時間差の文明
それでも社会人になってくると、そうでもない。お互いに気を遣うことが多くなっていた。今まで気を遣ったことのない相手だっただけに、どのように気を遣っていいのか、戸惑いも隠せなかった。気を遣うというのを自然とできなくなったのは、大人になったからだろうか? それであるならば、
――大人になんか、なりたくない――
と思うのは、千鶴の考え方だった。
千鶴は大人になって、会社であまり気を遣うことの苦手な女性だと思われているようだ。それでも、一生懸命なところがあるから、人から嫌われるということはない。ただ、仲間意識に入れないところがあるので、人とうまく付き合うことができない。
――私が気を遣うのが下手だからだわ――
と、少し違った発想を抱いてしまって、そのせいもあり、会社では余計に孤立してしまっていた。
――意固地になっているわけではない――
と、本人は思っているが、別にグループの中に属さなくてもいいと思っている。別にOL仲間に入らなければ、仕事ができないわけではない。男性社員は優しく教えてくれるし、女性社員から妬まれているという意識もない。
――会社では、この程度の付き合いでいいんだ――
と思っているが、それでも溜まってくるストレスはどうすることもできない。
――浩平がいてくれれば、他に何もいらない――
とまで思っているが、ここまでハッキリ感じてしまうと、さすがに千鶴も、意固地になっていないとは、ハッキリ言えないのではないかと、思うようになっていた。
――浩平にだって、会社での付き合いがあるはずだから――
と、自分に言い聞かせているが、心の中では、
――浩平も私のように孤立していれば、二人だけの世界が、二人にとって、かけがえのないものになるはずだわ――
と密かに思うようになっていた。
千鶴は、以前から、読書が好きだった。
好きだったというのは、少し違うと本人は思っている。好きだというよりも、「逃げ場」というべきであろうか。読書をしていれば、一人の世界に入れるからだ。
だが、千鶴は、本当は読書は得意ではない。自分の中で焦りがいつも頭の中にあり。結論を先読みしてしまう癖があったからだ。
――小説を読んでいても、ついついセリフからしか読まないようにしてしまう――
そのために読んだつもりになっていても、記憶している内容がまったく違った話になっていたり、自己満足で終わってしまうことで、せっかく読んだ小説を話を他の人との会話には使えない。趣味だと誰にも言えないのが読書だった。
浩平はそのことで千鶴が悩んでいるのを知っていた。それだけに本の話を一切しないようにしている。浩平もあまり本を読む方ではないので、千鶴と本の話をすることもない。それだけに、千鶴と浩平の仲を知っている人は、
「あの二人、いつもどんな会話をしているのかしら?」
と思っているに違いない。
浩平は、千鶴以外にも知り合いがたくさんいるが、本当に本音を言える相手は千鶴だけだった。千鶴は、浩平以外には知り合いはほとんどいない。千鶴の中から醸し出される孤独の雰囲気は、まさに見て、そのままの性格だったのだ。
千鶴が会話下手だというのも、その一つだ。読書をしていても、結論から先に見てしまう性格であることも災いしていた。会話というものは、一つの話をきっかけに膨らんでいくモノなのだが、千鶴には、会話を膨らませられるボキャブラリーが不足していると思っている。本当は思っていることを素直に言えばいいだけなのに、それができないのは、今まで孤立していた自分の思ってきたことが、到底他の人に受け入れられないものだと思っているからだった。
千鶴はよく夢を見る。
「カリオス文明」
という言葉が頭の中に響いているまさにその夢だった。この夢は、起きている時に意識することはない。目が覚めれば忘れてしまっているからだ。しかし、喫茶「アルプス」で7見た文明に関しての雑誌、いかにも、
「思い出してほしい」
と言わんばかりの内容に、記憶がよみがえってくるのを感じた。
夢の中で千鶴はお姫様になっている。お姫様は、自由がないというところまでは先に書いた内容として思い出してはいたが、その時感じた孤独感が、今の千鶴を形成しているように思う。
しかし、釈然としないところもあった。
――私は誰かを忘れているような気がする――
夢の中でいつも誰かを探していたような気がするのだ。それが浩平であることを、今ならハッキリと分かる。夢の世界にまで、浩平を求めるというのは、たとえ夢とはいえ、どこか寂しさに対して耐えられない自分を感じているのかも知れないと思うからだ。
ただ、現実世界では、自分のそばにはいつも浩平がいてくれる。それなのに、まだ満足できずに孤独を感じている。
――浩平がいてくれればそれでいいはずなのに――
と思っているが、寂しさは不安をも巻き込んでいるように思え、不安に中には、誰か本当はもう一人そばにいてくれるはずの人を、探し続けている自分がいることに気付いていたのだ。
それが一体誰なのか、すぐには思い出せないでいる。だが、喫茶「アルプス」にきて、それが漠然としてだが分かってきたような気がした。
「カリオス文明」
この言葉がキーワードになっているのは事実だった。
――自分はお姫様なんだ――
そのお姫様に仕えてくれている女性の姉妹がいたのを思い出していた。と言っても、顔が思い出せるわけではないが、とても従順な姉妹。知らない人が見れば、二人はまったく同じ性格に見えるかも知れないが、絶えず一緒にいる千鶴から見れば。二人は正反対に見える。
そう、一人が光であれば、一人が影。しかも、いつも同じ人が光だとは限らない。その時々でうまく入れ替わっているのだ。千鶴から言わせれば、
「二人で一人だと言えるのではないかしら」
と思っている。一人二役を、それぞれが演じていて、巧妙に入れ替わってるというのは、まるでミステリーのトリックのようにも感じられたが、そういう意味では、ミステリー作家も、同じような人物を創造し、一つの作品の骨格なら占めているのが、分かった気がしていた。
千鶴が「カリオス文明」のお姫様になった夢を見ているなど、誰も知らないはずである。浩平にはもちろん、そんな子供じみた夢を見ているなど、言えるはずもない。浩平以外のまわりの人からは、大人しい性格だというイメージがこびりついているのだろうから、こんなメルヘンチックな夢を見ているなど、想像もできないに違いない。
千鶴は、その日に二時間ほど雑誌を読みふけっていた。自分では、そんなに長くいたという意識はない。三十分くらいの意識だったのだ。
――集中していると時間を感じさせないっていうけど、本当なのね――
と、今さらながらに感じていた。
今までにも何度も何かに集中して、時間を感じさせなかったことがあったにも関わらず、今さらながらに感じたのは、初めて一人で来た喫茶「アルプス」の店の雰囲気もあったのかも知れない。
秋から初冬にかけて、
「読書の秋」