「あの世」と「寿命」考
と感じ、答えに対して苛立ちはなかった。
ただ、
――質問した自分がバカだったんだわ――
と考えたが、その気持ちが顔に出たのか、質問された方は、いかにも苦虫を噛み潰したような嫌な表情になった。
ただ、文句は言わなかったが、その視線の痛みは十分に感じられた。
――そんな顔するんだったら、聞かなければいいのに――
と、友達は感じたことだろう。
その頃から綾子は、
――私はすぐに感情が顔に出てしまうんだわ――
と感じた。
その頃からまわりにはなるべく質問しないようにした。自分が質問をしたいと思った時というのは、よほど気になることがある時だったはずなのに、しかもそれをいきなり前兆もなくするのだから、相手が戸惑うのも当たり前のことだった。
だが、綾子とすれば、
――よほどのことがなければしないのに――
という思いがあるにも関わらず、した質問にまともな答えが返ってこないこと、そしてしたことによって、相手も自分もどちらもぎこちなくなって、不愉快な気分に陥ってしまうことを考えると、
――本当に何も言えなくなってしまう――
と考えるようになった。
その考えが綾子を孤立にした。
子供の頃から、本当に喋らない子だった。
中学になっても人と話をすることもなく、一人で孤独に過ごしていた。綾子はそれを嫌だとは思わなかった。
――一人でいろいろ考えるから、それでいいんだわ――
と考えていたが、これは決して他の人と交わることのできない言い訳ではなく、本心からそう考えていた。
中学を卒業するまでは、言葉というものが怖くて、文章を読むことも大嫌いだった。国語という学問は大嫌いで、作文や読書感想文など、特に嫌いだった。
――文章を読むのが嫌いなのに、書けるわけがない――
と考えていたが、中学の卒業文集を作るということになり、綾子は前から考えていた、あの世の不思議について論文のようなものを書いた。
これは友達に質問したことに対して、
――自分が相手の立場だったら、どう答えるだろう?
という目線に立って、書かれたものだった。
それを読んだ国語の先生から、
「三原さんの発想ってすごいわね。先生、感動しちゃったわよ」
と、当時の女性の先生がそう言った。
「これは男性の目線からでは少し違う発想になるかも知れないわね、きっと私だから、ここまで感動したのかも知れないけど、三原さんの発想は、文章作法をもう少し身につければ、文筆業で生きていくこともできるくらいのものになるかも知れないわね」
と言われた。
先生から褒められることはもちろん、何かの助言も受けたことのない綾子はビックリした。
まずは、先生が自分に興味を持ってくれたことが嬉しかったし、文章というこれからの自分の道筋にきっかけを与えてくれそうなことに感動したのだ。
綾子は、先生のその話の言葉を頭に止めていた、高校生になっても、誰にも言わずにいろいろな文章を書いてきた。論文のようなものもあったし、まったくのフィクションの小説を書いたりもした。小説は恋愛ものだったり、ミステリーだったりいろいろだが、自分に才能があるとまでは感じなかったが、書いていて面白く感じるようになったのは、事実である。
その頃から綾子は、
――男性と女性の目線の違い――
という意識を持つようになっていた。
中学の国語の先生から言われて気付くようになったのだが、その頃まで綾子は男性を別の人種のように感じていた。
思春期になれば、男性を意識してしまうことで、男性を別の生き物のように感じるようになるとは聞いたことがあったが、綾子の発想は、それとはまた違っていたように思う。人に聞いたわけではないので、違うと一言で言っても、どのように違うのかということまでは分かるわけではなかった。ただ、他の人が感じているのは自分が考えていることよりも、かなり軽薄なもののように感じられるのだった。
軽薄という言葉の根拠がどこにあるのかまではハッキリとは分からないが、言葉数の多さが軽薄さと比例しているように思えた。ベラベラと喋る人の言葉には、重みは感じられない。それが綾子の軽薄という言葉の基準だった。
思春期になれば、両極端であることは感じていた。軽薄と思えるほどまわりの人と喋りまくる人、
「箸が転んでも笑う」
と言われる年齢であることも分かっていた。
しかし、綾子はそんな喋りまくる人の影で、まったく誰とも話さずにいる人もいることを無視できなかった。しかも、そんな無口な人にも二種類いる。ひとつは下を向いて顔を上げることもなく、完全に自分の殻に閉じこもっている人、そしてもうひとつは、鋭い視線を誰彼ともなく浴びせている人、誰を見ているのか分からないが、視線はしっかりしていて、うつろな雰囲気を微塵も感じさせない。綾子はそんな人を気持ち悪いと感じるようになっていた。
――私はどの部類に入るんだろう?
喋りまくる人ではないことは確かであり、無口な部類に入るのは間違いない。
だからと言って、下ばかりを向いているわけではない。ただ、時々気が付けば下を向いていることがあるのは分かっていた。そんな時、ハッとしてそれまで何を考えていたのか忘れてしまうのだった。
何かを考えていたのは確かだと思う。ボーっとしている時ほど、綾子は何かを考えているのだと自分で思っていた。
そもそも綾子は絶えず何かを考えている方だと思っている。その時、下を向いているように思えないのは、考え事をしている状況を思い出した時、目の前に何かの光景が浮かんでくるからだった。
――考えながら、目の前の光景を記憶に焼き付けているんだ――
と思うことで、考え事をするのも悪くないことだと思うようになっていた。
それでも、ふと気が付くと我に返ってしまう。そしてそれまで考えていたことを忘れてしまっていた。ただ、本当に忘れてしまっているのかどうか、自分でも分からない。ひょっとすると記憶の奥に封印されているだけなのかも知れない。
「綾子がボーっとしている姿を見るの。私嫌いじゃないよ」
と、高校生になって友達になった女の子から言われたことがあった。
彼女は名前を生田裕子と言った。
裕子は、無口なタイプの女の子で、どちらかというと、まわりの視線をいつも気にしている女の子だった。そのため、視線が知らず知らずに鋭くなり、いつも誰かを凝視しているように見えていた。
「でも、別に誰かを気にして見つめているわけじゃないの。視線の先に誰かがいるというだけで、その人は気を悪くするかも知れないけど、睨みつけているわけじゃないの」
と、裕子は言っていた。
言い訳にも聞えなくもないが、綾子は言い訳だとは思えなかった。
「私にも似たようなところがあるかも知れないわ」
本心では人を睨みつけるようなところはないと思っているが、似たようなところという意味が睨みつけているところではないということを裕子が分かっているのかどうか、綾子には分からなかった。
裕子が見つめている相手は、いつも男性だった。そのせいもあって、裕子はまわりの人から、
「男の気を引きたいのかしら?」
と陰口を叩かれていたが、本人は知っていて、意識をしていないふりをしていた。
作品名:「あの世」と「寿命」考 作家名:森本晃次