「あの世」と「寿命」考
妖怪少年がそんな気持ちで三百年もそこにいたのか想像もつかない。きっといろいろなことを考えたに違いないが、結局は元の場所に戻ってくる。堂々巡りを繰り返すことで、堂々巡りが自分の心理を象徴していることに気付き、いまさらながらに自分が果てしない時間の中に身を投じてしまったという恐怖を感じたことだろう。
だが、恐怖を凌駕する何かを少年は見つけたのかも知れない。そうでもなければ、三百年もずっとその場所にいることは不可能だろう。それができたのは、その少年だったからなのか、それとも人間は誰でも同じような環境に身を投じてしまったら、同じように恐怖を凌駕できる何かを見つけることができるのだろうか。
――もし、後者だとするとその恐怖を凌駕できる状況というのは、皆同じものなのか、それとも人によって違うものなのか、どっちなのだろう?
裕子は一人考え込んでいた。
そんな裕子を見て、綾子は敢えて声を掛けないようにしていた。それがどれほどの時間なのか、綾子には分かっていたからだ。
裕子がその間の時間の感覚を、どれほどだと思っているのかは分からない。しかし、そばで見ている限り、綾子にはいつも同じ時間であることを感じていた。それが裕子にとってどれほどの時間を感じているかというのは関係ない。綾子も敢えて考えないようにしていた。
綾子にはそんな時間を感じたという意識はない。それが自分にはないだけど、他の人には皆持っているものなのか、裕子だけが特別なものなのかは分からない。どちらにしても、そんな状況を垣間見ることができるのは少なくとも裕子だけだったからである。
――私にはここまで陶酔できる相手は裕子しかいない――
と綾子は感じていた。
つまりは、裕子は自分にとって必要不可欠な相手だということを分かっていた。
だが、そんな裕子のように自分にとって不可欠な相手は、他の人にも必ず一人はいるものなのか、それとも自分だけ特有のものなのか、綾子には分からなかった。だが自分だけであってほしいという気持ちが強いのは分かっていて、それこそ、
――他の人にはない感覚のはずだ――
と信じて疑わなかった。
綾子はそう思うと、ハッとして我に返った。
――私は何を考えているんだ?
自分への戒めの気持ちが生まれた。
綾子も裕子も、それぞれに、
「私は他の人とは違う」
という思いを持って付き合っていたはずだ。
それぞれに言葉に出して確認しあう仲だったはずなのに、気が付けば何を自分の考えていることが他の人にあるかないかなど思っていたのだろう? そんな自分に綾子は戒めの気持ちを持ったとしてもそれは不思議なことではない。ただ、自分が感じている思いを、裕子も感じているということを分かっていた。
――私が人と同じでは嫌だと思っている相手に、裕子は除外できる――
と思っている。
――ということは、裕子を人として見ていないということかしら?
と考えると、自分がどんな目で裕子を見ているのか、少し怖い気もした。
しかも、同じようなことを裕子お考えているのだと思うと、
――裕子も自分と同じように自分を怖がっているのかも知れない――
と思った。
「第三のあの世を宇宙のような世界だって話をしたじゃない」
という綾子の話に、
「ええ、果てしない世界というイメージね」
と裕子はハッとして答えた。
今まさに考えていたことを急に言われたような気がしたからだ。
「それって天国のような世界に違いのかしらね?」
「というと?」
「果てしない世界には、権利も義務もない。何を考えていいのか分からない。ただ果てしなさだけを意識していると、絶対に気が遠くなって、そのうちにおかしくなってしまうかも知れない。それくらいなら、何も考えないに限るわよね。それは、考えていることが堂々巡りを繰り返すことに気付くからなのかしらね?」
「それはあると思うわ。権利と義務って、お互いに背中合わせになっていて、義務がなければ権利も存在しないし。権利がないと義務も存在しないと思うの。もっとも、他に誰もいない世界で義務も権利も存在しないだろうから、宇宙のように果てしない世界というのは、絶えずゼロなんじゃなくって、限りなくゼロに近い存在なんじゃないかって思うのよ」
と裕子が言った。
裕子は言いながら、頭の中で想像していたのが、前後あるいは左右に置いた鏡に写る自分の姿を想像していた。そして、想像しながらおかしくて噴き出してしまう自分を感じていた。
――ふふふ、これってさっき考えていたことだわ。別に考えが堂々巡りを繰り返していたわけじゃないのに、また同じところに戻ってくるというのも面白いわ――
と思ったのだ。
裕子がニヤッとしたのを、綾子は見逃さなかった。
――また何か閃いたのね――
と綾子は感じた。
綾子は裕子が一人で何かを考えている時というのは、必ず堂々巡りに陥っているのが分かっていた。しかし、まったく同じところを繰り返しているわけではなく、ただ、最後には同じところに戻ってくるというだけで、途中のプロセスは違っていることが多い。裕子がそのことに気付いていないということまで綾子には分かっていた。
もちろん、綾子にも同じような習性があるわけではないのだが、どうして裕子のことがそんなにも分かるのかというと、
――自分は他の人と同じでは嫌だ――
という考えが、裕子の中にあるということを綾子自身が分かっていて、
――私と同じだわ――
と考えているからだった。
「私はこの世とあの世という区別よりも、別の世界が存在していて、それは同じ時間に存在していると思っているのよ」
と綾子が言い始めた。
「どういうこと?」
「人って、誰か一人を限定して考えると、その人はどんなにたくさん世界があったとしても、そのどれかに一人しか存在できないものなんだって考えていたのよ」
という綾子に対して、
「確かにそうよね。私自身に置き換えてみると、もう一人の私が他の次元にいるという発想はなかなかできるものじゃないわよね」
と裕子は答えた。
「ええ、私もそう思っていたの」
「でも、綾子は違うと思っているんでしょう?」
「ええ、それぞれの次元に、それぞれの私がいるような気がしているのよ。たとえを変えると、タイムマシンで過去に行くとするでしょう? そこで自分に遭ったり、自分の親に遭ったりすることってできると思う?」
「できるかも知れないけど、そこで自分や自分にかかわりのある人の将来にかかわることを変えてしまうと、自分の存在自体が危ういことになるんじゃないかって思うわ」
「そうでしょう? だから、過去に行って過去を変えてしまうということはタイムトラベルではタブーのように言われてきたのよね。私もそう思うのよ。だからね、逆の発想として、他の世界を垣間見ることのできない理由として、もう一人の自分が他の次元にいるから、その次元を覗くことはできないという発想なのよ。だから、さらに発想を膨らませて、もし他の世界が存在するのなら、もう一人の自分が同じ時間には存在できないと考えたの」
と綾子は言った。
少し飛躍しすぎの気がしたが、綾子の発想であれば、これくらいのことは普通に思えてくるから不思議だった、
作品名:「あの世」と「寿命」考 作家名:森本晃次