短編集48(過去作品)
自分のセンスに対しての限界を感じるかも知れない。だが、自分の身体全体から浮き出してくる美しさに無限の可能性を見出すことができれば、センスへの限界も仕方がないと思えるかも知れない。
今までにそんなことを考えたことがなかった。
いつも化粧もせずに、地味な恰好ばかりを好んでしていたのは、あくまでも自分のセンスを否定したくなかったからだ。どんなに背伸びしても身体全体で表現する自分に限界があることを自覚してのことだった。
「それならば、自分のセンスを否定してまで、限界を突破させたくない」
という思いが働いたのだ。
そのおかげで、今までの自分を否定することなく控え目な自分を表現する性格が芽生えたのだ。
まわりの人を見ていれば、同じような性格の人が多い。どうしても同じ性格の人が目に付いてしまうからだろう。
身体全体を生かして限界に挑戦しようとしている人たち、例えばモデルだったり女優だったりする人たちを見ていると、それなりに自分の人生を賭けているところがある。お金も掛けて、自分の人生の楽しみも賭けて、犠牲にすることの方が明らかに大きい。
実際にかなりの精神力が伴わなければいけないだろう。潤子が見ていると、人生の楽しみを放棄しているとまで言えそうに見えるのだ。
恋愛だったり、友達との友情だったり、食事制限もあるだろう。人間の中にある欲、それを抑えることで得られるものを探している。どこか宗教の考え方に似ている。
我慢が伴わなければならないと考えると、そこに抵抗感がある。
――人間らしくない――
という意識が先に立つ。
――人間でいられないのなら、地味な生活を選んだ方がいい――
アイドルを見ていると、一見華やかに見えて、まわりからもちやほやされているが、自分のファン以外の人からは嫉妬で見られているのではないだろうか。華やかなものにも影があり、影を見つけようと必死になっている人もいる。特にマスコミという人種は、アイドルのスキャンダルを目当てにしている人も実際にいるからである。
そこまで考えるのは卑屈になっているからかも知れないが、要するに勇気がないのである。自分を表現するために犠牲にしなければならないものの大きさが分かっておらず、犠牲にすることで受ける自分のショックが計り知れないところから、自分にとっての人生が見えてこないのだ。
――それではどうして今回は、こんな思い切った行動に出たのだろう――
衣装が綺麗だったというだけでは言い尽くすことができないものがある。
確かにショウウインドウの前に立った時に見えたもの。それは自分が身につけて鏡に写った姿を見た時に感じたものに近いものがあった。
――衝撃を受けた――
とも言えるだろう。ではその衝撃が一体何だったのかというのは、今となっては分からない。だが、身につけたことで忘れてしまったのではなく、心の奥に封印されただけのことである。
会場に入ると、圧倒されそうな気分になるが、綺麗な衣装を身に着けている人を見ていても、
――私も見劣りしないわ――
とさっき鏡に写った自分の姿が思い出される。
一瞬にしてそこまで思えるなど、今までの潤子からは考えられない。走馬灯のように今までの地味な自分が思い出されて、ここにいる自分が本当の自分ではないと感じるのではないかと考えていたのがウソのようである。
会場も天井が高く、人の声が通りやすくなっていて、まるで美術館にでもいるようだった。美術館はなるべく音を立てないようにしなければいけないだけに音が却って気になるが、会場はいくら音を立てても、大きな声で話をしても問題ない。
明かりも贅沢に使われている。こちらも光のコーディネーターがいて、いかに綺麗にコントラストを奏でるかが技量として問われる。だが、実際には見えている明るさよりもかなり節約しているのだろう。いかに少ない予算で、より多きな効果を得られるか、それが腕の見せ所だ。
だが、会場にいる人はそんなことを考える必要はない。与えられたものを素直に感じればいいのだ。いかに素直になれるかが、この場での楽しみ方の一つと言えるのではないだろうか。
光があれば影がある。
しかし、この部屋は白を基調としたコントラストを奏でていることもあって、なるべく影ができないように施されている。
影がなければおのずと部屋の広さの感覚が麻痺してしまい、四隅すら分からなくなるだろう。
それが部屋を広く見せるこつではないだろうか。潤子は部屋を見渡しながら考えていた。
――素直に見れないところがゴージャスになりきれない私なのかも知れないわ――
潤子にとって、すべてが初めてであった。思い切って来てみたことがよかったのか悪かったのか、部屋に入って最初に
――よかったんだ――
と感じた。
ここまで来るまでに、いろいろな感覚を味わった。麻痺してしまいそうになることも若干あったりしたが、それでもその時々で素直に感じながらここまで来たのだった。
まわりの視線を感じる。たくさんの女性の視線、男性の視線。どちらを痛く感じるかと聞かれれば、
「女性の方が痛い」
と答えるだろう。
今まで自分が浴びせていた嫉妬の視線が、浴びせられたものに痛みを感じさせるものだということを初めて感じた。だが、その痛みは心地よい痛みであって、決して苦痛を伴うものではない。
痛みを与えることはなくとも少なくとも嫌な思いをさせることができるはずだと思っていた。だが、逆に痛みを与えることができるくせに、その痛みが快感に変わるほどのものだということを、まさか思いもしなかった。
子供の頃に、針を腕に軽くつんつんと叩くと心地よさを感じたことがあった。
最初は部屋で一人何も考えずに突いていたのを、母親に見つかって、
「潤子、一体何してるの。バカな真似はよしなさい」
とすごい剣幕だったのを思い出した。
「何をそんなに怒っているの?」
と聞きたいのも山々だったが、そんな雰囲気ではない。
手に持っていた針をすばやく奪うと、蚊に刺されたかのような赤い斑点がポツポツとなっている腕をしばし見つめていた。腕に視線は釘付けになっていて、母の顔が見る見る真っ赤になっていくのを感じた。まるで赤い光が当たっているかのようだった。
「ハッ」
我に返った母は、急に踵を返すと、針を持って立ち上がり、隣の部屋に消えていった。その時の母の表情を潤子は忘れていない。後にも先にも母のそんな表情はその時限りだった。
たまに何かに見とれていて、急に我に返ることは潤子にも時々あった。
「潤子、どうしたの?」
友達から声を掛けられて、
「何が?」
「何がって、急に何かを見つめるような表情になっているかど、何を見ていたの? 虚ろな表情だったわよ」
と言われて、それ以上答えられなかった。
一体その時に何が見えたというのだろう。痛みを感じることもなく、恍惚の表情だったというが、今から想像すればできないことはない。だが、それは子供の頃の自分ではなく、今の自分である。ひょっとして、子供の頃に見えたものは、針を腕に刺している今現在の潤子だったのかも知れない。
作品名:短編集48(過去作品) 作家名:森本晃次