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時間差の文明

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 夕凪の時間というと、身体にだるさを感じる時が多かった。道を歩いていて感じるのは、自分も知らない時代のことだった。それは、テレビで見た四十年代あたりの光景であろうか。まだまだ子供は外で遊ぶというのが当たり前だった頃の記憶が頭の中に残っていた。
――親の世代くらいかな?
 親が見ていた記憶が子供に遺伝するなどという話は聞いたことはないが、印象に残っていることが、子供に遺伝しないというのは却って不思議な気がする。
 もっとも、
――遺伝のタブー――
 として、意識の限界を形成しているのだとすれば、納得しないわけにはいかないだろうが、きっと、誰もそのことについて疑ってみたことがないので、暗黙の了解として、
――遺伝しないんだ―― 
 と言われたとしても、誰も疑うことはないだろう。
 意識しないことも、何かの力が働いているとすれば、例えば、自分のことであっても、母親のお腹の中にいた記憶が残っている人が一人もいないというのも、何かの力が働いているのかも知れない。
 生まれ落ちてから、最初に見たものを親だと思う動物がいるが、生まれ落ちるまでの記憶があるかと言えば、きっとないのだろうと思う。
 母親の胎内というのは、表の世界とは次元が違っているのかも知れない。
 表に出てくれば、呼吸も食事もすべて自分でやらなければいけない。確かに親に手伝ってもらっているとはいえ、胎内にいる時のように、へその緒から栄養を吸収できるわけではない。意識がなくても、生きられるのが、母親の胎内というものだ。
 へその緒から吸収できるものが、本人の意識の外であるとすれば、親からの意識の遺伝もないと考えて不思議はない。やはり
――遺伝のタブー――
 なのだろうか?
 ただ、夕凪の時間の記憶というのは、やはり親の記憶を引き継いでいるような気がする。時代的にも親の子供時代の世界であることに違いはないのだ。
 子供の頃、学校が終わって帰り道で、夕日を背中に浴びながら帰っていると、表で遊んだりしたわけでもないのに、身体にだるさという違和感があった。
 休み時間に、表で遊ぶことがあまりなかったのに、身体にだるさだけが残っているのは、最初は違和感があったが、次第にそれが当たり前のように感じてくると、帰り道にある土手に座って、しばし、河原を見ていることがあった。
 そんな日は、急いで帰っても、何もする気が起こらないと思っていた日だった。テレビゲームをするでもなし、テレビを見るでもなし、ましてや、帰ってすぐに宿題を片づける気になど、なるはずもなかった。
 河原の向こうには、マンションが立ち並んでいるが、親が子供の頃に見た光景では、きっと工場が建っていて、煙突から空に吸い込まれるような灰色の煙がモクモクと立ち上っているのを想像できた。
――煙って、どうなっていくんだろう?
 そんなことを考えていると、自分が親の世代の子供に戻って、妄想を膨らませていた。
 空が煙を吸収している。大きな雲になって、空全体を覆わんばかりの薄暗さなのだが、煙はそれでも容赦なく、空に侵入していく。
 侵入された空は、それ以上色を濃くするわけでもない。最初からどす黒くて。色が変わることはない。浩平はそう思った時、
――早起きして、煙が舞い上がる前の空を見てみたい――
 と思って、妄想の中で、早起きをして、いつもの河原に出かけていた。
 しかし、見える景色はまったく変わらなかった。どす黒い色の空は、いつの時間に行っても同じことで、煙を吸い込もうが吸い込まない時間帯であろうが、まったく変わらないのだ。
――時代が進歩して、煙を吹き出すことがなくなったとしても、空の色は変わらないんだ――
 と思った。
 そこで我に返って、もう一度空を見ると、やはりどす黒い雲が浮かんでいる。目の前に工場などなく、あるのは、マンションだけなのだ。
――空というのは、いつの時代も変わりなく、どす黒いものだ――
 それは、一度汚れてしまったら、修復は困難であることを示していた。ただ、それが他の場所で見た空に言えることではなかった。他の場所から見た空は、時には雲一つない真っ青な空を演出している。どす黒さが消えないのは、河原の土手から見た光景だけだったのだ。
 それがいつも夕凪の時間だった。いつも河原を通りかかるのは夕凪の時間。それ以外の時間に通りかかることはほとんど稀で、自分にとっての夕凪の象徴でもあった。
 ただ、同じ夕凪の時間に違う道を歩くこともある。この間のように千鶴と待ち合わせをしている時などそうなのだが、その時にどす黒い雲を感じることはないが、身体のだるさと、不安、恐怖、孤独は感じる。逆にどす黒い空を見た時には、不安は感じる時もあるが、恐怖と孤独を感じることはない。恐怖と孤独は、どす黒い空が吸い取ってくれているように思えてならないのだった。
 夕凪の時間に、自分が父親になって子供と同じ道をお互いに反対から歩いてきているのに、二人とも気付かないという奇妙な現象であるが、今考えれば、夕凪の時間は、前を見て歩いているつもりでも、気が付けば、空を見上げて歩いていることが多かった。ただ、ずっと空ばかり見上げているわけではないので、会えないことへの直接的な理由にはならないが、空を見ていると、空が果てしなく広がっている感覚と、手を伸ばせば届くのではないかと思える感覚とが、数秒刻みくらいで、堂々巡りを繰り返している感覚に陥ることがある。
 前を見ているつもりでも、気が付けば、空を見上げている。空への遠近感を感じなくなることで、急に視線を、正面に戻した時、見えるはずのものが見えなかったとしても、浩平には、それが不思議なことではないのではないかと思えてくるのだった。
――空に吸い込まれそうな気がする――
 身体が宙に浮くような感覚をそのままに、正面を見ると、少ししか歩いていないはずなのに、かなり歩いてきたように思えてしまう。
――身体のだるさはそこにあるのかも知れない――
 かなり歩いているのに、少ししか歩いていない感覚を持っていると、身体のだるさを自分の中で納得できない。それを納得させるために、夕日によって掻いた汗が、気だるさを誘うという理屈で、正当化させようとしていると思うと、全面的に納得できないことでも、ある程度は納得させることができるのだという意識を持ってしまう。
 空ばかりを見ている感覚がないのに、実際に空を見ている。しかも、空も覚えていなければ、前を見ているはずの景色も意識がない。
 意識があるとすれば、それはいつも通っている道としての意識であって、その時に見た意識ではないのだ。だから、人と同じ道を反対から歩いてきても、出会うことがない。お互いに違うところを見ているからだ。
 それを、解釈として、
「違うところを歩いてきたんじゃないの?」
 という飛躍した発想になるのだ。
 確かに、二人とも違う方向を見ながら歩いているなど、誰も想像しないだろうから、それよりも違う道を歩いていたのではないかと思う方が、まだ納得させられるかも知れない。勘違いということがあるからだ。
 どうしても、納得させないと気が済まない時に、結局結論が見いだせない時、
――堂々巡りを繰り返しているからだ――
 という解釈をしてしまう。
作品名:時間差の文明 作家名:森本晃次