コート・イン・ジ・アクト3 少数報告
02
「今日は諸君に新しい仲間を紹介する。こちら、前田奈緒(まえだなお)巡査だ」
隊長が整列しているおれ達に言うと、その横で若い婦警が、
「前田奈緒です。よろしくお願いします!」
と元気よく言った。いかにも社会人一年生といった感じの初々(ういうい)しさだ。
「えー、彼女は殺人予知能力を持った警察官として当県警に採用され、警察学校での教育を終えてこのたび正式に巡査となった。特別捜査官の扱いだが、採用試験、学校での成績ともに優秀なものであったと聞いている。普通に一般試験を受けての採用だということだ」
特別捜査官というのは昭和の昔の頃からある。名前だけ聞くと凄そうだけど、たとえばコンピュータの専門家を警察学校に入れちゃってとにかく必要なことだけ教え、コンピュータ犯罪だけの刑事にするとかいうようなやつだ。だからあれがそうだと聞いてドレドレと眼を向けたとしても、あまり体力バカ、いやその、警官らしいふうには見えない。警察官採用試験は十人受けてひとり通るかという難関だから、やはり運動だけじゃなく頭脳も優れていないことには合格なんてできないのだ。おれが言うと説得力があるだろう。
「さて当面、前田巡査は研修を兼ねて厚木警察署総務課に配属されることになる。そのため今日は挨拶だけということになるが、しかし我々と行動を共にする機会もいずれ出てくるだろう。その時はよろしくやってくれ」
神奈川にはいま現在、二十人ほど殺人予知能力者がいて、その半分が特捜官だ。どこの県でも大体そんなところだろう。二十もいれば数は足りているのかというと、決してそんなことはない。
人は夜には眠らなければならないが、殺しは時を選ばない。感知したならすぐに連絡できる態勢をとってもらわなきゃならないが、人間は風呂にも入ればトイレにも、買物だとか床屋とか行かなきゃならないところがある。休みがあってないような仕事はいくらでもあるが、それらのどれと比べても計り知れないほどの負担を能力者は強いられている。
休みが取れないというだけでない。人が殺され、事故に遭うのを突然に、自分がそうされるように感じてしまうというのはやはり、彼らにとっても非常に恐ろしい体験なのだ。
だからたとえばクルマの免許なんかは取らせるわけにいかない。運転中に人の死を予知しちゃったら自分が事故を起こしかねず、それで人をハネたとしてもその予知はできない理屈なのだからだ。
殺しはざっと週に一度、事故死ならば毎日みたいに感じるという。そんな生活しなきゃいけないというだけで普通は人生がヤになるだろう。どっか滅多に人の死なない離島なんかに行きたいよ。飛行機乗った。安全ベルトをお締めください。これより当機は離陸します。やったぜひゃっほー、もう予知なんか知らねーよ!
――と、そうできたらいいんだが、次の日彼はこんなニュースをテレビで見ることになる。
『〇〇の町で昨日(さくじつ)人が殺されました。殺人予知者がどこかへいなくなっていたため未然に防ぐことができず……』
そんな力を持つことはその人にとって呪いであり、逃げることはできないわけだ。まあ中には離島に住んで決して外に出ようとしない能力者もいるにはいる。人権派の作家なんかがそいつのところに押しかけてって本を書き、普通はあまり買わないだろうが図書館のすごく奥の方にある棚にズラズラ並べ置かれることになる。内容はどれもおんなじだから背中だけ見れば充分だ。
しかしほとんどの能力者は自分の町に踏みとどまって人の死を未然に防ぐ道を選ぶ。それは呪いに打ち勝つため、愛する者を護るため、犯罪を決して許しておかないため、他に仕事もないもんだから仕方なく、と理由はいろいろあるだろうが、しかしやっぱり人間だから、そんなの毎日やっていたんじゃ身がもたない。
だからみんなで代わりばんこに休みを取って、南の島でバカンスなんか決め込んでいる。あちらこちらに能力者用の保養所があって、食事はおいしく宿泊料は格安という。羨ましいと言えるかどうか……。
まあとにかく神奈川にいま二十人いると言っても、うち三、四人はいつもどっかの島や山奥で休んでるのだ。そして交替で寝てもいるから、特捜として勤務に就いているのも一度に三か四人。
だから多いと言えないのだが、それでも神奈川はまだいい方だ。現時点で殺人予知者は日本に一千人ほどで、五十の県に二十人ずつ割り振るようなことになるが、どの県でも人数は決して足りていると言えない。できれば二倍三倍欲しいというのが今の警察の実情という。
北海道など土地の広いところはもっと。道(どう)全体をカバーするのにできれば百人欲しいというが、だからといって人口の多い東京や神奈川の数を減らすわけにいかない。
そしてまた〈能力的〉な問題もある。たとえ予知の能力があっても、人材としての能力がないのならば使えない――殺人予知者は予知能力があればいいというわけにいかないのだ。
まさか頭にプラグを挿したり、薬液プールなんかに漬けて彼らの見たものを映像として取り出すなんてできるわけもなく、技術的にもし可能だったとしてもやっていいわけがない。だから彼らには〈瞼に視〉たものをよく覚え的確に説明してもらわなければならず、時にゲンジョウに同行して救命部隊のバックアップを務めてもらわなければならない。
殺人予知特捜官にはそのスキルが求められる。だから〈視〉るのがひとりより、何人もで予知する方が情報量が増えるというのが理屈であり、もしその中に絵を描くのがうまい人でもいてくれるならこれほどありがたいことはない。ただひとりの人間に期待するには限度があるから、人は多けりゃ多いほどいいのだ。
殺人予知者にとってみても、ただでさえ生きていくのが大変なのに、市井にいると苦労だらけだ。偏見を受けることも多いし、あまり普通の仕事はできない。保養のための休みを取るのも難しいし、休んでいたら経済的にも苦しくなる。
警官になればその点いろいろ便宜が図ってもらえるわけで、特捜官として彼らを採用するのには能力者救済の意味もあった。
殺人予知者は特捜であれ民間であれ、どこで何をしていても、予知をしたならただちに専用携帯電話で報告することになっている。そして常に数人は警察署などで勤務に就いていてもらわなければならない。
いつ何時(なんどき)、サッキュウ(殺人課急襲隊)のバックアップに出てもらうことになるかわからないのだ。そのためにもひとりでも多くが求められており、今は充分な数と言えない。
いつかの伊勢佐木通り魔の時も最初だけは特捜官がゲンジョウに出張っておれ達を支えてたのだが、それができるのもその態勢が常に整えられてるからだ。民間の能力者に本物のヤバい通り魔事件のバックアップなどさせられないし、特捜でもあまり弱っちくちゃいけない。頼りになる本当の警官としての殺人予知特捜官は全体の一割いるかどうかだという――だから全然今は充分ではないのだ。
作品名:コート・イン・ジ・アクト3 少数報告 作家名:島田信之