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時間差の文明

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 三回目の時に、彼女に自分が嫌がっているような素振りは見せなかったはずだ。それは、浩平が嫌がっているのではなく、不安や恐怖に感じていることをその時に気付いていなかったからなのかも知れない。
 嫌ではないはずなのに、どこか、彼女に会うことに対して気遣うような気がしていた。それが恐怖や不安であることに気が付いたのは、だいぶ後になってからだった。
 嫌でもないのに、会うことを躊躇っているのは、不安や恐怖があるからだという理屈に繋がるまでに、何段階か要するのだ。まるで昔話の中にあった「わらしべ長者」の感覚である、
 その間に意識していないと思っていたはずの千鶴の存在があったことも事実だった。千鶴の存在を考えた時、自分の存在がどういう位置にあるのかを考えると、彼女とは身分不相応だと思い始めたのだ。
 今の時代に身分がどうのなどというと、笑われるかも知れないが、その人の持って生まれた遺伝子の中に、意識しなければいけない感覚が備わっているかも知れないと思うと、先祖は、さほど裕福でなかったことが想像つく。
――そのことを思い知らせるために、彼女は俺の前に現れたのではないか?
 という思いが頭をよぎったことが、不安と恐怖を駆り立てたのではないかと思ったほどだ。
 それにしても、お嬢さんのお姉さんとして現れた千鶴のイメージがあまりにも嵌っていたのにはびっくりした。
――千鶴の先祖は、裕福だったのかな?
 と感じたが、発想として浮かんできたのは、日本の昔ではない。西洋のお屋敷のイメージであった。浩平は千鶴が「カリオス文明」を意識していることを知らない。ただ、千鶴のイメージが日本風のお姫様というよりも、西洋のお姫様の方が似合っているように感じていたのは事実だったのだ。

                もう一人の自分と夕凪

 浩平が子供の頃の思い出を懐かしく思っていた頃、千鶴は喫茶「アルプス」に通うようになっていた。
「私は、あなたのお友達の妹なんです」
 と告白された。
――やはり――
 と千鶴は思ったが、このことは誰にも言ってはいけないことなのだと思っていた。同じ時間に、もう一人の千鶴が、喫茶「アムール」で浩平に、
「友達の妹に会ってほしい」
 などということを言っているなど、まったく思いもしなかった。
 もう一人の自分が存在していることは、何となく分かっていた。浩平の態度が自分の知っている浩平ではない時があることを分かっていたからだ。
――浩平にもう一人の彼がいるのか、自分がもう一人存在しているのかのどちらかなのかも知れない――
 信じられないことだが、そう思えば、いろいろなことが解決してくるように思えた。もちろん、この間待ち合わせをした時に、浩平から、
「時間までに行ったのに、君は帰っていたんだ」
 と言われたのを聞いた時だ。
 ただ、同じ場所で待ち合わせていたのに、もう一人の相手と会う約束をしていて会えなかったということは、もう一人の自分、あるいは千鶴が存在している世界は、今の世界ではないのだろうと思う。
――捻じれた世界――
 というと大げさであるが、二人の間に、何か見えない力が働いていると思うと、不安や恐怖が襲ってくるのも分からなくもない。
 それなのに、そこまで怖いという感覚はないのだ。
 子供の頃から、絶えず、不安や恐怖に怯えていたような気がする。その思いが、今の自分の感覚をマヒさせているのかも知れない。
――今さら、恐怖や不安に怯えてどうするというのだ?
 夢とも現実ともつかない感覚が、漠然としたものとして、浩平の中に存在しているのだった。
――あの時のお嬢さんが、今訪れている、不安と恐怖を和らげる効果をもたらしてくれたのかも知れない――
 実際に、彼女の存在自体が、本当にまったく知らない人だったのかどうかというのも疑問である。
――知らなくても、どこかで深く関わっている相手なのかも知れないと思うと、それを運命の悪戯という一言で片づけていいものかどうかだな――
 と考えていた。
 もし、彼女と、あの時の運転手が、自分の守護神のようなもので、守ってくれているのだとすると、自分の知らないところで千鶴と会っている「もう一人の自分」は、どういう存在なのだろう? 守護神のようなものであれば嬉しいのだが、それを知るすべを、一番近い存在でありながら、会うことは許されない自分に、分かるのであろうか? そう思うと、やはり、不安と恐怖は拭い去ることは、そう簡単にできるものではない。
 浩平は、自分が時々会っている千鶴が、幼馴染として知っている千鶴なのかということに疑いを持つようになっていた。
 考え始めると、堂々巡りを繰り返しているのか、それとも、果てしない迷路に迷い込んでしまったのか、気が付けば、また同じところに戻ってきている。
 今まで千鶴と待ち合わせて、判で押したように、千鶴が約束の三十分前、そして浩平が十五分前に現れるのは、「お約束」の展開だった。
 それをまったく不思議に思わず、この十五分の違いを当たり前のように感じ、もっと真剣に考えてこなかったことが、十五分という時間の溝から、何か不安と恐怖を煽るものに結びついたのではないかと思えた。
 十五分という時間、浩平にはあまり意識はなかった。だが、それを教えてくれたのが千鶴だったのだが、それは翌日になってからのことだった。
 翌日、千鶴といつものように待ち合わせをした。同じように千鶴が三十分前、浩平が十五分前に、喫茶「アムール」に現れた。
 店には相変わらず誰もいなかった。千鶴は浩平を待っている間、マガジンラックから雑誌を持ってきて読んでいた。その本は、文明に関しての本で、千鶴は「カリオス文明」の項目を興味深げに読んでいた。
 浩平が店に入ってきたのは、その時だった。
「もう十五分経ったのね」
 と、千鶴は浩平の顔を見て、すぐにそう言った。挨拶もそこそこだっただけに、浩平もその言葉に共感を覚えていた。
「早いと感じるか、遅いと感じるか、微妙な時間なのかも知れないね」
 もし、千鶴から、最初に十五分の話を持ちかけられなければ、十五分が微妙な時間だったなどと、想像することもなかったであろう。
「私、子供の頃、浩平の後ろをいつも歩いていた時、十五分、浩平より早く前を歩いていれば、ちょうどいいかも知れないと思ったことがあったの?」
「それはどういう意味だい?」
「ほとんど同じ時間だったら、すぐに追いつかれちゃうでしょう? 十五分くらい前を歩いていれば、私の姿は見えるはずもない。だから、安心して浩平の前を歩けるって思ったの」
「それにしても、十五分は長すぎるだろう?」
「私も最初はそう思ったんだけど、十分だったら、私が振り向いてから、身構えるまでに間に合わないのよ。だから十五分なの」
 なるほど、先を歩いている人間は、前しか見えていない。後ろを振り向いて体制を整えるまでにはどうしても、さらに時間が必要だ。それが十五分ということなのだろうか?
 浩平は、その十五分を、夕凪の時間だと思っている。
 最近、千鶴と待ち合わせをする時に、やけに夕凪を意識するようになったからだ。
作品名:時間差の文明 作家名:森本晃次