「あの世」と「寿命」考
「ええ、果てしなく広いところで、広さがすべてを凌駕しているような世界。ブラックホールのようなすべてを飲み込むという発想が当たり前に存在していて、ひょっとすると、ブラックホールがあの世とこの世を結ぶ出入口なのかも知れないとも思うわ」
「その宇宙というあの世の定義は孤独ということなのね?」
という裕子に対して、
「宇宙という言葉自体が、何か果てしないものに対しての代名詞のような気もするの。だから、宇宙と書いて『ひろし』と読ませる名前もあるでしょう? 人は宇宙に対して誰もが言い知れぬ憧れのようなものを持っているような気がするの」
と綾子がいうと、
「そうかしら? 私は宇宙というと恐怖の方が強く感じられるわ」
と裕子がいうと、
「恐怖と憧れって紙一重で、しかも背中合わせのように感じるのは私だけかしら?」
と綾子が答えた。
「それって、私のイメージとしては、長所と短所のイメージに近いものがあるわ。長所と短所も紙一重で、背中合わせだって言われているでしょう?」
「そうね。でもその両方を一緒の次元で考えている人は少ないと思うわ。その両方を長所と短所として考えないと、大どんでん返しが生まれるような発想になるんじゃないかって思うのよ」
「やっぱり発想は両極端なものよね。長所と短所、それにあの世へのイメージ」
「だから、あの世の発想としては二つしかないのよ。天国と地獄、つまりは両極端なものが存在していることで均衡を保っているかのようにね」
と綾子がいうと、
「均衡を保つというのが人を洗脳するには一番いいのかも知れないわね」
と裕子が言った。
裕子は言いながら、
――人を洗脳するなんて発想、まさかこの私が感じるなんて思わなかったわ。やっぱり天国と地獄を含めたあの世という発想は、果てしないものがあるのかも知れないわ――
と感じていた。
そういう意味では綾子の言ったもう一つのあの世である宇宙という発想は、それほど奇抜なものではないような気がしてきた。
「私はね。孤独というものに憧れを持っているの」
と綾子は言った。
「孤独という言葉の定義がどこからくるものなのか、教えてほしいわ」
と裕子がいうと、
「私が教えるというよりも、裕子が自分で感じることが必要なのよ。だから私の話すことは私の感性であって、人に強要するものでもなければ、共有できるものでもないと思うのよ。これこそ、人それぞれということね」
と綾子が言った。
ごく当たり前のことを言っているようだが、綾子がいうと、言葉の重みが違っている。
――当たり前って何なのかしら?
このあたりから、考えてみたいと裕子は思った。
小さい頃から、親から、しつけや教育として、
「どこに出しても恥ずかしくないようにならないとね」
と言われた。
――どこに出してもって、まるで私は親の所有物みたいじゃないの――
という思いがあったが、抗うつもりはなかった。その言葉に納得はできないが、理解はできたからだ。
子供の頃の裕子は、納得はできなくとも理解できることに対して逆らってはいけないと思っていた。ただそこには理不尽さが残っていて、その理不尽な思いが自分を納得させることができないのだと思った。
理不尽という言葉は、そのまま同意語として矛盾に結びついていると子供の頃は思っていた。だが、それが少し違っていることに気付かせてくれたのが綾子だった。
「理不尽に感じていることって、自分の中に閉じ込めて、決して逆らうことをしないようにしようという思いがあるでしょう? でも矛盾というのは、逆らうだけの余韻を残したものじゃないかしら?」
「えっ、そうなの? だって矛盾というのは、どう考えてもどうにもならないことが矛盾というんだから、逆らうことなんかできないんじゃない?」
「そんなことはないわ。矛盾だって感じた時点で、矛盾のどちらに自分が属しているかを考えると、まわりが見えてくる。その矛盾の部分以外を変えることで、矛盾を矛盾じゃなくすることだってできるのよ。でも、理不尽に感じることというのは、自分で理不尽なことに納得させようとしても結局できなかったから、理不尽でしかないの。そうなると自分が変わらない限り、理不尽を克服することなんてできないのよ」
「自分を変えれば、理不尽なことも解消できると?」
「自分を変えるなんて、そう簡単にできることではないわ。一歩踏み出す勇気が必要なんだし、それは自分にしかできない。もし少しでも人を頼りにして考えたなら、きっと考えがまとまらなくて、無限ループに入り込むかも知れない。それを無意識に分かっているから、人はそう簡単に自分を変えることなんかできないのよ」
という綾子の表情は怖いくらいだった。
「確かに綾子の言う通りだわね。でも、今の私は話を理解できたとしても、納得までできるかどうか分からないわ」
と裕子がいうと、
「それはそうでしょうね。だって裕子は私じゃないんだもの。裕子には裕子の理屈が存在していて、それが理解はできるけど、納得できるかどうか分からないって言っているんだって思うわ。人の意見を簡単に鵜呑みにする人というのは信じられない。だって、人の意見でコロコロ変わるんだったら、いつ自分の敵になるか分からないでしょう?」
裕子は、まさか綾子の口から敵という言葉が出てくるなど想像もしていなかった。
――まさか、あの綾子が――
と感じた時、綾子の冷徹さを垣間見た気がした。
裕子はその時の印象が残っているので、綾子の口から出てきた、
――孤独――
という言葉を無視してはいけないものとして認識し、裕子の中にある、
――孤独を垣間見ることができるのではないか――
という思いを浮き彫りにされた気がした。
「私には、裕子にも孤独への憧れがあるように思うの」
と言われて、ビックリしたが、それも一瞬だった。
――そうかも知れないわ――
と感じた。
ビックリしたというのは、意外だった言葉を言われてビックリしたわけではない。むしろ自分の考えていることを、まさにリアルなタイミングで看過されたことにビックリしたのだ。
――綾子ってまるで千里眼のようだわ――
千里眼という言葉、聞いたことはあったが、まさか自分が使うようになるなど思ってもみなかった。
今までに聞いた言葉のほとんどは、自分に関係のないこととして他人事のようにする―することが多かったが、改めて思い出したかのように使うこともあるのだと思うと、何とも不思議な感覚があった。
千里眼という言葉、先のことを予見したようなイメージだが、それだけではない。人には見えていないような他人の心の奥を看過した時にも、千里眼という言葉を使うものだと思った。むしろ、
――他人の心の奥を看過した時にこそふさわしい言葉ではないか――
とさえ思えるくらいだった。
そういう意味では、まさに今裕子は綾子に千里眼として心の奥を看過された気がしたのだ。
裕子はそこまで考えてくると、
――千里眼という言葉が似合う人こそ、孤独に憧れを持っている人なのかも知れないわ――
と感じた。
さらに、そんな千里眼という言葉を思い浮かべることのできた自分も、十分に孤独に憧れを感じることのできる資格を持っているように思えたのだ。
作品名:「あの世」と「寿命」考 作家名:森本晃次