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暗闇に棲むもの

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https://www.youtube.com/watch?v=HG5Y1IUVPdM
Béla Bartók - The Wooden Prince, I-II

木賃宿に二人が戻ると、男たちが戻り始めていた。馬を引き、水を飲ませて、厩に入れているところだった。
樵も、狩人たちも、詐欺師ですら泥まみれだった。その表情は、疲労困憊、ある者の瞳には絶望が透けて見えた。ラウルの父親も茫然自失な表情で、重い足取りで戻ってきた。
「おとぅ・・」
父親は力を振り絞って力無い笑顔を見せた。
「しばらくこの宿で足止めを食いそうだ。この先の峠の道は当分の間、通れないかもしれない。荷役業者は明日から一旦谷に降りてから尾根に登る道を見て回るそうだが、整備されていない道らしい。素人の通れるとは思えない。そんな話だ。」
「おとぅ・・」
ラウルがなにかを話したがっているのは分ったが、かまえるほどの余裕が今の、自分にはない。父親は何度も首を振りながら、二階の部屋に戻ると、服を脱ぎ、其のままベッドに倒れ込んだ。
「そんなに酷い状態なのかい?」
あぁ・・と、肯く素振りもせず、腹の包帯を取り、油紙で保護した傷の状態を見る。
荷物の中から軟膏を取り出し塗りたくる。
おとぅは、いったいいつ、怪我をしたのか_?
「おとぅ、痛むかい?」
「あぁ、たいした傷じゃないが、冷えると疼きやがる。」
「いつ怪我をしたんだい?そんな脇腹の方に。」
「・・いやたいした傷じゃないんだ。母さんを見舞ったときに、病院のドアノブに引っ掛けただけだ。」
「あの夜、夜中に見舞いに行ったのかい?」
「あぁ。おまえが眠ってから、病院から仕えが来て、いよいよ最期だって知らせがきてな。」
「母さんは、死んだのかい?」
父親はこくりと頷く。其の呆気無さに息子は、なにか脱力すら覚えてしまった。
「安らかな最期だったよ。」
父親がなにかを隠している。息子の表情から悟った父親は弁解がましく言った。
「お前も知っていただろう。黒死病の死人が出た家は焼かれてしまう。街の人々はもう半狂乱だからな。
夜中でも噂を聞きつければ、彼らは遺体を焼き、家に火を放つ。説得しようがなにをしようが無駄だ。」
あの街の此処数か月の異様な人々の光景は、子供ながらに見ていてよくわかっていた。
だが。父親がなにかを隠している。そう思わせる素振りが気になった。
しかし自らがなにを謀ろうとしているのか、逆に気取られないようにしなければ、と視線を窓に逸らした。
「女将が、今日は皆疲れただろうから、納屋の後ろでハマムをするそうだよ。」
父親は頷くと、声色を変えた。「あぁ、それは助かる。ゆっくりと身体を休めることが出来る。」

やがて宿泊客の男たちは毛布だけに包まりながら、納屋の後ろの部屋に集まりだした。
その愚かしいまでの滑稽さにラウルは、ひととき驚いてしまった。
さて自分はと言えば、父親が裸体に毛布を巻いて包まるのを真似してみるが上手くいかないのを訝しがっていた。二人は毛布を羽織り、納屋の後ろの部屋に向かった。
中には半裸の男たちが毛布に包まり横になっていた。
二人はその中に潜り込み、横になる。焼石と、人の熱気で室内の温度は上がり、呼吸すら苦しいほどだ。
グズタヴは焼石に水をかけると、音を立てて蒸気があがる。すると身体から汗が一気に噴き出す。
男たちは口々に「あの土砂崩れじゃ、当分は通れないな」だの「谷底を通る道はジプシーの山賊がいるから通れない」だの、困難な話題ばかりだったが、徐々に男たちは口籠り、疲労感に頭を垂れた。
「ラウル、ハーヴを鍋に入れろ!」グスタヴの指示に従い焼石の上にかざしてある鍋の中の熱湯にハーヴを投げ入れる。煮だされたハーヴの養分が部屋中に広がってゆくのが分かる。硬直した筋肉を和らげ、疼く傷の痛みを鎮めた。深く息を吸い込み、熱気を胸に溜め込み、ゆっくりと吐く。「ラウル、どんどん入れろ!」グスタヴは豪快に笑った。言われるがままラウルは鍋に、ハーヴの葉を投げ込む。そのとき包まっていた毛布が落ちてラウルの裸体が晒される。何事もなかったように、毛布に包まるが、グスタヴは目を見開き、鼻孔は広がり、しかし口を真一文字に閉めて、噴きあがりそうな怒りを鎮めようと必死な形相になった。父親はその様子に気づき我が子を抱きしめる。その父親を見ながら、辺りを刺激しないように低い声で、グスタヴは重々しく口を開いた。「お前の息子の背中の痣はなんだ?当然分かっているな?」
父親は「生まれついてのモノだ、仕方なかろう。」と相手にしないようにそっぽを向く。
グスタヴは目を瞑り「場所が場所なら。時が時なら。その場で処刑されるかもしれんぞ。」
「偶々生まれついての痣が、そういう形だっただけの事だ、なんの意味もない。」
二人の会話がなんの事か全くわからないようなラウルの様子を見て、「人前で裸体を晒すな。」と忠告した。
「教皇の騎士団に居た頃、命令の元、多くの命を絶ったものだ。中には私には無実のモノと思われるものも多かった。だが、教会の命令に我々は従わざるを得なかった。悲惨な話だ。魔女裁判だと?教会の誰一人、結局はなにが魔女なのか、分かりはしないのだ。だが、疑わしきものは全て罰した。あるものは首を跳ね、或るものは火あぶりにした。だから、私は悔いたのだ。怪我をして足を失ったのは、いまから思えばいい口実だったのかもしれないな。」
父親は、グスタヴが何を言わんとしているか、直ぐにわかったが、気に留めた振りをするのは避けた。だが身を捩った瞬間に、脇腹の傷が開いてしまい、痛みに顔を歪めた。
「どうした?」グスタヴが父親の傷を見ると、まるで歯形のような傷がついていた。
「いや、なんでもない。犬に噛まれただけだ」
「これは犬じゃない。人間だろ?」
グスタヴはこの親子が抱える闇を一瞬にして察してしまったような顔をした。
だがここで騒げば、手も付けられないリンチの場となるだろう。それは避けたい。
 こいつの女房は病ではなく、魔女裁判にかけられたのだ。そして異端審問官に体中を調べ上げられ反キリストの証である痣を見つけたのだ。十字架をひっくり返したような。つまりは息子の背中にあるようなものだ。結婚後に出来たものか否かを確認させるために、恐らくそれを確認させるために、呼ばれたときに女房に噛まれたのだろう。未だ発症していないのであれば問題は無かろうが、運が悪ければ、斬首せねば犠牲者を増やしてしまうかもしれない。グスタヴは鍋のハーヴを少々取り出し磨り潰してガーゼに塗る。「これを患部に貼っておけ。そんな軟膏より効き目が早い。」と父親に手渡した。父親は感謝を力無い笑顔で表わした。それから暫くすると、亭主と女将が入ってきた。男たちは半裸の女将の登場に色めき立った。そして男たちの前で夫婦で抱き合った。ラウルの父親はそのジプシー風のサービスを息子に見せられないと思い、ラウルを外に出てゆくようにいう。「先にベッドでお休み。」
作品名:暗闇に棲むもの 作家名:平岩隆