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短編集48(過去作品)

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 と感じたほどで、実際に書いてみた。特にその時期は離婚という経験をし、悪い意味だけで人生を逆行してしまうことに戸惑いを感じていた時でもあった。それまでは、
「人間の一生には、誰だって小説を書けるくらいのことはあるものさ」
 と話していた人がいたが、自分はまだまだその域に達していないと思っていたので、それまでは書いてみたいとは思っても実際に行動に移すことはなかった。
 春樹は自分を卑屈に考えていることがある。
――まわりの人は皆自分よりも偉いんだ――
 と思い、
――他の人にできないんだから自分にできるはずはない――
 と思うようにもなっていた。人に話すと、
「それは逃げの考え方だよ」
 と言われるに決まっている。言われることが分かっていても考えてしまう自分が情けない。
 だが一方で、
――俺は他の人にはない素晴らしいものを持っているんだ――
 と思っているもう一人の自分もいる。逃げの考えを抑えているのか、それとも、自信過剰になりがちな自分を逃げの考えで抑えているのか、両極端な自分が存在していることは自覚していた。
――二重人格とでも言えばいいのかな――
 と考えているのはどちらの自分だろう。冷静な目でそれぞれの自分を見つめている。元々の性格が、
――他の人と同じでは嫌だ――
 という考えが根底にあり、それこそが個性に繋がっていると思っている。個性が想像力を呼び、想像力のない人がその他大勢でもいいという消極的な考えに至ってしまう一番嫌いな考えである。
 小説を真剣に書こうと思い、机に座って原稿用紙を眺めていた。自分がまるで作家になったような気分になっていたが、それが却って自分にプレッシャーを与えていたのか、どうしても集中できない。和服を着て、両袖に互いの腕を滑り込ませ、しかめ面をして原稿用紙を睨みつけている光景ばかりが浮かんでくる。原稿用紙に集中しているつもりでも気が散ってしまうのは、そんな自分を想像していたからだ。想像力が豊かであるということはそういう弊害を招くこともある。
 試行錯誤しながら何とか書けるようになったのは、図書館の帰りに、公園の喫茶店で池を見ながらノートに書くようになってからだ。
 部屋で一人で篭っていても書けるわけもないと感じた春樹は、いろいろと試してみることにした。
 まずは図書館で書いてみることにした。一人の部屋と違い、広い空間がゆとりを与えてくると思ったからだが、却ってまわりが気になって集中できない。美術館などの空間と違い、集中力を求めてやってくるには広い空間に漂っている軽く感じていた空気は逆効果だった。軽い空気だと感じていたのは、空気の密度が重いことで、身体を浮かせる効果があった。しかし、実際に集中力を高めようとまわりの空気を肌で感じてしまうと、纏わりついてくる湿気のようなものが鬱陶しい。
――図書館ではダメだ――
 図書館や自分の部屋でダメな理由は、まわりに変化がないからだった。公園の中にある喫茶店の窓際に座って表を見ていると、そこでは外界ならではの自然の営みを感じることができる。まったく動いていないように感じていても、どこかが動いている。風が吹いていないように思えても、木の葉はかすかに揺れているものだ。
 自然の大らかさを知ると、自分の求めていた想像力を思い出した。自分の中に潜在的にある想像力は、自然に触れることで生かすことができる。まさしくそれこそ春樹の目指す芸術というものではないだろうか。
 喫茶店の中はことのほか暖かい。春とはいえ、まだ冷たい空気の残ったこの時期に暖房も入っていない室内はポカポカ陽気に感じられる。桜はおろか、まだ梅も中途半端な状況で、窓から見ていて花見ができそうな気持ちになってくるほどであった。
 最初は自然の描写から始まった。描写は見た目をそのまま書けばいいのだが、それがなかなか難しい。一言で終わってしまうところを、どれだけ膨らませて書けるかということが春樹にとっての最初の課題であった。
 続いて人の描写であるが、最初の頃はなるべく綺麗なものばかりを見ようと考えていた。――綺麗なものをより綺麗に想像して書く――
 これが春樹の目標であった。
 春樹は自分に自信を持ち始めた。
 芸術に造詣が深く、書けなかった小説を書けるようになり、想像力を文字として表現することができるようになったからである。程度のほどはさておき、趣味とは言え、自分の中で目指すものが少しずつ決まってきたことで、自分に自信が持てるようになったのだ。
 ものを作ることが小さい頃から好きで、それだけに想像力もそれだけで終わらせたくないという思いも強かった。
 離婚するまでは、自分の人生はすべて前を向いていると思っていた春樹だったが、離婚を境に人生が音を立てて崩れていくのを感じていたはずだ。
――離婚というのは、結婚より数十倍のエネルギーを使うと聞いていたが、間違いではないな――
 何事にもやる気をなくしてしまった時期があった。仕事に行ってもやる気が出てくるわけもない。
 独身の時は、がむしゃらに仕事をしていて、
――そのうちに、仕事をしている意義が分かってくるようになる――
 と感じていた。それが結婚することで、
――家族のために頑張ることが仕事をしていく意義だ――
 ハッキリと分かったつもりだった。
――誰かのために頑張る――
 さすがに新婚当初は、仕事をしながらでも、仕事を終えてからマンションの扉を開けてから広がっている世界をずっと頭に描いて仕事をしていた。普通なら気が散ることもあるだろうが、春樹の場合は、それが却って集中力を呼ぶ方だった。冷たく乾いた空気の表から、暖かくほんのりと甘みを含んだ空気を全身で感じる快感に酔いしれていたと言ってもいい。それこそ想像力の賜物と言えるだろう。
 だが、離婚の危機を境にその気持ちが一気に萎えてしまった。順応性がないのか、それとも未練がましいのか、立場の変化についていけないでいた。仕事をしていても思い出すのは楽しかった時のことがほとんどで、仕事をしていても上の空、まともな判断力や思考力などあろうはずもない。記憶力すら仕事にまわすだけの力もない。
 離婚して住んでいた部屋も出て、狭いマンションに移った。
 京子は実家に帰ればよかったのだが、春樹は実家からでは遠すぎる。今度のマンションは会社から少し近いところに借りることになった。
 部屋はさすがにあまり上等とは言えない。他の部屋からの騒音も聞こえてきて、最初は気にならなかったが、気分的に慣れてくると、騒音が気になるようになっていた。
 京子と離婚して半年、少しずつ傷が癒え始めてきた頃であるが、さすがに後ろ向きの人生を歩むことなどなかった春樹が小説という立ち直るきっかけでもなければ落ちるところまで落ちていたかも知れない。
――落ちるところまで落ちることなど、自分にはありえない――
 この期に及んでもそう考えていた。離婚することで後ろ向きの人生を初めて余儀なくされても、まだ人生を諦めることがなかったのは、自分の中に想像力の可能性を感じていたからに違いない。
作品名:短編集48(過去作品) 作家名:森本晃次