悠久に舞う 探偵奇談17
朝練が始まる一時間ほど前。神末伊吹(こうずえいぶき)は早朝の弓道場でテキストを広げていた。誰もいない静かなこの時間に予習を済ませる、というのは密かなマイブームだった。早起きは全く苦じゃないし、この贅沢な時間が多忙な彼にとっての些細なご褒美なのだ。
「おはよーございます…」
まだ朝練には時間があるというのに、須丸瑞が現れた。熱心なことだなあと感心していたのだが、どうも弓を引きにきたわけではないらしい。長机にテキストを広げた伊吹の隣に座り、ウーンとかヘエとか、ため息をついている。甘い香水の香り。何がしたいのだ。長い腕を机に投げ出し、落ち着かない様子である。
「なんか、話したいことでもあるのか?」
聞いてほしいことがあるのだろう。伊吹はテキストを閉じて向き合う。こういうときは、先輩の自分から水を向けてやるのが配慮だろう。彼は何か相談したいのだ。
「…ちょっと鬱陶しい話かもしんないけど、いいですか?」
「うん、いいよ」
瑞はしばし黙って、膝の上に置いた自分の両手に視線を落としている。伊吹は根気よく待った。自分の中で、何かを整理して言葉にしようとしている瑞の気配が伝わったから。
「一之瀬の好きなやつって俺なんですか?」
やがて彼はそう言った。まるで非難されることを恐れるかのような、罪悪感のような感情をにじませながら。
ああ、気づいたんだ。伊吹はそう思う。一之瀬郁の恋心に気づいたのだ。少し背中を丸めて心細げな顔で、瑞は伊吹の返答を待っている。
「なんで、そう思うんだ?あいつとなんかあった?」
もしかして、郁が気持ちを伝えたのだろうか。
作品名:悠久に舞う 探偵奇談17 作家名:ひなた眞白