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時間差の文明

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 堂々巡りという言葉で、すべてを解決しようと思っているわけではないが、納得させるために必要な要素として重要な位置を占めていることは間違いないようだ。
 子供の頃に見た夢で、空が割れる夢を見たことがあった。
 空は果てしないという意識を持ちながら、
――モノには、必ず果てはある――
 という発想を持っているからなのかも知れない。
 社会科の教科書で、
「世界の果て」
 というのを見た時は、印象深く感じたものだ。
 海の向こうは滝になっていて、近づけば滝に飲まれてしまうのだ。それを見た時は、センセーショナルな印象だけだったが、今考えてみれば、そこには教訓が含まれていた。
「世界の果てには近づいてはいけない」
 という教訓である。
 近づけば、明らかに滝に飲まれて、命はないのだということであるが、そのことは子供の頃にも意識していたはずなのに、子供の頃にはそれが教訓であることを意識していない。
 見た目のインスピレーションだけを素直に見る目と、どうしても疑念から入って見ることが先決だと思うようになった目とで、子供と大人の目線の違いだとすれば、
――大人になるというのもあまり嬉しいことではない――
 と感じるようになっていた。
 空が割れる夢を見たのは、世界の果てを教科書で見たことが影響しているように思っていたが、本当に空に果てがあるという発想だけのものだったのだろうか? 他にも似たような夢を見たか意識があったかなのではないかと思い、さらに記憶を巡らせてみた。
 その時に見た記憶は、学校から博物館に行った時のことだった。屋上に庭があり、雲一つない、真っ青な空だった。
「おかしいな、今日は雨が降りそうな天気だったのに」
 と、一人の生徒が気付いたのだが、その時、博物館の引率の先生が、
「いいところに気がついたね。ここの空は、実は人口太陽なんだよ」
 と教えてくれた。
「ここで、いろいろな作物を育てているんだけど、うまく育つかどうか研究しているんだよ」
 と、教えてくれた。
 その日は、博物館の展示物よりも、屋上での人口太陽の方が印象深く、夢に出てきたのだった。
 その夢では、空だと思っていたところが、まるでタマゴの殻が割れるようにヒビが入り、割れたその先に見えたのは、引率してくれた先生だった。先生の顔には笑みが浮かんでいて、他にもたくさん生徒がいるのに、自分だけを見ているように思えた。
 どこへ逃げても、その視線は追いかけてくる。まるで浩平を目の敵にするかのようだった。
 ただ、それだけなら、
「怖い夢を見た」
 というだけで終わるのだが、その時に一緒に行った千鶴も同じ夢を見たという。
 同じように天井が割れて顔が覗いていたというのだが、それが誰だったのかということは覚えていないという。ただ、自分だけを見つめていて、どこに逃げても同じように視線が追いかけてくる。千鶴はその視線が自分だと気が付いたというが、浩平には違う人の顔だったことで、
――俺と千鶴は根本的なところで、潜在意識が違うんだ――
 と、感じた。
 ただ、その話には続きがあって、割れた天井が、しばらくすると、ビデオテープを撒き戻すように、剥がれたところが、再度くっついていくのを見た。そのすべてが、元に戻った瞬間に、浩平の目は覚めていた。
――すべてのものは、元に戻ろうとする習性がある――
 浩平は、そう感じたのは、その時が初めてだった。この思いが浩平の性格を形作っていて、今後の自分の行く末をも左右するのではないかということを、知る由もなかったのだ……。

                 違和感という意識

 千鶴は時々、
――自分が二人いるのではないか?
 という思いを抱くようになっていた。
 この思いは、浩平と同じ天井が割れる夢を見て、天井から自分が覗いているのを見てから、ずっと頭の中にあったことだった。
――でも、そんなバカなことがあるわけないわよね――
 と、自分に言い聞かせているのも事実で、実は浩平も、もう一人の自分がどこかにいるのだということを感じているなど、思いもしなかった。
 浩平の方も、同じようにもう一人の自分を夢の中で感じていたのだが、それが夢だけではなく、夢と現実の狭間が存在していて、そこに落ち込んでいるのではないかということを自分で納得させたいと思っていた。
 夢と現実の狭間は、一日の中にあると思っていた。その入り口が夕凪の時間なのではないかと思っているのだが、その根拠が、モノクロに見えるという事実である。
 実際にモノクロだという意識はないにも関わらず、モノクロに見えるという意識もない。
 さらに一日の中にあるという思いは、もう一人の自分と、今の自分が時々入れ替わっているのではないかと思うことがあった。堂々巡りを繰り返しているような気がするのは、そのせいである。
 入れ替わるには、もう一人の自分がいる世界と、定期的に窓口を解放する必要があり、一日のうちの数分であれば、ちょうどいいのではないかと思えてきた。
――案外、時間帯というのは、必要に応じて、決まったサイクルになっているのかも知れないな――
 と、浩平は感じていた。
 千鶴も夕凪の時間を意識していた。
 夕方の時間、風のない時間が存在し、交通事故が多いということまでは意識していたが、モノクロという意識まではなかった。
 魔物に会う時間としての「逢魔が時」という言葉は知っていたが、
――不気味な時間帯――
 という意識を与える要素になっていることだけを感じていた。
 夕凪の時間になってから、足元から伸びる影から、目を離すことができなくなってしまうのではないかという恐怖を感じていた。そのために、なるべく足元を見ないようにして歩いているつもりだったが、気が付けば足元を見ながら歩いている自分に気付いてビックリさせられることがある。
 その時間帯が本当に夕凪の時間だったのかどうか、ハッキリと分からない。
 千鶴にとって、夕凪の時間帯は、漠然としたものだった。
――風の吹かない時間――
 としての意識はあったが、モノクロを意識しているわけではない。モノクロに見えているかどうか分からなくても、浩平には夕凪の時間の最初と最後は意識できるようになっていたのに比べて、千鶴には、いつが夕凪の始まりで、いつが夕凪の終わりなのか、ほとんど理解できないでいた。
――気が付けば、日が暮れていた――
 ということも少なくない。もっとも、夕凪を意識しようという時は珍しく、ほとんどが、何も考えずに夕日が西の空に沈んでいることが多かったのだ。
 夕日が沈んでしまってからの方が、意識はしっかりしている。夕凪を意識することがなくても、夕方は身体がだるくなる時間帯だということを、今までもずっと意識してきていた。
 千鶴が夕方になって、身体にだるさを感じるのは夏の間だけだと思っていたのは、子供の頃のことだった。元々、夏よりも冬の方が好きで、
「夏は、暑さで意識が朦朧とすることがあるから、嫌いなの」
 と、夏が苦手な浩平と同じだった。
 浩平の場合、同じ夏が苦手であっても、若干理由が違っている。
「夏は、汗を掻いてしまい、そのせいで、身体がだるくなるから嫌なんだ」
作品名:時間差の文明 作家名:森本晃次