短編集47(過去作品)
まだ高校生だった杉下は、どちらの意見も間違いではないと思った。一見矛盾しているように見えるが、時間の感覚というのが一元性のないものだと考えれば辻褄が合うのではないだろうか。
早苗を見ていると、父と母の会話を思い出してしまう。明らかに祖母の時のような痴呆症とは違い。同じことを繰り返して話すこと以外では、おかしなところはない。
同じことを繰り返して話すといっても、それは誰にでもあることである。確かに自分も無意識に同じことを同じ人に話して、
「その話なら以前に聞いたぞ」
と言われて、
「そうだったっけ?」
とごまかすこともある。しかし、それは指摘されれば意識するものであって、相手からすれば杉下が指摘しやすいタイプの人間だからに違いない。
だが、早苗には指摘できる雰囲気を感じない。普段なら思ったことを口にしても、別に怒る様子もなく、また、気にして落ち込む様子もない。それなのに、繰り返し同じことを話している時の早苗に指摘できる雰囲気がないのだ。
いかにも楽しそうに話しているからである。光が当たっているわけでもないのに、えくぼがハッキリと見えるほど明るく光って見える。その表情には屈託をまったく感じさせない。
「その話、この間も聞いたよ」
と言ってしまったものなら、たちまちに表情が暗くなり、俯いた顔を上げることができないほど落ち込んでしまう雰囲気しか浮かんでこなかった。あまりにも変化が大きすぎて表情を想像することができないため、真っ黒いのっぺらぼうのような想像しかできないでいた。
早苗の話には一貫性があった。痴呆症であった祖母の話にも一貫性があったことを思い出していたが、その一貫性は一番意識していることが表に出ているはずなのに、どこかそのことに触れたくないという風に思えて仕方がなかった。
祖母にとって一番辛かったこと、それは祖父が死んだ時だったに違いない。それから一気に痴呆症になってしまい、同じことを繰り返して話すようになっていた。
「きっと、辛いことを忘れたいと思うあまり、意識からおじいさんの死を受け入れられない自分とのジレンマから、思い出すことに一貫性があるんだろうな」
父の話だった。
長所と短所は紙一重という意識があったが、思い出したいことと、思い出したくないことも紙一重である、
その思いは杉下にもあった。小学生の頃、気になる女の子がいたが、その子のことを思い出そうとすると、嫌な思い出も一緒についてくる。嫌な思い出を逃れたい一心で見つめていたのがその子だったからだ。
杉下の両親は、今でこそ大人しくしているが、彼の子供の頃というとかなり厳しい親だった。
元々杉下自身が静かな性格で、何も考えていないように見えたことから、
――これなら、親でなくともイライラするわな――
と今さらながらに自分を思い出す。
親のいうことは絶対だった。厳しいだけで間違ったことを言っているわけではないので逆らうこともできず、反発心を心の奥に抱きながら黙って言うことを聞くしかなかった自分にジレンマを感じていた。
そんな自分だったが、一人の女の子を好きになったことがあった。それが恋愛感情だったということに気付いたのは、かなり後のことである。
異性を意識し始めたのは、中学に入ってからのことであったはずなのにどうしてその時に彼女が気になったのか自分でも分からない。
異性が気になりだしたのは、まわりの友達の影響が大きかった。学校でもまわりに憚ることなくいつも一緒にいるカップルを見ていると、自分にもほしくなるものである。
――無いモノねだり――
とでもいうべきであろうか。
きっかけは不純かも知れないが、女性とそばにいたいという純粋な思いが最初だったのだ。それが肉体の神秘に触れたくなってくるのは、自分が成長している証拠であることに気付くのは高校になってからだった。
しかし、高校を卒業するまでは彼女ができなかった。暗い学生時代と自分でも思っている。
親が厳しかったのは高校時代までであった。彼女ができてから親の言うことが気にならなくなったのか、それとも彼女ができることで自分自身が変わったのか、自分でも分からなかった。しかし、最近になって考えると、どちらもだったのかも知れないと感じる。
その頃から、時々思い出していたのが、小学生の頃に気になっていた女の子である。大学生になってできた彼女に雰囲気が似ていた。最初こそ、
――偶然なんだー―
と思っていたがそうではない。小学生の頃、気になっていた彼女が杉下にとって理想の女性となっていたのだ。
彼女を思い出そうとすると、今度は厳しかった親を一緒に思い出してしまう。今でこそ厳しかった親の気持ちが分かり、間違ったことへの嫌悪感を抱く人間になった。親のおかげとも言える。
だが、その反面で、思わぬ副作用が生まれていた。
――すべての面で、自分が正しいんだ――
という思いである。
これは親の影響だけではない。友達の影響もあった。
現在の性格を司っているのは、生まれつきの性格と、育った環境にあると言われているがまさしくその通りである。
「ウソでもいいから自分の性格に自信を持つこと。これがその人の個性になって、人とは違う自分を発見できるさ」
という考えを持った友達が親友だったからだ。
その意見に杉下は大いに影響を受けた。そのおかげで大学に入って彼女ができたと思っている。悪影響はその言葉が直接及ぼしたものではないかも知れないが、影響力の大きかったことだけは事実である。
――他人に厳しく、自分にも厳しく――
これがモットーだった。もちろん友達間ではそれほど厳しい感情は持たなかった。
――一緒にいる人に、悪い人はいない――
思い込みかも知れないが、そう感じていたからだ。だが、まったくの他人には違った。
例えば、公共の施設での喫煙が禁止され、喫煙所以外では吸ってはいけないタバコを、吸っている人を見かけた。特に誰も吸っていないのに、一人で吸っていると実に目立つし、醜いものである。しかし、誰も注意するものがいないではないか。
杉下はよくそんな人に講義していた。渋々タバコを消してその場から立ち去る人ばかりだが、そのほとんどが必ず睨んでいく。その表情にたじろいではいけないと思いながらたじろいでしまう自分に、嫌悪感を感じてしまう。それでも注意しないではいられないのである。
――こんな俺って損な性格だよな――
自分でも分かっている。友達から言われた性格に自信を持つことという言葉を恨んだこともあった。それよりも、こんな性格の基礎を作った親の厳しさに恨みを持ったこともあった。やはり一番の恨みは親に対してだった。
親の厳しさを思い出すと、小学生の頃に気になっていた女の子を思い出し、癒された気分になる。何とも皮肉なことであろうか。
早苗と話をしているうちに、どこか欠落した記憶があると感じながらも、会話のキャッチボールによって、かなりお互いを理解し合えるようになってきた。
――ひょっとして、早苗には気心の知れた友達はいないのかも知れない――
作品名:短編集47(過去作品) 作家名:森本晃次