「あの世」と「寿命」考
ただ、この考えが結論なのかというのも怪しいもので、本当の結論はもっと先の方にあるもので、気付いていないだけなのではないかと思うと、夢には何か無限の可能性があるのではないかと思うようになった。
夢を見る時というのは、どういう時なのか。たとえば身体が疲れている時によく見ると言われることもあるし、精神的に何か気になることがあれば、それが夢となって現れることがあるという。
そういえば、夢遊病というものがあるという。実際には見たこともなければ、身近に夢遊病の人がいるなど聞いたこともない。昔は結構いたという話も聞いたことがあり、最近ではなかなか聞かない。
――ということは、夢遊病になるには、それなりの時代背景のようなものがあるんじゃないかしら?
そう思うと、肉体的な面よりも精神的な面で夢遊病になりやすい時代があるのではないだろうか。夢遊病が遺伝によるものだとすれば、また考え方は違ってくるのだろうが、もし遺伝性のあるものだとしても、すべての人が遺伝からくるものだとは言えないだろう。実際に最近は聞かないのだから、遺伝性があったとしても、その確率は低いのではないかと思われる、
夢遊病の人をテーマにした小説を読んだことがあった。あれはミステリーだったが、夢遊病になる人の定義として、
「何か気になることがあって、それを確認したくて、夜歩いた」
という説明になっていた。
しかし、少しおかしいようにも思う。夢遊病の人というのは、無意識に歩いているのであって、本当に前が見えているのかどうか疑わしいものだ。それなのに、どこかにぶつかったり、ひっくり返ったりもせずに、目的の場所まで辿り着けているのだ。小説だからなのかも知れないが、本当に夢遊病という病気が存在し、夜歩く人がいるのだとすれば、無事に済む可能性というのがそれほど高いとは思われない。もし事故などが起こったとすれば、それなりに重大な事象として検討されるべきであって、社会問題としても取り上げられるべきであろう。それがないということは、それだけ事故の数が少ないということであり、その理由としては、夢遊病患者が絶対的に少ないということを示しているのだろう。
裕子と夢遊病についても話をしてみた。
「確かに綾子の発想に間違いはないと思うんだけど、私は少し違った考えを持っているのよ」
「どういうこと?」
「普通の夢だって、目が覚めるにしたがって忘れていくものだって私は思うんだけど、夢遊病も夢の一つだと考えると、まさに夜歩いている時に意識がないわけではなくて、目が覚める時に普通の夢のように忘れてしまっているだけなんじゃないかって考える方が、よほどありえることではないかって思うのよ」
綾子は、まだよく分からなかった。
「というと?」
と聞いてみると、
「だからね。夢遊病だと思っているけど、本当は意識もしっかりしているんじゃないかって思うの。ただ、本人の中でそれを夢だと思い込んでいるので、目が覚めるにしたがってその時の記憶がなくなってしまっているだけだってね」
という裕子の意見に対して、
「ということは、夢遊病だと思っているのは、普通に夢を見ているようなものだっていうこと?」
「そうじゃないかな? だから実際には見えていて、意識もしっかりしているんだから、どこかにぶつかることもない。ただまわりから見ていると、夜中に一人で徘徊しているんだから、十分怪しいわよね。それを何かの病気なんじゃないかということで、夢遊病という病名をつけて、あたかも病気のようにしているだけなんじゃないかって思うの」
「じゃあ、最近、夢遊病という言葉をあまり聞かなくなったのは?」
「ひょっとすると、これを病気ではないという研究結果が出ていて、それが学者や医者の間で浸透したことで、誰も話題にしなくなったのかも知れないわね。これはあくまで私の考えでしかないんだけどね」
綾子は裕子のこの話に納得できるものを感じた。
「なかなか裕子は斬新な考え方ができるのね」
別に皮肉のつもりはなかったが、ひょっとすると皮肉に聞こえたかも知れない。
「そうでもないわよ。考え方を少し変えればいくらでも発想は浮かんでくるものじゃないかしら? 人と同じ考え方をしても、面白くもなんともないじゃない。それは綾子だって同じだって思うの。だから私は天邪鬼だって言われても別に気にしないし、却って嬉しいくらいなの。それだけ他の人にはない発想を抱く力を持っていて、他人も無意識にそれを認めているということでしょうからね」
裕子の言葉には少し棘があったが、綾子は気にすることはなかった。綾子は少し天然なところがあると言われるが、それは相手が皮肉を込めた言葉に対して、案外と気にすることなくスルーすることが多いからだった。
それは綾子の性格の特徴でもあり、自分でも分かっているつもりだった。そんな性格を綾子は嫌いではない。だから天然と言われて困惑する表情は見せるが、決して嫌だとは思っていなかった。
「夢の共有の話なんだけどね」
夢遊病の話が一段落した時、裕子からそう言われた。
「ええ」
「私は夢の共有と夢遊病というのはどこかで結びついているような気がするのよ」
「どういうこと?」
「夢の共有というのは、自分が誰かの夢に出ているという発想と、誰かが自分の夢に入り込んでいるという発想との二つがあると思うんだけど、綾子はどう感じる?」
「ええ、私も同じ感覚を持っているんだけど、それって分かるものでもないと思うので、私は人が自分の夢に入り込んでいると思うようにしているのよ」
「どうして決めつけるの?」
「だって、決めつけないと気になってしまって、夢を共有しているという意識のまま夢から覚めるのが怖い気がして」
「というと、綾子は夢を共有したまま夢から覚めると、夢の世界から抜けられないかのような気分でいるということ?」
「そうね。ハッキリそうだとは言えないんだけど、それに近い発想をしていると言えるかも知れないわね」
「夢の世界から抜けられなくなるという発想は私の中にはなかったので、私にとっては新鮮な気がするわ。でも、夢の世界から抜けられないとすると、綾子はどうなると思っているの?」
「この間の話のね、夢の世界が別の世界であったり、次元であったりという考えに乗っ取って考えると、夢というのは、別の次元なんじゃないかって思うの。夢というのは、色も匂いもなく、ただ映像として残っているように思うの。それは二次元のイメージでしょう? それに時系列もまったくあってないようなものだし、そう思うと、四次元の発想にもなる。実際に同じ場所にいるはずなのに、姿を見ることができない。場所は同じでも別の空間というものが存在するというのが四次元という発想であれば、夢は別次元だと思えなくもないでしょう?」
「でも、綾子は夢というのは、潜在意識が見せるものだって言っていたので、限界があるんだって言ってなかった?」
「ええ、その考えも変わっていないわ。むしろ、夢に対しての考え方としての基本線は潜在意識なのよ。でも逆の発想としてその潜在意識自体が別次元のものだとすれば、夢を別次元のものだって考えることもできるんじゃない?」
「ということは、気付いていないだけということ?」
作品名:「あの世」と「寿命」考 作家名:森本晃次