短編集47(過去作品)
江藤香織を仕事中に意識したことは何度かあった。事務所にいて横目で見ていて、そのことに彼女が気付いていないと分かったからで、意識しているのが分かれば、じっと見つめているほどの度胸など、杉下にあるはずもなかった。
早苗と江藤香織の雰囲気の違いにすぐ気付かなかったかという理由も、しばらく分からなかった。
――仕事場と喫茶店という場所の雰囲気があまりにも違うからだろう――
緊張感や時間帯によって、精神状態が明らかに違っている杉下は、自分では得な性格だと思っていた。それだけそれぞれの時間を真剣に感じているからである。そのくせ考えごとをしていると、どんな場所にいても神経が麻痺してしまったかのように、まわりが見えなくなることもある。一つのことが気になっていると、それだけしか見せなくなるのは、短所であった。
だが、それも性格の一つとして、自分で受け入れればいいことだった。
――長所と短所は紙一重――
というではないか。野球が好きな杉下は、テレビ中継など見ていて、それを痛感していた。解説の話を聞いたのが最初だが、なるほど、画面がその言葉を裏付けている。
バッターの弱点は、得意なコースにこそあるのだ。だからこそ、ピッチャーはそこに投げようとするのだが、そのために、ストライクとボールのカウントをフルに活用しようとする。カウントが満たされるまでしか、相手を打ち取るチャンスはないのだ。
「だからこそ、野球というのは面白いんですよ。ボールが四つ投げられるのはピッチャー側からの考え方。ストライクを三つ待てるのはバッター側からの考え方。それにしてもその数をよく考えたものです。野球の歴史は、ストライクとボールの数で今までに数え切れないほどのドラマを生んできていますからね」
――なるほど、解説の人もうまいことを言う――
その時は、聞いていて話に引き込まれそうになったのを覚えている。
短所ばかりを考えていると気が滅入るだけだが、長所が短所の近くにあると考えれば、少し考えを変えるだけで長所に行き着く。分かっているつもりだが、自己嫌悪や鬱状態に陥ったりすると、なかなかそうも行かない。だが、自己嫌悪も鬱状態もいつまでも続かないことは分かっている。必ずトンネルの出口は存在している。
放っておいても脱出できるのだが、どうしてももがいてしまうのは、人間の性なのかも知れない。
――一度だけしかない一生。もがき苦しむ時間が短いに越したことはないんだ――
と感じるのは当たり前のことで、自己嫌悪や鬱状態に陥った時に、特に強く感じるものである。
仕事場の雰囲気は、最近は嫌いではなくなった。喫茶「アルタイル」が自分の馴染みの店になったという意識が強くなってからのことである。仕事が終わってからのことを考えると、ウキウキした気分になれるからで、それは気持ちに余裕が生まれている証拠である。
仕事に集中できるようにもなった。以前が集中できていなかったわけではないが、どうしても仕事という意識が強いと、心のどこかで余裕を求めようと余計な力が入ってしまい、自分の中に逃避の気持ちが生まれてくる。逃避を感じるのは、杉下の中では屈辱的に思いが最初はあった。
しかし、それも気持ちに余裕ができてくると、たとえ逃避であっても、それを正当化できる精神状態になれる。
――一生懸命に時間内に自分の仕事をこなす。ただ、それだけのことではないか――
と思うからである。
会社にいて江藤香織を見ていると、当たり前の気持ちが生まれてくる。それは江藤香織の中に、喫茶「アルタイル」で知り合った早苗の姿を見ているからに違いない。
会社で江藤香織と話をすることはあまりなかったはずだが、ある日を境に話をするようになった。
あれは、仕事の途中でトイレに立った時のことである。
「杉下さん、ちょっといいですか?」
と事務所の外から彼女が手招きした。最初は自分だと思えなかったので、思わず自分を人差し指で指したくらいである。それを見て香織は苦笑いをしながら、二度ほど頷いていたのが印象的だった。
もし他の人が見ていたら、さぞや滑稽に見えたのではないだろうか。
話の内容は他愛もないことだった。親戚が結婚するらしいのだが、その時に休暇が何日もらえるかという質問だった。
「そんなことならわざわざ俺に聞くこともないでしょう」
と言いながら、まんざらでもなく答えてあげた。
――ひょっとして俺と話がしたくて声を掛けたのかも知れないな――
というのは、あまりにも都合のよい考え方かも知れない。しかし、それでもよかった。女性と会社で仕事以外の話をするなど考えられなかったからである。
仕事場で女性と話をする自分を思い浮かべて、それまでは不真面目な自分しか浮かんでこず、自分の中で許せない気持ちが強かったが、今ではそんなことはない。精神的な余裕が持てるということで、それまでに感じていた仕事場というイメージが、仕事をする居住空間に変わっていくのは肩の荷が下りる気分でもあった。
喫茶「アルタイル」は元々、仕事場で感じることのできない癒しを感じたいがためであった。今でも癒しを感じたいという思いに変わりはないが、仕事とまったくの別格であるという意識はあまりなくなっていた。
――仕事の延長に癒しがあり、癒されるから、また仕事にも身が入る――
当たり前のことなのに、やっと気付いた。
いや、その思いは入社当時にはあったはずである。
社会人になることで、不安や期待が大きかったが、最初は不安と期待はまったくの別格だったはずである。今でこそ不安が消えかかっていて、最初に感じた期待にも限界を感じ始めているので、厳格な違いを感じることなどなくなっていたが、不安には不安の、期待には期待の根拠のようなものがあった。
学生時代から、社会人に対しての不安が強かったのは、それまでに自分が感じていた「自由」というものに自信が持てなくなったからである。高校時代までは、自分に自由はなく、ただいい学校に入るためだけに頑張ってきた。頑張った報酬が、大学で得られる自由だと思っていた。
大学は四年もあるではないか。小学生の頃の六年間というのが自分にとってどれほど長かったということを考えれば、四年という時間の自由は、果てしなく長いものだと入学当時は考えていた。
確かに一年生の夏くらいまでの長さを感じれば、その思いがまんざらではないと思っていた。だが、それも大学という自由な時間に身体が馴染むまでのことであった。
馴染んでしまうと、まわりすべてに余裕があるように感じられる。時間はもちろんのこと、勉強、そしてまわりの人間関係、
――その時はできなくても、いずれ自分の思い通りになるさ――
という、自分にとって、本当に都合のいい考えが生まれてくる。
しかし、自由な時間にドップリ浸かってしまうと、自分だけの世界が広がっているだけで、全体的に見える範囲が狭くなってきていることに気付かないでいた。
それでもしばらくすると気付くもので、そうなってくると、遅いのである。自分の中で消化していたはずの余裕が、表から見られているように感じ、被害妄想に陥ってしまう。それが鬱状態だと気付いたのは、さらにしばらくしてからだった。
作品名:短編集47(過去作品) 作家名:森本晃次