「あの世」と「寿命」考
実際に見ていると、本当に気にしていないかのようだった。言いたい人には言わせておけばいいとでも言いたいのか、それほど大したことではないと思っているようだった。
「綾子には、潔さを感じるの。まるで男性のようなところがあるんじゃないかって思うくらいなの」
と裕子に言われたが、それはあまり気持ちのいいものではなく、複雑な心境だった。
「そう? 私はそんな気はしないわよ」
と、怪訝な表情で、自分の気持ちを表に出した。
裕子に対しては自分の気持ちを表に出すことで仲が険悪になるという気はしなかった。むしろお互いに隠し事をした方が余計な気を遣わせてしまうようで、自分が嫌な人間になってしまいそうで嫌だった。
「私が、綾子を男性のようにと言ったのは、別に男の人を意識しているわけじゃないの。私は男の人が基本的には好きじゃない。でも、オトコを意識していないわけではないのよ」
という裕子に対して、
「どういうこと?」
と綾子は聞いてみた。
正直何を言いたいのか、よく分からなかったからだ。ただ、イメージ的なものは頭の中にあり、その理由を聞いても別にビックリはしないような気がしていた。
「私はね。元々男女という種類が人間にあるというのがよく分からないの。もちろん、男女の種別は人間だけではなく、すべての動物、さらには植物にもあることなので摂理としては当たり前のことだと思うんだけど、どうして肉体的なものだけでなく、精神的にもまったく違う種別があるのか分からないのよね」
と裕子は言った。
確かに男女の違いに関しては生理学的に説明はできるかも知れないが、根本的な疑問にはどう答えていいのか分からない。
たとえば算数を考えれば分かりやすい。
「算数や数学って、公式に当て嵌めて考えれば分かりやすいものなので、それを覚えておけば応用が利くという意味で、それほど難しい学問ではないと思う」
と中学時代の先生が言っていた。
先生の話に対して少し疑問を感じた綾子は、放課後先生にその疑問をぶつけてみたことがあった。
「確かに公式を用いれば難しくはないんでしょうけど、理解するという意味ではどこまでが数学の領域なのか疑問なんですよ」
という綾子の話に、
「どういうことなの?」
「数学の元になっている算数という学問で、最初に習うのは、一足一は二というのが基本になっているでしょう? でも、それをどうやって証明するのかって考えたことがありますか? 一番最初にその疑問を感じなかった人はスムーズに算数に入って行けるんでしょうけど、そこで疑問を感じ、理解できないと感じた人は、それ以上先には進めないと思うんですよ」
「三原さんはそうだったの?」
と聞かれて、
「ええ、そうでした。だから、三年生の途中くらいまで、算数はまったくできませんでした。先生からいろいろ聞かれたんですが、その時は基本の基本が分かっていないという話はできませんでした」
「どうして?」
「だって、答えは決まっていると思ったんです。どうせ、そんなことは当たり前のことでしょう? って言われると思ったんです」
「なるほど」
と言って、先生は考え込んだ。
「確かにその通りね。先生もそこまで考えたことはなかったわ」
と、難しい顔になっていた。
「先生は、先生になるくらいだから、ずっと成績もよくて、算数を最初から好きだったんでしょうね。だから、最初に躓いた人間の気持ちは分からないかも知れないわね」
というと、
「そんなことはないわよ。先生もその時々でいろいろ悩んだりした。壁のようなものがあって、先生にはそれが壁に見えたのよ」
というと、
「そうなんですね。私も基本の疑問が解けたわけではないんですが、先生のように壁のようなものを感じた時、自分の悩みが解消されるような気がしたんです。そのおかげで、私は算数を分かるようになったんですよ」
「そうなのね。今のあなたの数学の成績は、悪い方ではない。だからまさか最初に躓いていたなんて思いもしなかったわ」
「誰にでも悩みはあるということなんでしょうね。先生にもあったと思いますが」
「そうね。私もたくさんあった気がする。でもさっき言ったように、壁が見えると、何となくだけど乗り越えられるような気がするのよ。それは私だけのことではないと思っていたけど、実際にこんな話をできる人が現れるとは思ってもいなかった。しかも、それが自分の生徒だと思うと、先生冥利に尽きる気がするわ」
と言って、先生はニッコリと笑っていた。
綾子はその時のことを思い出しながら、裕子の話を聞いていた。
「最初に感じた疑問って、そう簡単には解けるものではないと思うの。でも、それを感じるか感じないかは人それぞれなんだろうけど、感じることは決して悪いことではないと思うのよ」
と綾子は言った。
「その通りよね。私は男の人が本当は嫌いなんだけど、最初は毛嫌いしているという感じじゃなかったの。小学生の頃は、男の子ともいっぱい遊んだからね。でもある日突然、見るのも嫌になった。生理的に受け付けないというか、何を感じてそう思うようになったのかよく分からないのよ」
という裕子を見て、
「お父さんの影響ってなかったの?」
という綾子に裕子は頭を傾げて聞き直した。
「お父さん?」
「ええ、一番身近な男性というと、肉親だと思うのよね。父親だったり、男兄弟だったりが影響していると考えるのが一番自然なのかと思ってね」
「確かにお父さんの存在は私にとって微妙な感じがしたわ。子供の頃はあまり意識していなかったんだけど、お父さんは、私を子供の頃のまま相手していたような気がするの。それがいつの間にか鬱陶しく感じられるようになって、父親をまともに見れなくなったように思えたわ」
「きっとそれが原因なのかも知れないわね。でも、それはあくまでも原因の一つであってそれだけではないような気がするの。それは私にも言えることなんだけど、私も男性を必要以上に意識するようになったのは感じているわ。ただ、それを思春期だからというだけの理由で片づけたくないという思いがあるのも事実なのよ」
「肉親は他人とは違うということ?」
「ええ、その通り。何といっても血が繋がっているわけだからね」
「血の繋がりって何なの?」
「遺伝子やDNAの関係といわば説明が付くんでしょうけど、それを裕子に話してもうわべだけの話に聞こえてしまうんでしょうね」
「きっとそうだと思う。頭では理解できるかも知れないんだけど、生理的なところで納得できないところがあるの」
「そうよね。理解するということと、納得するということでは天地ほどの違いがあるのかも知れないわね」
「説明する方にはちょっとした違いであっても、説明を受ける方にとっては、本当に距離の隔たりを感じるんでしょうね」
「そこには、結界があるのかも知れないわね」
「結界?」
「ええ、結界とは、超えることのできない壁のこと。しかも、その壁が見えないので、そこから先に進めないことで、目の前に壁があるということすら分かっていない。だから焦りを呼ぶ。焦りが生じれば、結界はさらに太くなり、しかもその人の頭の中から消えることのないものとして残ってしまうような気がするのよね」
作品名:「あの世」と「寿命」考 作家名:森本晃次