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時間差の文明

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――でも、そんなに毎日意識しているわけではないはずなのに、いつも意識しているように感じるのは、それだけ頻繁に待ち合わせをしていると思っているからなのかも知れない――
 以前に比べれば、千鶴との待ち合わせは頻繁ではない。千鶴と待ち合わせをする時は、必ず何か目的がなければいけないと思うようになっていた。
 浩平は、夕凪の時間帯が、本当に今の世界なのか、疑問に感じることがあった。
――普段と違ってモノクロに見えるのが夕凪の時間帯――
 だというではないか。
 テレビドラマなどでもモノクロ映像というと、昔の倉庫から引っ張り出してきた昔の映像を思わせ、知らない世界をより不気味にさせる。
 色がついていないだけに、想像を掻きたてるのだが、血の色でも、真っ赤な血の色よりも、モノクロで映し出された方が気持ち悪く感じることがある。それだけカラー映像に見慣れているせいなのかも知れないが、
――人間の想像力には限界がない――
 と感じさせるところが、モノクロの力でもある。
 風がない時間帯という意識は、夕凪の定義としては持っていても、実際に夕凪の時間帯に遭遇すれば、風がないと気付くことは稀だった。
 風がないことに気付いた時は、その日何か特殊なことが起こるという意識があった。
 先日のように、
――千鶴がいないかも知れない――
 とまでハッキリとしたことは分からなかったが、
――何か普段と違ったことが起こるかも知れない――
 という意識に繋がる何かがあったのだ。
 さすがに、「逢魔が時」と言われるほど、読んで字の如しで、魔物に会う時間帯と言われるだけに、不気味さが不安と恐怖を呼ぶのだ。
 浩平は、その二つに、さらに孤独というキーワードが含まれているのではないかと最近感じるようになった。
 孤独は浩平に現れるものではなく、千鶴に現れるものだった。いつも一人で大人しくしているというイメージをまわりの人が持っていると感じていることで、
――俺は千鶴に孤独を感じていない――
 と思っていたはずなのに、千鶴に夕凪をかぶせてイメージしたことで、すでに孤独を重ね合わせて見てしまっていることに、今さらながらに気が付いた。
 夕凪の時間帯というものは、どうしても昔の記憶を思い起こさせる作用があるようだ。
――初めて見るはずなのに、以前にどこかで見たような気がする――
いわゆるデジャブと言われる現象であるが、デジャブといわれる現象は、実際に自分で見た記憶と言っても、実はどこかで絵画を見たり、映像を見たもので、自分が行ったものとして記憶されたものなのかも知れない。
 そこには、
――行ってみたい――
 という願望が、
――行ったことがある――
 という錯覚を招くことで、記憶の中の辻褄を合わせようとする現象なのかも知れない。
 デジャブという現象が、頭の中で何かの効果を生んでいると感じた時、夕凪の時間帯が、ただ、不安と恐怖を掻きたてるだけではないような気がしてきたのは、気のせいであろうか?
 千鶴を見ていて感じた孤独、夕凪にも感じられたことで千鶴に孤独を感じたのか、それとも、千鶴に孤独を感じることで、夕凪に孤独を感じることを意識させられたのか、曖昧であるが、切っても切り離せない関係になることは、忘れてはならない事実のように思える。
 夕凪に未来を想像してみたことがあった。
 自分が親になって、帰宅途中のある日のこと、自分を迎えに来ようとしている子供と、同じ道を歩いていたはずなのに、会うことができずに、自分は帰宅していて、子供は駅に着いてしまった。
 お互いに見つけることができなかったことで、
「どこの道を通ったんだ?」
 と聞いても、やはり同じ道を通っているのだ。
 しかも、二人とも同じ人に出くわしていて、その人も、
「ああ、二人とも見かけたよ」
 と、その人の言葉は、二人が同じ道を通ったことを示していた。
 それなのに、出会うことができなかったのである。
 父親である自分は、
「こんな不思議なことがあるものか」
 と言って、信じられないということを、家族の前で必死に訴えるが、息子の方は、キョトンとしている。
「別にいいじゃない。ただ合わなかっただけだよ」
「合わなかった? 会えなかったじゃなくて?」
「ああ、そうだよ? 合わなかったんだ。お互いに相性がその時合わなかったから、会えなかった。それだけのことだよ」
「おい、おかしなことを言うね。同じ道を歩いているんだから、会えないはずはないんだけどな」
「会えなかったとは一言も言ってないよ。会えてはいるのさ。ただ、相性が合わなかっただけだよ」
 話をそれ以上しても、平行線を辿るだけだ。
「分かった。少しお父さんも考えてみよう」
 そう言って、考えてみた。
「そういえば、今までにも会いたいと思って、同じ道を歩いていたはずなのに会えなかった人もいたような気がする」
 息子の話を聞いて思い出してみると、確かにそんな記憶もあったような気がする。しかし、どうして思い出せなかったのか、自分でも分からない。その時はそれほど大変なことだとは思わなかったのだろうか?
 いや、これも一種のデジャブに近いものがあるような気がする。
――一度も行ったことがないのに、行ったような気がする。そして、一度も感じたこともないのに、感じたことがあるような気がする。同じようなことではないか――
 夢を見るにも何かの教訓が必要だとすれば、まさに、この夢には「デジャブ」の応用型の様相が含まれている。
――結論から、先に考えて、小説のストーリーが生まれたような感じだな――
 小説を読むことを趣味にしている浩平らしい考え方だ。ただその中で、夕凪の時間に限定しているというのは、それだけ夕凪を恐れているからでもあるのだ。
 さらにこの夢には、続きがあって、自分の息子だと思っていた相手は、実は自分だったということである。本当は息子の方が夢を見ている自分で、頭の中で考えている親は、夢が作り出した虚栄であった。
 息子は自分の潜在意識が作り出した夢なので、ある程度、
――何でもあり――
 が夢なのだと思っていた。
 それでも潜在意識の範囲内であることに変わりはなく、デジャブと夕凪を日ごろから意識していることで、このような夢を作り上げたのだろう。
――それにしても、俺もなかなかすごい発想をするものだ――
 と、感じていた。夢というものが、現実世界と違って、想像していることを形にできるので、それだけ想像の中の限界を超えることができるのだろう。
 想像の中の限界とは、言わずと知れた「堂々巡り」であり、
――堂々巡りをするから、現実世界なんだ――
 と、浩平は感じたのだった。
 夢はいつの間にか覚めていて、気が付けば、汗をぐっしょり掻いていた。
 夢であったことにホッとした自分もいるのだが、最初から夢だと分かっていたような気もする。
 それこそ、自分の中の意識の限界を、現実世界の自分が知っているからではないだろうか。
 浩平は夢と現実の狭間で彷徨っていた自分を意識したことがある。それがその時だったような気がするのだが、それもデジャブの夢を見たという意識があるからなのかも知れない。
作品名:時間差の文明 作家名:森本晃次