っていた方がいいに決まっている。
そのことが、絶えず何かを考えている自分を裏付けているようで、上杉は公園のベンチで佇むことをやめることができなくなった。
「あの子、また来ているわ」
と、ママさんたちの間で噂になっているのも分かっていたが、それは自分だけではなく、いくつかあるベンチの反対側に、やはりいつも来ている人がいるのに気が付いた。
しかし、その人は年配の男性で、定年後であることは分かっていた。本当であれば、
――寂しい人生を歩んできたんだろうな――
と感じるか、あるいは、
――ずっと仕事人間で通してきて、退職した後、気が抜けたようになってしまったのかも知れないな――
と感じることだろう。
「俺はあんな老人にはならないぞ」
と、その人に対して敵対意識を持った目でいつの間にか見つめていたことに気が付いたのは、公園で佇むようになって三か月くらい経ってのことだった。
その老人を気にするようになってから、大きく変わったことがある。それは、
「今までの三か月はボーっとしていたことが結構長かったと思ったのに、あの寂しい老人に気が付いてからの三か月はあっという間だったような気がする」
と感じたことだ。
「まるであの老人に、若さを吸い取られそうだ」
それはその老人に時間を吸い取られているように感じたからだが、どう考えてもあんなにくたびれた老人に、そんな力があるとは思えない。要は、自分の気の持ちようということではないだろうか。
しかし、その発想は逆だった。
その老人に気が付いたから、時間があっという間に進んでいるように感じたのだ。
もし、あのまま老人に気づかなければ、毎日少しずつ変わっていたことも、時間の流れという感覚も感じることがなかっただろう。
つまりは、その老人は上杉にとっての「反面教師」であった。
――あんな老人にはなりたくない――
という思いが、自分の成長を顧みさせて、最初は成長をどのようにして感じればいいのか分からなかったが、考えていくうちに、毎日の目線が少しずつ違っていることに気が付いた。
単純に、気が付いたことと、自分が意識したことを並べて考えればよかったのに、それをすぐに並べて考えることができなかったのは、老人の存在を今まで意識することができなかったことと、時間の長さの違いに違和感を必要以上に感じなかったことから結びつかなかったのだ。やはり、公園でじっとしていた間、考えているようで、何も考えていなかったのかも知れない。
――すべては、結果から後付けで自分が納得したこと――
それが、自分の考えなのだ。
時系列はあっていても、ピンポイントの時間にはずれが生じている。何とも不思議な感覚だった。
当時、上杉の母親は昼間、近所のスーパーでパートをしていた。
勤め始めて三年くらいは経っているパートだったので、店長や後輩からの信頼も厚かった。パートではあるが、フロアサブマネージャーのような肩書があるらしい。副主任と言ってもいいだろう。
フロアマネージャーはさすがに社員が賄わなければいけないので、そこまではいかないが、店長ですら一目置くほどの立ち位置と、母親の言葉には説得力があったようだ。
その大きな理由は、離婚したことによって、子育てママの視線でものを見ることができたことだった。実際に、子育てのためにパートに出ている人もいたが、彼女たちはあまりにも立場と立ち位置が同じなので、どうしても同じ目線からしか見ることができない。
その点、家族がいる中で小さい頃の上杉を育ててきた経験、さらには、離婚してからの子供への配慮など、いろいろな目線を持っている母親は、他の人と比べて、若干柔軟な目線を持っていたことが、いろいろなアドバイスを行える元になっていたのだ。
「上杉さん、正社員にならないか?」
という話も出てきていた。
母親は、夜も毎日ではないが、週に二度ほど、スナックでお手伝いのようなこともしていた。
店長はもちろん、スーパーでの同僚は誰も知らなかったことである。
スナックではお手伝いと言いながらも、母親を目当てにやってくる常連客も少なくはなく、
「あなたに今辞められでもしたら、うちは困ってしまうわね」
と、常連客の多さに満足しているかのように、ママさんは言った。
もちろん、大げさではあるが、それだけやりがいもあるし、嫌々やっているわけではないと思えることが長続きの秘訣でもあった。
実際には、スーパーのパートの仕事よりもスナック勤めの方が長かった。ママさんは結婚している時からの知り合いで、離婚後相談すると、
「しばらく、ここを手伝ってくれればいいわ」
と言ってくれていたが、そのしばらくが、すでに三年以上経っていたのである。
スーパーのパートも、嫌々やっているわけではない。その礎になったのは、明らかにスナックでのお手伝いだったのだ。
――私って、働くことが好きなのかも知れないわ――
離婚して、とたんにお金に困ることになり、思春期の息子を抱えることになってしまったというネガティブな考えは、最初からなかった。
あったのは、
「とにかくまずは動くことから始めよう。初めてみると、案外動けるもので、動きながらいろいろ先が見えてくるようになった」
という思いだった。
スナックのママさんは、母の味方だった。いや、正確にいうと、いい相談相手だった。的確なアドバイスが母を何度も救ってきたのが、その証拠だと言えるだろう。
「母の味方」
作品名:アレルギーと依存症と抗体と 作家名:森本晃次