時間差の文明
と思っていた頃だったのかも知れない。
妄想をすることがあっても、その頃は狭い範囲だった。
妄想する必要がなかったからで、普通に考えることがそのまますべて納得できるのだから、そこに妄想の入り込む余地はなかった。
しかし、夢というのは妄想するものだ。千鶴は自分の見る夢が結構強い妄想であることは分かっていた。だが、夢なのだからそれでいいと思っている。夢でなければ妄想する必要もないのだから、夢くらいなら、妄想することを許そうという自分中心の考え方だったのだ。
天井が割れる発想ももちろん妄想だ。
千鶴にはセンセーショナルな発想で、すぐにそれが夢だということが分かった。
夢ではあまり何も考えていないように思っていた。
――どうせ想定外のことを見ているのだから、何かを考えたとしても、それはすべて妄想の中に吸収されて、起きてから覚えていることでもないんだわ――
と感じていたからだ。
では、一体天井が割れることのどこに違和感があるというのだろうか?
千鶴は、夢を思い出そうとしていた。子供の頃に見たかなり古い記憶、しかも、それが夢と言う妄想の世界のことだ。
――逆に古いことでも、妄想なら思い出せるのではないか?
そう考えたが、まんざら間違いでもないようだ。夢というものに、時系列の概念が元々ないのだ。古い記憶をまるで昨日のことのように思い出すことだってあるではないか。そう思うと、千鶴の記憶は夢の中に入って行っているように感じた。
夢の中で、再度あの時の記憶が思い出された。
まず最初に感じた屋上のスペース。最初は、
――何て狭いスペースなんだろう?
という思いだった。何が狭い感覚を与えているのか分からない。狭さの概念は、目の前に映っている光景全体のことなのか、それとも、屋上のスペースだけのものなのか分からなかった。思わず逆さから見てみたいという衝動に駆られたが、さすがに皆のいる前ではできなかった。
どうしてそう思ったかというと、前に田舎道を歩いている時、高い山が目の前に見えていた。思わず逆さから見たその時、あれだけ山が高く感じられ、空が圧迫されているような意識があったのに、逆さから見ると、山は全体の二割くらいにしか見えなかった。
――逆さから見ると、こんなに見え方が違うんだ。これって、やっぱり錯覚なのかな?
と思った。
確かに錯覚なのだが、それだけ普段から視線が空を「無視」しているという証拠なのかも知れない。無視しているという意識がないのは、
――あって当然――
という意識があるからだ。
それこそ、感覚のマヒとは言えないだろうか?
――なかったら、どうなる?
などという発想が浮かぶことはない。それはまるで、
――心臓は動いていて当然なんだ――
というのと似ている。動いていることすら意識することがない。もちろん、止まってしまうなど、想像する人もいないだろう。当たり前に感じ、納得するという以前の問題になるのだ。
問題意識すらないものに対して、その時は違和感があった。だから、人工太陽という話を聞いた時に、すぐに空を感じ、違和感が空にあることを、無意識に意識したのかも知れない。
そして、いよいよ違和感に包まれる瞬間が訪れた。
天井が割れた時は意識はなかった。だが、夢ならそこで終わっていいはずだ。一番大きなインスピレーションを受けた時で終わるのが夢だと思っているからだ。
それなのに、夢はさらに続いた。
割れた天井の欠片を意識していて、その欠片が、逆回しに戻っていったのだ。そこで、目は覚めていた。
すると違和感は、天井が戻った時である。これを違和感とすぐに感じなかったのは。
――あって当然――
という空への意識からなのだろうか?
いや、それだと納得がいかない。千鶴は自分を納得させるために、今考えている。
――何が違和感なのか?
ということを……。
そして千鶴は違和感の正体を発見した。それが、
――モノには、元に戻ろうとする習性がある――
ということだったのだ。
そう思った時、千鶴の中で何か大きなものが納得できたような気がした。やはり、違和感というのはいつ起こっても不思議のないもので、感覚がマヒしていることは、もっとたくさんあるのではないかということを違和感と同時に感じているのだった……。
「カリオス文明」の真実
「カリオス文明」のことを考えていたことが、天井が割れて、その向こうから自分の顔が覗いていたこと、そして、
――モノには、元に戻ろうとする習性がある――
という意識に繋がったことを、千鶴は感じていた。
「カリオス文明」にも、何か人工太陽のようなものがあり、それが文明が繁栄する力になっていたのだと千鶴は感じていた。
人工太陽には、神が宿っていて、そこには、創造神の存在が信じられていたように思える。
――モノには、必ずそれを作った神が存在していて、神の力を絶対だと思うあまり、信仰にも文明によって大きく違うのだろう――
と思うようになっていた。
天井が割れて、そこから覗いている顔には、千鶴は自分を想像していた。それは「カリオス文明」を想像したためだとすると、「カリオス文明」の人々にとって、人工太陽の創造神は、
――自分と同じ顔を持った神――
だということになる。
見方を変えると、
――人それぞれで、創造神は違うんだ――
ということに結びつく。それは人工太陽というだけではなく、他の創造神に対しても同じ考えではないだろうか。
千鶴は、そう感じていると、自分の前世が、「カリオス文明」だったのではないかと思うのだが、もう一つ違った考えもあった。それは、
――本当に前世なのだろうか? ひょっとして、後世なのかも知れない――
「カリオス文明」というのは、滅んだ文明の中の一つとして語り継がれてはいるが、実際には、ハッキリしたものではない。ひょっとすると、何千年か先の未来に、かつての文明が栄えたような時代がやってくるのかも知れない。
――世の中も堂々巡りを繰り返している――
と、思えないこともないからだ。
あまりにも想像が突飛なので、俄かには信じがたいが、後世のことを感じるのであれば、それは記憶ではなく、予知能力ということになる。
いや、自分の後世なので、予知能力というよりも、決まった運命を垣間見たということになる。
――タブーなのではないのか?
とも感じたが、今の自分の将来ではないので、タブーと言いきれるものではないと思う。しかも、前世だと普通なら感じることだ。千鶴は、
――後世であってもいいのではないか――
と、思いを巡らせただけである。
「カリオス文明」の人たちが、もう一人の自分の存在を知っていると千鶴は感じていたが、その時に感じるもう一人というのが、
――創造神なのかも知れない――
と、感じるのだとすれば、辻褄が合う。
もし、「カリオス文明」が後世の出来事であれば、今の千鶴は、後世で「カリオス文明」に生まれ落ちた自分から見れば、
――創造神――
として、前世を思い出すのかも知れない。