小説が読める!投稿できる!小説家(novelist)の小説投稿コミュニティ!

二次創作小説 https://2.novelist.jp/ | 官能小説 https://r18.novelist.jp/
オンライン小説投稿サイト「novelist.jp(ノベリスト・ジェイピー)」

暗闇に棲むもの

INDEX|7ページ/12ページ|

次のページ前のページ
 

4


https://www.youtube.com/watch?v=_T7xW6vhuGs
Béla Bartók - Mikrokosmos, Volume II, 37-51

イングリッドに誘われるまま、森の中を行くラウルは、昨夜のあまりに生々しい不思議な夢の事が気になっていたが、まさかイングリッドにそんな話を切り出せるはずもなく、無言のままの時が過ぎた。
少しの上り坂を超えると明るく開けた小高い丘に出た。岩の切り立った中で陽光を浴びそこだけはまるで春の陽の中のように暖かく、草花が繁茂していた。イングリッドは手慣れたように薬草らしい葉を選別して採集するとラウルに伝えた。
「この小さな葉が付いているのがレモングラス、葉の広がったこっちのはペパーミント。とてもリラックスできる成分が含まれているわ。このふたつを集めてくださいな。」
ラウルは無言のまま頷くと、レモングラスとペパーミントの葉を集め始めた。
しばらく薬草を積んでいると、やはりイングリッドが気になって仕方がない。
見るとはなく見ていると。美しい肌をした金髪の少女。
初恋というには、あまりに衝撃的すぎる正に淫夢の中に見てしまった自分が恥ずかしかった。
しかしあの蕾のような胸乳と、哀切極まりない泣き声が頭に纏わりついて、仕事が手につかない。
とうとうイングリッドは切り出した。
「そんなにじろじろ見ないでください。昨夜の事は忘れてください。」

     !

ラウルは奈落の底にまで突き落とされた気分になった。実際には両膝に力が入らなくなり、両手で頭を抱えて肘を地面に落とした。全身から恥辱の念から沸き起こる炎に焼かれたように、一斉に汗が噴き出した。
謝罪と罪滅ぼしを込めて、叫んだ。「ごめんなさい!」と。
生まれてきて今迄出会った中でいちばん美しい女が、折檻され凌辱されているのを見るに堪えられず。
意を決して助けるつもりはなかったのか。
其れなのに、あの亭主と女将の口車に乗せられて。
なんて酷いことをしてしまったんだ!
その最中には事あろうか、夢精して。
欲情してしまった!
しかもそれを今日になって、悪夢を見たに過ぎないと。
自らを納得させようとしていた。いや、勝手に納得していた。
そんな人間だったのか、この私は。
怒涛のように押し寄せる自己嫌悪と燃え上がるような恥ずかしさと情けなさに、後悔等という言葉では足りない程の、詫びることすら出来ないような最下層の人間になったような脱力感に、嗚咽をあげた。

「仕方ないのよ。あの夫婦には雇ってもらっているから」

「だって、酷いじゃないですか!」
「私の居た西の国は不作が続いて、飢餓で死ぬ人もいる程で、私は口減らしのために売られてきたんです。」
「それにしたって、あの亭主と女将さんは君を・・・」
イングリッドのキッと唇をかみしめ俯く姿が、ラウルには辛かった。
「そして僕は_。」

私を連れて逃げて_。

ラウルはその言葉に驚いて、頭を持ち上げると、目の前にイングリッドが立っていた。
息をもかかりそうな距離に。
高鳴る心臓。
そして得も言われぬ怒張。
イングリッドは唇を重ねてきた。
その柔らかな感触に。
感ずる息遣いに。
ラウルは思い切り、渾身の力で抱きしめた。
この幸薄い美しい少女を、なんとしてでも助けたい。
しかし、どうやって、父親を説得する?
父親は反対するだろう、恐らく。
だがしかし、イングリッドを助けねばならない。
そんな思いが交錯し、煮え切らない態度のラウルの耳元に少女の声が届いた。

二人で逃げましょ_。

・・それは出来ない。
だって、恐らくはたったひとりの肉親で。まだ小僧の自分には経済的な力なんてなにもない。
では、どうやって、イングリッドを救うのか。
離したくない。
ずっとこのままでいれたなら。
イングリッドが、微笑む姿が、見たいから。
イングリッドを、ずっと抱いていたいから。

イングリッドの切ない瞳が、涙の滴に満たされて。

今夜は、ハマムをするから、宿泊客は皆納屋の裏に集まるわ。
あの亭主と女将も途中から参加するでしょう、いつもの事だから。
そして心を癒すためのハーヴを炊いて、淫らな行為に朝まで耽るのよ。
それならば、この薬草をハーヴに混ぜてしまえば、身体が楽になり眠ってしまうわ。
そうしないと私はまた凌辱されてしまう・・。

お願い。

「わかった。」
ラウルは煮え切らない腹の底に訝りながら答えた。
自らがどんな立場のモノであるのか、垣間見えた気がした。
そして狼狽え、止めどなく涙が流れ出た。
盲目になれない程、恋を知らない年端のいかない小僧であることが分かったことが辛かった。
だが。チャンスは一度きり。
でも、夜半に何処に逃げるの?
暗闇には得体の知れない魔物がいるし・・。
君は西には逃げられないだろう、僕は南には逃げられない。
北は険しい山だし、東は道が崩落しているというじゃないか_。

大丈夫、東の国に抜けてゆく洞窟があるの。
昔、おばあさんから聞いたことがあるの。
峠を登り切って更に東の斜面を登ったところにワラキアの時代に建てられた古い寺院があるの。
その寺院の地下から洞窟に入ると後は奥に進めば、東の国に抜けられるらしいの。

再び、唇を重ねた。
このまま時が止まってしまえばいい。この時を永遠にするために、ラウルは。決意した。
二人は幼さ故、稚拙すぎる、純粋故に凶暴な謀略を胸に秘めて、木賃宿に向かって歩き出した。
手を取り合って、この先何があろうとも、こうして二人は手を携えて生きてゆくのだ。
如何なる難関が待ち構えようと。
この深い森の暗黒の闇を二人で抜けさえすれば、新しい未来が待っているはずだ。
イングリッドの青い瞳を、再び哀しい涙で溢れさせない為に。

あなたは、ハーヴを焼けた石の上に少しづつ置いて、蒸し焼きにしてくれればいい。ハーブの甘い香りが部屋中に広がってゆくわ。香りが濃くなるにつれて、おとなたちは表情が緩んで。復旧作業で疲れているでしょうから、やがて眠りだすものも出るでしょう。最後に赤い実の付いた木の葉を鍋にかけて。そしたら、あなたは出てきて。私は水と食糧を用意して身支度をして隠れているから。馬小屋の二階に隠れているから。あなたが着替えたら、二階から赤い紐を垂らしておくから、引いて合図して_。

ラウルは頷いた。

作品名:暗闇に棲むもの 作家名:平岩隆