短編集47(過去作品)
自分がそこに立っているという感覚がない。確かに富士山などのように壮大なものであれば遠くから見ているから綺麗なのであって、近くで見るものではないという。道頓堀も写真でのイメージが強ければ強いほど、自分がそこに立つと近すぎて想像していたものからは失望しか生まれてこない。
そんなことは分かっていたはずだ。富士山の話は時々孝子の頭の中によみがえってくるくらいだ。それなのに、道頓堀を見てみたいと思ったのは衝動的だったのだろうか。
いや、そうではないだろう。孝子の頭の中にはしっかりとした感覚があったはずだ。分かっていて見てみたいと思うことも往々にしてあることを孝子自身が分かっている。分かっていて来たはずなのに、どこで感覚がなくなってしまったのだろう。
――奈良の夕日を見たからかしら――
当たらずとも遠からじであるが、それだけではないように思えた。大阪に来て孝子はハッキリと自覚した。
――何かを求めてやってきたはずなのに、結局は失望だけが残ったのは、求めていたものがまだ見つかっていないだけだ――
楽天的な考え方を常々してみたいと思っていた孝子だったが、旅に出たのもいい機会、普段考えられないことを考えられるように思えてきた。
夜遅くになって奈良に戻るつもりだったが、結局午後十時前には大阪を離れた。それでも、
――あっという間だったようだわ――
ほとんど移動だけしかしていないつもりだったので、あっという間に感じるのだろう。
奈良に戻ってくると、涼しさを感じた。大阪で熱気に触れていたからかも知れないが、電車の中の人たちの疲れ切った表情を見ていると、自分も疲れを感じざるおえない。
――一日を無駄に使ったとは思えないけどな――
実際には無駄に使ってしまった結果になったことは否めないが、孝子の中では無駄だったとは思えない。それがどこから来るものなのか、その時は気付かなかった。
翌日は朝から爽やかだった。昨日のことが何もなかったかのように感じさせてくれる爽快な朝に感謝していた。早朝は少し霧が掛かっていて、まだ完全な春の訪れではないことを示していた。
霧が濃いところに旅行に出かけた時のことを思い出していた。
あれは北陸に旅行に出かけた時だった。季節は夏だったが、金沢市内に掛かった霧を見て、
――都会でも霧ってあるものなのね――
と思ったものだ。
金沢には過去何度か行ったが、とにかく方角が分からない土地として印象に残っている。何度も出かけたのは、その街を気に入ったからというのが理由であるが、方角をしっかり認識したいという気持ちが奥にあったことも否めない。方角が分かりにくいところほど、好きな土地が多いと思っているが、偶然の一致だとは思えない。城下町など、区画整理された街で形成されているはずなのに、どうして方角を認識できないのか、そこに歴史のロマンを感じるからであろう。孝子の今までに好きになった街の共通しているところは、城下町のように歴史のロマンを感じさせるところが多いのだ。
霧には匂いがある。雨が降りそうな時に感じる匂いに似ている。
孝子にとってはあまり好きな匂いではないのは、雨が降る前の鬱陶しい時間帯だからというのもあるが、湿気た空気がアスファルトの埃を含んで蒸発する時の匂いを感じるからに違いない。
また、霧が発生するという環境を頭の中で考えている時もある。
山間の高原などでよく見られるということを意識しているので、空気が薄いため、耳がツンとしてしまう現象を意識してしまう。
実際にそういうことがなくとも耳に膜が張ったように感じるのは、自己暗示に掛かりやすいからだとも言える。自己暗示というよりも、被害妄想も強いと思っている孝子は、霧の中で先が見えない状態に自分の身体が今までになかった反応を示すのではないかという懸念があることを気にしていた。
過剰反応であることに違いはない。だが前が見えない状態ほど、五感の中の目以外の感覚が研ぎ澄まされることが、過剰な反応を生むことになるだろう。五感がバランスよく機能しているからこそ精神の安定を招くことができる。一つでもバランスを崩すといくら他の感覚が研ぎ澄まされても、バランスが崩れてしまっては、冷静な判断などできるはずはないと考える。このあたりが楽天的に考えることができないと孝子が自分自身に感じるゆえんであった。
――誰かに引っ張ってもらいたい――
いつも一人で虚勢を張っているように見られる孝子だったが、内心ではそう思っていた。まわりからは、
「孝子さんって一人でいつもいるけど、逞しく見えるわ」
などという話が漏れ聞こえてきたことがあったが、孝子には皮肉にしか聞こえない。幾分かの皮肉交じりであることは誰もが予想はつくが、それでも自分にないものを他の人に見た時に、素直に感動するという心を感じることができなくなっているのかも知れない自分が悲しかった。
真っ白い霧の膜の中で、黒いものが見えてくると、何かしらの気持ち悪さを感じ、反射的にビクッとしてしまう。何かが襲ってくるような衝動に駆られるからだが、その日の孝子は黒いものを見てもビクつくことはなかった。むしろ、その正体を確かめたいという思いの方が強く、少しずつ歩みを速めたくらいだ。朝食前のひと時ではあったが、都会では感じることのできない思いだったことには違いない。そう感じると満足したかのように、踵を返して宿に戻り、朝食を摂った。
――必要以上に疲れた感じだわ――
だが、その疲れは爽快なものだった。気だるさではなく、足が確かに霧の中を散歩したという証拠を残した疲れだった。必要以上にと感じたのは、時間的な感覚がまたしても、帰ってきてからのものと若干違っていたからだろう。
――旅先での時間なんて、自分の感覚の想定外だわ――
だからこそ旅は楽しい。この感覚が自分にとっての感覚に戻る時、後になって思い出すにつれて、醍醐味を感じるというのがまんざら分かってきたような気がする。
その日は奈良市内から少し足を伸ばしてみようと思っていたが、その前に猿沢の池をもう一度見ておきたいと考え、逆さに映った五重塔に目を落としていると、そこに声を掛けてきたのが清正だったのだ。彼はふいに出会ったにも関わらず饒舌で、何よりも笑顔を絶やさないところが素敵だった。普段は仕事なので、プライベートな話は社交辞令でしかないが、こうやってプライベートで話していても営業の時とさほど変わらない。
――この人は表と裏の顔を使い分ける人ではないんだ――
と、ますます気になる存在になることを予感させた。
裏表のある人間にはウンザリしている孝子だった。
孝子自身、裏表を否定した人生を送ってきて、余計なことを口にしない代わりに、裏を隠そうという考えはない。なるべく自分を表に出そうとするのだが、それでも他の人から見れば暗く見えるのは、それだけ不器用な性格だからだろう。
――裏表を出すくらいなら、不器用でもいいかな――
不器用であることを心の中では損な性格だと思っているくせに、本音は不器用でも仕方がないと思っている。
作品名:短編集47(過去作品) 作家名:森本晃次