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短編集47(過去作品)

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 カウンターに座ることの多い早苗は、きっと店の女の子との会話を楽しみにしているのだろう。それなのに、会話が中途半端なのはなぜだろう。どうにも杉下には理解できず、却って気になる存在になっていった。
 何度か店に足を運んでいるが、まだ常連と言えるほど店に馴染んでいない。人が見れば常連だと思うかも知れないが、杉下の中ではどこかまだ馴染んでいない気がしていた。
――やっぱり一人でいることが多く、会話がないからかな――
 分かっているのだが、今までの常連さんとは会話が成立しないに決まっている。
 それでも今まで馴染みになった喫茶店では、他の常連客から話しかけてくれた。大学生ということで、雰囲気もオープンに見えたからに違いない。今の杉下はスーツを着ていることでサラリーマンだということは誰が見ても一目瞭然である。きっと杉下が他の常連の立場なら、話しかけることはないだろう。
 スーツ姿の人は、一人でいると絵になるものだ。下手に話しかけると、真面目に話を聞いてくれないように思える。それは仕事で疲れて癒されたいという気持ちで来ていると思うことが前提で、それを邪魔されると、露骨に嫌な顔をされる気がするからだ。
――そんな思いまでして話しかけたいとは思うはずないよな――
 と感じる。
 しかし、最初に話しかけてきたのは早苗の方だった。
「お仕事、大変なんでしょう?」
「ええ、まあそうですね」
 別に話しかけられて邪険にしているわけではないが、女性と話をするなど、本当に久しぶりであった。店の女の子にも自分から話しかけることがなかったくらいで、何かを聞かれても相槌を打つだけに留まっていた。
――こんなんだから、常連になれるわけもないか――
 社会人になって、自分の性格が変わってしまったことを今さらながらに痛感させられた。性格が変わったというよりも、
――変わらなければいけないんだ――
 という思いが強くなっていたに違いない。学生時代のような気持ちで仕事に入ると、まわりからは、
「学生気分が抜けていない。甘えが抜けていない」
 と思われ、視線が冷たくなるに違いない。結局苦しむのは自分である。
 仕事とプライベートで性格を変えるなど、杉下にできるわけもなかった。それほど器用ではないし、融通の利く性格でもない。
 だが、そんな杉下に話しかけてくれた彼女に、何と答えていいか分からない。
 恥ずかしいという思いが一番強いのは分かっている。これは学生時代にもあったのだろうが、それよりも自分に自信もないくせに、
「とにかく今はウソでもいいから自分に自信さえ持てばたいてい思い通りになるのが学生時代さ」
 と嘯いていた友達がいたが、まんざら戯言でもなかった。
――本当だ。自分に自信を持てば、結構会話になるもんだな――
 だからこそ、女性に声を掛けるのも厭わなかったのだ。
 それなのに、自分としての成果にならなかったことは少しショックだった。だが、まだまだ若いと思っているので、話しかけられないよりも話しかけられる方がいいに決まっている。そのうちに本当の自分を見つめてくれる女性が現れることを確信していた。
 学生時代に声を掛けた女性は、結構軽い女性が多かった。最初の付き合いは楽しいのだが、付き合いを深めてくれば不安になってくると思っている。現に彼女たちと付き合った連中は、すぐに別れている。
「やっぱり、遊びは遊びでしかないんだな」
 と、それぞれに自分の言葉で話していたが、集約すれば、この一言に尽きるようだった。
 社会人になるとそうも行かない。時間の大切さを感じるようになってくるからだ。
 学生時代に時間が気にならなかったわけではない。却って気にしていたかも知れない。
――もう何年もないんだ――
 一年生の時は、毎日がときめいていたが、なかなか時間が過ぎてくれない。一番なんでもできると思っていた時期であって、毎日が新鮮だった。
 二年生になると、二十歳を意識し始めて、どこか落ち着きを自分の中に感じるようになる。すると、ゆっくりと時間が過ぎていると感じているはずなのに、気付いてみればあっという間に過ぎていると感じることが何度もあった。
 それが焦りに変わってくるのが三年生になってからだ。
 二十歳になった時よりも三年生になった時の方が意識が強い。卒業するために単位を意識しなくてはならないし、四年生になったらすぐに就職活動を考えなければならない。
――俺には時間がないんだ――
 という思いが焦りに変わる。
 なぜなら、将来のことについて、あまり深く考えていなかったからだ。
 どんな職種を選択するかなど、詳しい考えはまったくなく、とりあえずどこでもいいから就職できればいいという考えしかなかった。まだ学生気分でいたいと思う自分の中で、不安はあるが、あえて三年生の時点で、将来を考えることをしなかった。今を楽しみたいという思いが強かったからだ。
 きっとジレンマに陥っていただろう。馴染みの喫茶店で当てもなく時間を潰すことが多かった。それ以外の時間は、学校で講義を受けているか、アルバイトをしているかのどちらかだった。
 しかし、それでもよかった。時間を有意義に使っているという意識があったからだ。講義はもちろんのこと、アルバイトをしてお金を稼ぐ。アルバイトをしている時に刻んでいた時間が最初はなかなか経ってくれずに苛立ちを感じていたが、慣れてくると少しずつ短く感じられるようになった。まるで今までの大学生活のようではないか。
 それから時間の感覚がどうなるのか知りたかった。だが、実際には大きな変化はなかった。それ以上時間を短く感じることはなかったが、それでも充実感は日に日に増していった。杉下にはそれが嬉しかった。
 馴染みの喫茶店で一人当てもなく潰している時間。これも嬉しかった。時間の大切さを身に沁みて感じられるようになったからに違いないが、きっとこの時間を大切に思いたいから、他の時間を充実したものにしたいという気持ちが無意識に日常の中で育まれてきたように思う。
 社会人になって馴染みの喫茶店を探したのも、その思いを感じたかったからだ。
 しかし、社会人と学生との精神的な違いを痛感させられたのも、馴染みの喫茶店ができたからであった。
――どうしてもあの時のような充実した気分にはなれないな――
 就職して仕事もこなせるようになることが、卒業する時の一番の目標だった。何とか仕事をこなせるようになったことで、少し精神的にも落ち着いていい時期のはずである。
 馴染みの喫茶店を探したいと思うのも無理のないことではないだろうか。偶然見つけた喫茶「アルタイル」、本当に偶然だったのかを思ってしまう。
 喫茶「アルタイル」の常連になったと感じたのは、早苗と話ができるようになってからだ。それまでは、何か自分の中にぎこちなさがあって、店の女の子から話し掛けられても、どこか上の空なところがあった。
 喫茶店での早苗が気になり始めると、同じ仕事場での同僚である江藤香織を意識するようになった。
 別に顔が似ているわけではないが、横顔が似ているのだった。
 早苗を見た時、
――誰かに似ていると感じたのは、江藤香織を無意識に思い出していたからに違いない――
作品名:短編集47(過去作品) 作家名:森本晃次