短編集48(過去作品)
つまり、何度も同じ夢を見ているということだ。となると、ここから先は想像がつく。
壇上にいるのは自分ではない。自分の作品の主人公である。そして夢こそが自分の作品。願望が小説になって、小説が夢に現れる。
誰もが持っている嫉妬心、嫉妬心を一心に受けるというのはどんな気持ちなのだろう。いつも嫉妬する側しか感じたことがないが、嫉妬される側の気持ちをきっと一度は感じてみたいと誰もが思っているに違いない。
夢の次の日、出版披露パーティが催されることになっていた。直接的に潤子の担当ではないことから最初は行く気がなかったが、
「三宅さんもぜひ」
と担当作家の先生から頼まれていて、どうしようかと迷っていたところだった。
本当なら嫉妬だけしか湧いてこない場所に顔を出すなど絶対に嫌だと思っていたが、頼む相手が自分の担当する作家であれば、無碍にも断れない。
「じゃあ、私も参加いたしますわ」
そんな気持ちになったのは、通勤途中にあるショウウインドウから見えるドレスの美しさに魅入られていたからかも知れない。
自分のイメージには合わないほどの派手な衣装。まるでウエディングドレスのようで見た目は重たそうだった。
貸衣装なので、一度くらい着てみてもバチは当たらないと思った。見れば見るほど次第に衣装が大きく見えてくる不思議なもので、表からじっと見ているとまわりの視線も気になるので、とりあえず中に入ってみた。
「いらっしゃいませ」
さっそく一人の女性が寄ってきたが、控えめな雰囲気で、押し切る雰囲気を感じさせないところが嬉しかった。
「この衣装」
「これは、ここの目玉商品でございますね。借り手の方も多くて、いくつか同じようなものを作ってはいるんですが、それぞれに少しずつ違うところがあって、お気に召すものであればよろしいかと存じます」
「私に似合うかしら?」
「皆さん、最初はそうお感じになられるようですが、試着されますと、すっかりお気に入りになられますね。それがこの衣装の特徴でもあります」
なるほど、腰のラインだけがくびれていて、後は膨らみを感じさせるので、普通体型の人であれば、それほど問題なく着用できるであろう。潤子も試着してみた。
「お似合いですわよ」
試着ルームの姿見に写して見てみると、衣装の大きさがハッキリと分かる。しかも次第に大きくなっていくように感じるのは、鏡に写った自分の顔が小さく感じられるからだった。
まるで衣装の下にもう一人誰かがいるような感じで、違和感すら感じられる。それでも店員から、
「実にお似合いですわ」
と言われると、今度は衣装が小さくなっていくようで、ちょうどバランスの取れたところで落ち着いた。
――本当に似合っているのだろうか――
自分に似合っていると思えるのは、鏡に写った姿が、いろいろ変化して最後にちょうどいいところで落ち着くからかも知れない。
衣装は会場まで運んでくれることになった。これもサービスの一環である。
パーティが終わると、そのまま返すことになるが、ホテル側に預けておいてもいいことになった。本当にパーティの時間だけ綺麗になれる時間限定のお姫様、「シンデレラ」になるのである。
化粧は会場入りしてから行った。衣装を着るのに部屋を借りることができたが、その部屋は薄暗い部屋であった。
窓があって、薄手のカーテンが引いてある。部屋を借りた時間は午後七時、会社が終わってやってくる時間ではそれ以上早くもできない。パーティは午後七時半からとなっているため、これ以上遅くても問題がある。
ホテルまではバスを使った。ちょうどラッシュの時間なのは覚悟していたが、想像以上に道が混んでいる。
「月曜日だから仕方がないわね」
月曜日というと、どうしても人の移動が多い。車の数も普段よりも多いだろう。
バスに乗っている時間、西日が差していた。久しぶりに雲ひとつない天気で、差し込む日差しが痛いくらいである。前日まで降り続いた雨の影響で、湿気をたっぷり含んでいるので、バス停まで歩いただけで汗が吹き出してきそうだった。
すでに日傘が必需品の毎日、普段は地下鉄を使っての通勤なので、あまり眩しさを感じることはなかったが、久しぶりに感じる汗と眩しさに、
――やめておけばよかったかしら――
とパーティへの出席を決意が揺らぎかけていた。
別に義理立てることもない。今までだって、頼まれて断ってきたではないか。今さら承知しても今までのイメージが消えるわけではないだろうし、断ったとしても、今までと変わりがないイメージが続くだけだ。他人の目を気にすることがなかった潤子が何を思って衣装を決めたのか、自分でもよく分からない。
衣装にしてもそうだ。今まで地味な恰好しかしたことのない潤子が、いくら衣装を気に入ったからといって、今までにない過激とも言えるイメージチェンジは、危険性をはらんでいるのではないだろうか。
いつも地味で、異性への意識もほとんどなく、しかも女性からどのように見られているかが気になっていたが、何とか自分の中でごまかしてきたつもりだったのに、いきなり派手な恰好をして与えるイメージは、ロクなものではないだろう。
注目を集めなかったとすれば、
「何を今さら目立とうとしているのかしらね。ついに彼女もおかしくなったのかしら」
と言われかねない。今まで地味な恰好をして目立つことを嫌っていたのは、そんな誹謗中傷に自分が耐えられないと考えていたからだ。
逆に注目を浴びると、今度は嫉妬のあらしである。
だが、これは望むところだ。今まで自分が押し殺してきた感情の中に、嫉妬が芽生えるのが恐ろしくて派手な恰好をしている人の近くに寄りたくなかった。最初はそんな自分が嫌だったが、ここで一気に目立ってしまうと、
「それ見たことか」
とまわりを見返せる。
だが、すべては見た目での判断である。目立つということは今までの自分にはないものをまわりが求めているから興味を引かれるのだ。派手な恰好をするには話しかけられてもしっかり相手に合わせられるだけの精神状態でなければ、その場に存在していることが辛くなってくるだろう。そのことに自信がなかったのだ。
だが、今までパーティに何回も出席しているわけでもなく、ごく少数の人しか潤子の存在に気付かないはずだ。同じ会社の人にも絶対分からないと思うくらいに変装できる自信はあった。
バスを降りた頃には、日差しもなくなっていて、ビルの谷間から少し赤い光が漏れていた。ホテルまでは五分くらい歩く程度である。表通りから少し奥まったところにあるので、その分少し歩かなければならない。
ビルの谷間になっているところには影があるが、影に入るとさすがに涼しい。狭い通りではあるが、それでも車の通りは少なくなく、ヘッドライトをつけている車もあれば、無灯火の車もある。繋がって走ってくる車の後ろはライトをつけていて、前の車はつけていないと、実に危ない。前の車が一瞬消えたように見えるからだった。
ビルの谷間を歩いているのに、風がない。歩いていて汗がまたしても吹き出してくるが、涼しさがあるせいか、噴出した汗が冷たく感じるので、意識していないと、風が吹いていないことに気付かないだろう。
作品名:短編集48(過去作品) 作家名:森本晃次