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短編集47(過去作品)

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 どちらかというと眠りに就くまで時間が掛かる方である三宅は、真っ暗な部屋に目が慣れてくるくらいまで眠れなかった。
 カーテンから薄っすらと表の明かりが漏れてくる。明かりというほど明るいものではない。表には街灯があったが、暗い街灯であることは目が慣れてきて分かった。
――静か過ぎると却って眠れないものだな――
 遠くから犬の遠吠えのような声が聞こえるほどで、静かだったのだが、少しすると、すすり泣くような声が聞こえてきた。
「うっ、ああっ」
 ハスキーな女性の声だと気付くまでに少しだけ時間が掛かった。まだその時は隣に「やばい」感じの夫婦が住んでいるなど知らなかったので、隣は空き家だと思っていた。だが、いくら深夜とはいえ、他の部屋から声が聞こえてこないのは不思議だったが、それほど皆夜が早いのかと後から考えれば思ったほどだ。
 声は薄い壁を通して聞こえてくる。
 次第に大きくなるが、押し殺すような声は却って眠気を吹っ飛ばす。時々男の呻くような低い声も聞こえてきて、
――一体何をしているのだろう――
 と思いながら全神経は両耳に集中していた。
 男と女の営みなど何も知らない中学一年生。本当は興味がないわけではなかったが、まわりの皆が学校などでこそこそと話しているのを見ているのがあまり好きではない三宅は聞かないふりをしていた。
 誰も興味を持たないやつに話しかけることはしなかった。まったく興味がないわけではないが、本屋などに行って、十八歳未満禁止と書かれた雑誌コーナーに目が行くのはなぜなのか自分でも分からなかった。
――こんなものの何がいいんだ――
 と立ち読みをしている人たちのニヤけた横顔を見ながら、冷ややかな視線を送っている自分をいつも想像していた。
 壁を通して聞こえてきた声が、湿気を帯びていることを意識していた。もちろん、そういう場面を、「濡れ場」などという表現をするなど知る由もなかったのにである。
 湿気を帯びた空気が重たくて濃厚で、息苦しさを運んできた。本当なら、こんな息苦しさは嫌で仕方がないはずなのに、どこかドキドキしている自分を感じた。
――友達が泊まっていけと言ったのは、この声に悩まされていたからなのかな――
 と気付いたのもその時だったが、よく気付いたものだと自分でも感心してしまっていた。
 あの時は悩ましい声が耳から離れずに苦労した。どうして耳から離れないのか自分でも分からなかったが、胸の奥にむず痒い思いがあったのは事実で、
――恥ずかしくて人には言えないことだ――
 という認識が強かった。
 あの時に身体のむず痒さの訳を理解していれば、ずっと頭から離れず、死ぬまで想像し続けていたのではないかと思い、恐ろしくなる。まずそんなことはありえないのだろうが、思春期の自分は今から思い返しても何を考えていたか思い出せないことも多い。
 発育に頭がついていっていない時期である。本能という言葉が分かっていなかった。ボロアパートを見るとその時の気持ちがよみがえる。妖艶な女性が住んでいると思っただけで、中学時代のむず痒さが身体の奥から沁み出してくるかのようだ。
 果たして三宅の発想は当たっているように思えてならない。毎日あの声を聞かされると、ノイローゼになって仕方がないだろう。事実中学時代の友達はノイローゼ一歩手前に近かった。転勤でもないのに、親がボロアパートからコーポに住まいを変えた時には、すでに痩せこけて知り合った頃の面影はなかった。
 声も次第にトーンが低くなり、完全に掠れた声になっていた。まるで別人のように思えたのは、何を考えているか分からなく見えたからだ。きっと何も考えていなかったに違いない。
――本能に負けたんだな――
 と感じた。
 成長期に、隣から悩ましい声が聞こえる。本人は嫌いでたまらなかったはずなのに、声が聞こえると我慢ができなくなる。次第に思考能力が低下していき、意識が上の空になり、自分が何をしているか分からなくなる。分からなくもない。
 その時の友達の表情にハプニングを起こした女性の表情は似ていた。
――だが、それだけではないんだな――
 他に似ている人がいることも分かっていた。
――高校時代の彼女だ――
 彼女は三宅のファースキスに大きなトラウマを植えつけたまま、すぐに身を引いた。あの必死さは彼女自身が何かを我慢していた証拠だったようにも思える。
 本能の赴くままに行動する時、意識が本当にあったかどうか怪しいものだ。
――意識がないからこそ、本能というものが顔を出すとも言えるかも知れない――
 と、その時に感じていたのを今、思い出した。そして、それを感じることで初めて彼女を諦めることができたのだった。
――せっかく諦めた彼女への気持ちを今また思い出してしまった――
 トラウマだったはずなのに、懐かしさしか思い出せないのは、ハプニングを期待しているからに違いない。
 ハプニングを受けることによって自分の中で中途半端に残ってしまったトラウマを完全に晴らそうと思っているのだろう。
 だが、その日彼女は三宅を選ばなかった。かなしばりに合ったようになり、期待していたはずなのに、違う人が選ばれてホッとした自分がいたのも事実である。
 彼女の中に尋常ではない目を見た。
――ひょっとしてやばい男たちの情婦かも知れない――
 あれだけ綺麗なのに、男の影が見えなかった。近寄りがたい雰囲気は、眩しすぎる美しさに寄るものだと思っていたが、それだけではない。
――美しいバラには棘がある――
 というではないか。まさしく赤が似合う彼女の後姿には弱弱しさを感じさせ、そこに寄っていく男たちを想像すると、次の瞬間、男はこの世からいなくなってしまうのが目に見えるようだ。
 決して殺されるわけではなく、この世から消えてしまう不思議な雰囲気である。静かに葬ることができる雰囲気を醸し出しているのが不気味なのだ。
 次の木曜日にハプニングを求めて三宅はスナック「エンジェル」へと向かった。
――一週間しか経っていないのに、まるで一年以上も前のように感じる――
 他の人も同じように思っているに違いない。
 女がいつものように現われて、いよいよハプニングの瞬間を迎えようとしている。まわりを見渡す三宅だが、前回に時間が戻ってしまったかのように思うのは皆同じ席に陣取っているからだ。
――本当に時間がこの空間だけあの時に戻ったのかも知れない――
 と感じるほどだった。
 だが、三宅は気付いていなかった。前回のハプニングで彼女に選ばれた男がその空間にいないことを……。

                (  完  )

作品名:短編集47(過去作品) 作家名:森本晃次