コート・イン・ジ・アクト2 通り魔が町にやってくる
いかなる状況に際しても被疑者を殺さず確保するのを隊の誇りと心得よ――昭和の頃から掲げてきた官僚の保身のためのマヤカシ文句が、ただたんにそれを最初に破る部隊が自分のところになってはいけないというだけの理由で叫ばれた。ウチの部隊は優秀だからどんなに凶悪な人間でも射殺なんてしないんだ。そうだろ? そうだよな? そうだよな?
死体の山が積み重なった。日本は通り魔天国となった。日本警察が通り魔に無力と証明された以上、殺しを止めるものはない。嵐は吹き続け、荒れに荒れた。
――が、それがピタリと止む時がきた。それも通り魔がきっかけだった。街中でメイクマイデイと行こうとした通り魔を私服刑事が警告抜きに射殺する事態が起きたのだ。
しかし誰がやったのか正確なところはわからなかった。撃った刑事はなんと四人もいたからだ。
四人は口を揃えて言った。「いえ、私じゃありません。私は規則に従って、何度も警告したうえで空に向けて威嚇発砲しただけです」と。
彼らは拳銃を取り出して見せた。リボルバーの蓮根のような五つ穴の弾倉からは、確かにどれも一発ずつしか発射されてないように見えた。
しかしそれもちょっとおかしな話だった。通り魔は八発の弾丸で穴だらけにされていたのだ。さては四人の中にひとり、バンバン撃って、それからタマを込め直してまた撃ったやつがいるのか……。
弾丸の旋状痕を調べれば、それが誰かを知ることができる。だが結局、その検査はされなかった。真実は誰の目にも明らかだったが、証明など決してしてはいけないこともまた明らかだったからだ。
たまたま撃てる位置にいなくて銃を抜かなかった刑事らも、口を揃えて証言した。警告がされなかったなんてことはありません。私は確かに聞きました。そして見ました。発砲はすべて空へ向けたものです。
彼らの直属上司である係長が最後に呼ばれた。警察組織からすればあくまで下っ端でしかないその警部補はシャアシャアと言った。私は部下達を信じます。市民の中に隠れた殺人予知者がいて、〈正義の味方〉になろうとしたのじゃないでしょうか。としたらけしからん話ですね。
審問にあたった者達は、返す言葉をなかなか見つけられなかった。ようやく言った。表向きにこの件は、正当な指示の元に四人が二発ずつ撃ったことになるだろう。君達は何も心配しなくていい。くれぐれも真相は誰にも言わないように。
警部補はもちろんですと頷いて言った。謎のヒーローがいるなんて決して誰にも言いません。
審問員らは忌々しげに彼を睨む他に何もできなかった。無論、彼らにもわかっていた。この真相は隠せない――いや、既に日本中に広まっていると。今後、下の者達は同じやり方で事に対処し、そして言うことになるのだと。
「俺は知らない。撃ったのはきっとナントカマンだろう」と。それに対して自分達はまったく何もできないのだと。
残された道はひとつだった。射殺権限を与えた部隊を正式に作り、一般の警官からは拳銃を取り上げるのだ。速やかにそれは実施されるだろう。そうするしかないのだからそうするしかない。
それはひとつの時代の終わりだ。けれどこの時、一部の警察官僚は不思議に清々とした思いを味わっていたとも言われる。彼らはこう思っていたと――。
かつて明治の帝国主義者は侍から刀を取り上げ、巡査にサーベルを渡したが、別にフェンシングなど教えなかった。抜いてはいけない銃を持つ警官など滑稽だと揶揄される時代が来ると思わなかった。
民主主義ではそうなるのだ。天皇陛下が現人神でないならそうなってしまうのだ、というのがわかっていなかった。そして公務員試験では現実と違う答が正解となった。
警察はメンツを守るため、ただ優秀であろうとしてきた。成績を維持さえすれば尊敬されると役人の頭で考えてきた。その考えが間違いなのをほんとは誰もが知っていながら変えることができずにいた。
しかしこれから、またサムライの時代になるのかもしれない。そうあってほしいと彼らは願った――そう言われている。真に誇りある者が自らの命を賭して他がために戦ってこそ、人は喝采を送るのだ。警察が信頼を得るのには、やはりヒーローが必要なのだ。次代を担う者達にサムライの心があるのなら、その肩に懸けてみるのもいいだろう、と。
作品名:コート・イン・ジ・アクト2 通り魔が町にやってくる 作家名:島田信之