「あの世」と「寿命」考
試験本番までにどれだけ勉強したかということが一番で、もちろん、本番当日の体調や精神状態も大きなものではあるが、それも準備段階でやるだけのことをやったという自信を持っていれば、揺らぐことのない本番環境を維持することができるに違いないと思うのだった。
それに、囲碁や将棋に凝っている友達がいて、
「将棋も囲碁も、最初に並べた布陣が一番鉄壁な布陣なんだよ」
と聞かされた。
確かに動かなければ何も起きることはない。動いてしまうとチャンスも起これば、ピンチにも陥る。それを思うと、最初から決まっているという話には、自分の中でもかなりの信憑性を感じることができる。
白い閃光に包まれた二人が入れ替わってしまったというのも、最初から分かっていた。むしろそうでなければ、この話の結末として、どんな結果になろうとも苛立ちが残るものだったように感じられて仕方がない。
この思いはきっと裕子だけではなく、他の人も感じることだろう。ただ、どこまで意識して感じることができるかが問題で、その度合いがその人と他人との関わりに比例しているのではないかと思えた。
――いや、反比例かも知れないわ――
裕子はどちらなのか今でも分かっていない。きっとこの結論に関しては、ずっと分からないだろう。そういう意味では、最初から結果が分からないことに関しては、そのほとんどは、ずっと分からないまま推移してしまうことになるのではないかと感じるようになっていた。
綾子はそんな裕子の性格を分かっていて、
――私も同じなんだわ――
と裕子を見て、感じているようだった。
テレビ画面を思い出していると、
「これで、僕は人間に戻れるんだ」
と言って、晴れやかな表情になっている少年がいた。
その表情を見ながら、男は苦虫を噛み潰したような顔をしている。ただ、男としては、悔しいという思いではない。今少年に聞いたような思いを、今度は自分がしなければいけないと感じたからだ。
――やっぱり俺は人間臭い男だったんだな――
そう思い、諦めとは違う何かが男の気持ちの中に芽生えたのを、裕子は妄想していた。
それが男の本心なのかどうか分からなかったが、少なくとも手を繋いだ瞬間に、少年の遺伝子が受け継がれた気がした。
――そうか、これで年を取らないわけが分かった――
そう思ったが、今度は年を取らないことに急に恐怖がこみ上げてきた。やはり諦めがつかないと思ったに違いない。
男が本当に恐怖を感じたのかどうか、画面を見る限りでは分からない。裕子が漠然と考えて、恐怖以外には考えられないと思ったのだ。
――私はテレビとあの時、リンクしていたんだろうか?
と考えたが、これも少年と男が入れ替わった感覚に似ているのではないだろうか?
男と少年が入れ替わったことと、画面を見ながら、勝手に妄想を抱き、まるで自分が男の立場になったかのようになったのは、今から思えば無意識だったはず。それをいまさら思い出させたのは、その時に入れ替わった感覚がまだ残っていて、裕子は何かあるごとに、自分が一本足の妖怪になって、誰かが来るのを待ち望んでいる感覚を味わっていたのかも知れない。
もちろん、それは無意識だったが、そのたびに、
――私は孤独でも、寂しくもないんだ――
と思っていたことだろう。
だからこそ、寂しさは自分には無縁だという根拠も信憑性もないものを信じていたに違いない。
元々、裕子は自分で信じられないものは、誰が何と言おうと信じることのできない人間だった。だから、テレビ画面が頭の中にぐっていて離れないという事実を感じたくないという意識と絡まって、漠然と考えることが無意識に繋がっていると、半ば強引に考えていたに違いない。
裕子はその時、綾子と話をしている間に、このことを思い出して、自分の中の妄想に思い路はせていたはずなのに、綾子はその間、何も言おうとしなかった。裕子を見ながら、綾子はその様子を垣間見ることで、何かを感じていたのだろう。もちろん綾子の本意を裕子が知る由もないし、そもそも綾子が裕子の考えていることが何であるかなど、想像もつくわけはないのだった。
――想像できるとすれば、夢の共有くらいだわ――
夢の中では何でもありなはずがないのに、夢を共有できる相手がいる場合は、夢というものが万能に思えてくるから不思議だった。
裕子は、綾子が孤独というのを想像している間に、子供の頃に戻ってしまい、その頃に見た妖怪少年を思い出していた。その頃には分からなかったことを思い出したつもりだったのだが、実際には子供の頃から、
――大人になったら、こんなことを考えるに違いない――
と思っていたことを思い出したに過ぎないのではないかと思っていた。
孤独という言葉を最初に感じたのは、このアニメを見た時だったように思う。子供だとしても、孤独という言葉は聞いたことがあったが、それがどういう状態なのかということを想像することはできなかった。
――まさか、アニメで感じるなんて――
子供の頃には感じなかったそんな思いを、その時になって初めて感じた。
時系列への感覚がマヒしているという思いは、以前から持っていたが、子供の頃のことを思い出すようになると、余計にそのことに気付かされるようになった。
子供の頃のことを頻繁に思い出すようになったのは綾子と知り合ってからのことだった。時系列への感覚のマヒは、昨日のことよりも去年の今日のことの方がまるで直近のように思い出せるからだった。
たとえば、今日がクリスマスだったとして、昨日のことよりも、去年のクリスマスの方が、まるで昨日のことのように思い出される。なぜかというと、それだけ去年のクリスマスから何も起こっていないということであり、クリスマスの前になれば、他の人と同じように浮き浮きした気分にさせられ、完全に世間のお祭り騒ぎに乗せられているだけだと思いながらも、街に出ればイルミネーション、テレビを見ればクリスマス特集と、いやが上にもクリスマスを煽られる。
そんな状況なのに、実際にクリスマスになると、何が起こるというわけではない。人に言わせると、
「クリスマスのために、日ごろから努力をしているのよ。事前準備を怠らなかった人の勝ちなのよ」
と言われる。
つまりは、
――その日を迎えるまでに、結果はすべて見えていた――
ということだ、
それこそ受験と同じではないか。
――待てよ――
さっきも同じようなことを考えていたのではないか?
裕子はどういうシチュエーションでそれを感じたのか忘れてしまっていたが、確かに受験を想像したのを思い出した。
――想像というのは、巡ってくるものなのね――
と自覚した、
裕子は、綾子にあの世という発想では負けたくないと思っていた。
裕子は自分が孤独だと最初に感じたのは、アニメを見ていた時だったが、それは綾子とは違う感覚だったと思う。人それぞれに発想の違いがあるのは分かっているが、裕子はあの世の発想だけは負けたくなかった、なぜそんなに綾子に対抗意識を燃やすのか分からなかったが、少なくとも綾子はあの世の発想を地獄を中心に考えているのは間違いないようだ。
――じゃあ、私はどっちなんだろう?
作品名:「あの世」と「寿命」考 作家名:森本晃次