悠久に舞う 探偵奇談17
「お母さん…?」
震える声で若菜が尋ねる。お母さんのわけがない。
「右は見えていますが、左は潰れました」
影が、戸の向こうで応えた。ざらりとした質感を持った男の声。ノイズが混じったような不快感を伴う声。これは人間じゃない、確信する。全身に嫌悪感が走る感覚。耳が痛い。
――人間じゃないものが、人間のふりをしている。
そんな感覚が身体中に走り、瑞はあとずさる。死者とも違う。こいつは一対何なのだ!?
「誰だよ、この家に何か用なのか?」
今度は瑞が尋ねる。影が揺らめいた。まるで瑞の言葉に疑問を感じているかのような動きにぞっとする。人間のふりをしているんだ…。
「尋ねても無駄だろう。会話が成立していない。向こうが喋るまで待つ」
静かだが重い紫暮の声が跳ぶ。瑞はびくりと停止する。隣で腕を組んだ兄は、扉をじっと見つめている。この異常な状況をもう受け入れて、何をすべきか考えているのだ。
若菜ももう、何も言わない。震える手で瑞の腕を掴み、きつく目を閉じている。
「……」
無言で対峙する。すりガラスの向こうの黒い人影。物を言わず、戸を挟んで向き合っているだけで、ものすごいプレッシャーを感じる。何の目的があって尋ねてくるのだろう。頭痛がやまない。
影が声を発した。
「入れると、思います」
びくんと身体を震わせる若菜。ざらついた声。
「だめだと言いなさい」
鋭い声で紫暮が言い放つ。
作品名:悠久に舞う 探偵奇談17 作家名:ひなた眞白