コート・イン・ジ・アクト2 通り魔が町にやってくる
08
「〈かけ〉でいいの?」
おれが聞くと、田沼のおっさんはニコニコして頷いた。
「もちろんです。あったかいものが食えるんでしたら、何も贅沢は言いません」
その笑顔と壁のメニューを見比べた。おれはちょっと考えてからおばちゃんに言った。
「天ぷらつけてあげて」
伊勢佐木署の食堂だ。『腹が減った』と言うおっさんに、いつの間にかおれはうどんを奢ることになっていた。一体なんでこうなったのか、おれにもよくわからない。
「ああ、天ぷらうどんなんて幸せです」
そう言われると悪い気はしない。悪い気はしないが、これでいいのか。零子と三人でテーブルを囲んで、おれは複雑な気分だった。複雑な思いで食べるうどんは複雑な味だ。
一方、おっさんはゴキゲンでうどんをすすり込んでいる。
「ずいぶんとおいしそうに食べますねえ」と零子が感心したように言う。
おれと零子がまだ半分も食べないうちに、おっさんは一杯すっかり平らげてツユまで全部飲み干してしまった。そうしてまだ食い足りない野良猫みたいな顔でおれを見る。
「もう一杯食べる?」
「いやあ、その、あはは」
財布を出すことになった。
「ちょっと聞くけどさ」
と、おれはおっさんが二杯目を取ってきたところで言った。
「さっき、包丁取り上げたよね。なんであんた、また持ってたの」
「いやあ、ちょっと、セットで買っていたもんすから」
「セットで」
「その方がお得でしょう?」
「って、何本のセットなの?」
零子が聞いたが、おっさんは耳がない顔で応えなかった。
「あんたには台所がないだろうが。いつもどんなとこに寝てんの」
おれはうどんを食べながら聞いた。これは別に訊問じゃない。殺急隊はデカじゃないから、取調べなんてことはしない。現行犯でパク(捕縛)ったホシを最寄りの所轄警察署に引き渡したら、普通はハイさよならだ。ところが今日はこの無差別通り魔事件を刑事が刑事事件として扱ってくれようとしない。だからただなんとなく話をしてるだけのことだ。
「今は、ガード下ですね。公園とか、地下道なんかに寝ていたこともありますけど」
「テント小屋みたいなのは造んないわけ」
「ああいうのは、それなりにうまくやってる人が造るもんなんですよ。要領のいい人ならば、拾った材料で道具もなしに、ちゃんと暮らせる〈家〉を造っちゃう――雨風防いで冬の寒さも凌げるようなね」
「うん」
おれが頷くと、零子も「考えてみると凄いですね」と言った。それから、
「今どきは、どのテントも屋根がソーラーじゃないですか。『まだ使えるソーラーパネルを捨てるやつがいるんだよー』かなんか言って、付けちゃって。あれでお湯を沸かしたりテレビ見たりしてるんでしょう?」
「そうなんですよ」
「凄いですねえ」
「あのな」とおれは零子に言った。「そんなもん、別に今どき珍しくもないだろうが」
「まあそうだけど」
と零子が言う。そうだ、サイズ20か30インチの簡易ソーラーパネルなんて、今は安く売っている。おれも一台、警察寮の自室の窓に置いていて、電気ポットの湯を沸かしたり扇風機を夏に回したりしてるが、それ一台が電気ポットや扇風機と同じくらいの値段だった。そりゃ簡単に捨てるやつもいるだろう。それを拾ってテントに据えるホームレスもいるだろう。感心して言うほどのことか。
「そういう人は空き缶なんか集めるのもうまいんですよ。そこがあたしは全然ダメで、どんどん先を越されちゃう。何年やっても猫も飼えないんです」
「猫」
「よく飼ってる人いるでしょう」
「いますね」
と零子。だから、そりゃいるけどさ。こんな話をしてる場合か?
「そもそも――」
と、おれは言いかけて、しかし言葉を呑み込んでしまった。
『そもそもどうしてそんな生活するようになったんだ?』そう聞こうと思ったのだ。しかし、聞いてどうなるのか。おれが本当に納得できる答が得られるものなのか。
人間誰しもどこかで一歩間違えば、犯罪者にもホームレスにもなり得るものなんじゃないのか。そのときおれが人に聞かれて、『ハイこれこれこういうわけで』とスラスラ答えられるだろうか。このおっさんの生き方が人として間違ってるとどうして言える?
言えるな、と思った。少なくとも、通り魔は良くない。
「猫が飼える程度にうまくやれんなら、通り魔はしないってこと?」
「そりゃ、猫がいたら、できないでしょうね。置いてムショへは行けませんもの」
「うーん」
「そもそもどうしてホームレスになったんですか?」
と零子が、おれが悩んで聞けなかったことをアッサリ聞いた。
「まあ、あたしは、何をやってもてんでダメだったんですよ。仕事はできないし、怒鳴られてばっかりで。で、こうなったんですが、ホームレスになってもダメとはまさか思いませんでした。空き缶も拾えないんですからねえ」
「空き缶拾いが難しいんですか」
「あれは根気と目敏(めざと)さがなきゃできません」
とおっさんは言った。大袋ひとつ集めて何百円という話だが、それがどれだけ大変なことか考えてみろと言われると、
「なるほど。いつも普通に思って見てるけど、あれって凄いことなんですねえ」
零子がウンウン頷いている。だから、仮にもサツカン(警官)がさ、感心して聞くなってんだよ。公務員としてそれでいいのか?
「だからあたしなんかもう、ムショに行くしかないかと思って」
「いや、あのさ」おれは言った。「だからってなんで通り魔なわけ?」
「だって別に悪いことじゃないでしょう」
「悪いことだと思ってよ」
「でもどうせ未然に止められるんですからね。逆に聞きますけど、通り魔がなんでそんなに悪いんですか」
「悪いとか悪くないとかじゃなく……」
割り箸で丼の縁を叩いて言った。
「おれが聞いてんのは、なんか他にないのかってことだよ。あるだろいろいろ。ほら、たとえば食い逃げとかさ……」
「食い逃げならいいんですか」
「いや、別に、勧めるわけじゃないけれども」
「食い逃げなんて」首を振った。「あたしにはとても、そんな悪いことはできません」
「そうなの?」
と言った。サツカンのおれが言うのもなんだけど、食い逃げとはそれほど重大な犯罪だろうか。
「食い逃げなんて」
とまたおっさんは言う。
「マジメにお店をやってる人が、お客さんにおいしいものを食べてもらおうと頑張って日々の商売をなさってるのに、あたしみたいなのが入り込んでタダ食いしようなんてとんでもないことで、人として許されることじゃありません」
「うーん」
そう難しく考えずにさ、軽い気持ちでやっちゃえよ、とは警官として言っちゃいけない。
「でも、実を言うと、食い逃げもやってはみたんです」
「ん?」
「でも、どうもダメなんですね。食い逃げもダメ通り魔もダメ。何をやっても何度やってもうまくいかない」
通り魔を何度もやってるのは知ってる。しかし、「食い逃げも何度もやったの?」
作品名:コート・イン・ジ・アクト2 通り魔が町にやってくる 作家名:島田信之