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時間差の文明

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 と、言っていた。汗が身体の体温を奪ってしまうことが原因だということを、浩平は分かっているようだ。
 浩平は子供の頃、家族で海水浴に出かけた時、帰って来たら必ず発熱していた。一度発熱してしまうと、汗を掻いて気持ち悪いというイメージと重なってしまい、海水浴の時以外でも、汗を掻いて身体に重たさを感じた時、
――また、熱が出てくるかも知れない――
 という意識を感じ、気分が悪くなってしまうことが多かった。それこそまるで、「パブロフの犬状態」だと言えるだろう。
 夕凪の時間が、どんなに涼しい時間であっても、その時間には汗が滲んでいた。もちろん、夕凪を意識した時は当然なのだが、意識していない時でも、汗が滲んでくると、
――夕凪の時間だ――
 と、発汗作用から、逆に時間帯を意識してしまうこともあった。
――夕凪の時間帯とは、風が吹かない時間帯――
 という認識は、後になって知ったことだ。それまでは、海水浴の時の身体のだるさが汗を掻かせているものだと思っていた。その影響が一番強いのは当然のことだが、夕凪の時間帯は風が吹かない時間帯だという認識も大いに、浩平の意識の中に強くあった。
 喫茶「アムール」で、浩平に対して、
「友達の妹に会ってほしい」
 と言った千鶴は、明らかに普段の千鶴とは違っていた。
 どこが違うかというと、漠然としてしか分からないが、浩平以外の人であれば、普段の千鶴と違っているということすら、分からないに違いない。
――千鶴が、人に会ってほしいなど言うのもおかしい気がする――
 普段、大人しい千鶴が浩平の前でだけ饒舌なのを、浩平は嬉しく思っていたが、それでも、千鶴が「自分のこと」を訴えようとしているから、可愛らしさがあった。
 普段、大人しく感情を内に籠めているので、内に籠めている感情を素直に出せる相手が浩平なのだ。だから、千鶴が饒舌で、しかも訴えるようなことを口にするのは、自分のことでしかないと思っていた。
 確かに、友達の妹の存在は、話を聞いているだけでは、気持ち悪い存在のように感じられた。それを千鶴も分かっていて、気持ち悪い存在という意識を浩平の中から排除したいと思っているのかも知れない。
 だが、訴えているのは、自分のこととしてではなく、
――あくまで相手のことを考えているんだ――
 と言いたげであった。
 浩平から見れば、どこか言い訳がましいところがあり、あまり好感の持てるイメージではない。
 もし、相手のことを考えていたとしても、それを言い訳がましく口にする千鶴ではなかった。それは、
「千鶴が自分のこととして、訴えている姿勢が見られれば、素直な千鶴を見ることができる」
 と考えているからであろう。
 千鶴にとって、友達の妹の存在がどういうものかは分からないが、浩平にとっての千鶴とは、
――少なくとも、自分の前では素直な自分を出すことができる――
 というイメージなのだ。
 喫茶「アムール」で、、浩平と二人きり。言葉にすれば、いつもと同じであり、それ以上でもそれ以下でもない。
 だが、実際に映像として見てみると、明らかに違う雰囲気を醸し出していた。
 その時、浩平は夢の中にいるような感覚に陥っていた。自分の目が自分の身体から離れ、第三者として、二人が鎮座している姿を眺めていることで感じたものだった。
 見る距離もきっと微妙なのだろう。
 遠すぎるとハッキリと見えてこない。当たり前のことだ。しかし、近すぎると、今度は感情が入り込んでしまい、偏見や思い込みが頭の中から離れなくなってしまうだろう。
 浩平自身が、自分の身体から離れたことで、自分がどんな態度を取るのか分からない。千鶴の態度よりも、自分の対応の方が気になってしまうのも仕方がないことだ。
 だが、第三者のように見てみると、いつもの千鶴と違っているのが、分かってきたような気がする。
 それは浩平が二人だけの空間しか見えていなかったからで、そうさせているのは、明らかにいつもと違う千鶴の態度にあった。
 しかし、千鶴の態度を見ているうちに、
――二人とも、まるで抜け殻のようだ――
 と思うようになった。
 そう思って見ていると、二人の空間が、何か薄いシートに包まれているように思えてならなかった。
――他の人には見えないようにしているのだろうか?
 実際にはその空間には誰もいなくて、身体を離れたことによって見えているように思っているのかも知れない。
 浩平自身がいるのは間違いない。ただ、そこに千鶴が本当にいるのかどうか疑わしく感じられた。
 そう思って見ていると、自分が、一点しか見ていないことを今さらならが思い知らされた。
 まわりを気にして見ていると、もう一つの目が、二人を捉えているのを感じた。その目は浩平の視線よりも鋭いような気がする。その視線が千鶴であることに気付くまで、しばらく時間がかかった。千鶴の視線にこんな鋭いものがあったなど、今まで感じたこともなかったからである。
「千鶴?」
 目だけしかないのに、声が出るわけもない。もう一つの目は、浩平が見つめていることなど知る由もなく、二人を見ていた。
――そもそも、その目に見えているのは、目だけになった俺と同じものなのだろうか?
 という疑問が浮かんでいた。
 それは、目の前にいる千鶴を、目だけになった千鶴が捉えているかどうかということでもある。
 浩平は、自分の身体から目が離れてくるような感覚を感じていた。だから、目の前にいる自分が抜け殻のように感じたのだ。しかし、千鶴の場合は訴えようとしている自分に抜け殻を感じることができるかが疑問である。
 もう一人自分がいるのではないかと千鶴が感じたことを浩平は知らないが、千鶴も同じように目だけになっている自分を感じているのかどうかを考えていた。
 もし感じていたとしても、自分が目だけになっているという意識はないかも知れない。第三者として見ている目は、浩平のように、
――夢の中での感覚――
 として捉えているとすれば、それをもう一人の自分として結びつけるまでは至っていないに違いない。
 浩平は、今自分の前に鎮座している千鶴をいつもの千鶴と思っていない。
――もう一人の千鶴――
 として見ている。
――これは夢なのかも知れない――
 と、思えば、そのまま目が覚めたはずだ。そして、目を覚ましてしまえば、その時考えたことがすべて消えてしまうであろう。
 最近の浩平は、いろいろなことを考えすぎる。それも昔の記憶がすべて影響している。記憶が交錯してしまっていることが分かっていて、交錯してしまったことで、記憶が過大に印象深い記憶としてよみがえってきているのかも知れない。
 自分の横で目だけになって二人を見ている千鶴を感じた時、千鶴がもう一人の自分の存在を意識しているのかも知れないと思った。すべてが自分の勝手な妄想であるにも関わらず、その中でちょっとした意識の違いが大きな感覚の違いに感じられる。
 千鶴の目を意識したのも、子供の頃に行った博物館の天井が割れて、千鶴の場合そこに自分の顔を感じたという記憶が、意識として、浩平の中に生まれたに違いなかった。
作品名:時間差の文明 作家名:森本晃次