時間差の文明
他の女の子であれば、あどけない女の子は魅力的だとしか思わないが、今目の前にいる千鶴には、魅力的という言葉は似合わない。
普段の千鶴であれば、あどけなさは十分に魅力的なのだが、今日魅力を感じないのは、自分がしてほしいと思っている表情をいつもは浮かべてくれている千鶴とは、まるで別人のように感じるからだ。
――千鶴の目には、俺はどんな風に写っているのだろう?
千鶴に懐かしさを感じているのだから、千鶴も自分に懐かしさを感じていてもおかしくはないのだが、その表情からは、
――何を考えているか分からない――
という雰囲気が伺えた。
懐かしさというのは、子供の頃のあどけなさを感じさせるもので、確か、子供の頃の千鶴は、
――何かを考えているように見えていたけど、結局は何も考えていなかったのではないか――
と感じていたのだが、その時の子供が、そのまま今の千鶴に乗り移ったかのように見えるのだった。
何を考えているのか分からないように見えてはいたが、浩平には分かっていた。
――何も考えていないように見せようという意識が、無意識に働いていたのかも知れない――
と感じていた。
まさしく確信犯なのだろうが、今から思えば、子供の頃の千鶴はしたたかだった。そのしたたかさがあることで、人生の浮き沈みを何とか乗り越えてこられたのだろう。人生の浮き沈みを乗り越えるには、必ず何かの力が存在する。それは人それぞれで違うもので。誰かに教えてもらうというような代物ではない。
千鶴の場合は、確信犯的な性格が他の人には分からないように作用していることが、乗り越えるきっかけになったのであって、そのおかげで、まわりから悪い印象を受けることはなかった。千鶴本人には、確信犯であることを自覚できるようになった時、まわりがあまり確信犯について何も言わないことが却って怖かった時期があった。それが、たまにある人間不信だったのだ。
その人間不信が躁鬱の元でもあった。千鶴自身は二重人格だと思っているが、確信犯である性格を考えると、躁鬱だと思う方が理屈に合っている気がするのは、浩平の方だったのだ。
千鶴の性格に関して、自分で考えるのと、浩平の目から見るのとでは、違っていたのを千鶴は知らないだろう。
「この間、お友達の妹に久しぶりに出会ったの」
千鶴が話始めた。
「それは俺の知らない友達かい?」
「多分、知らないと思うわ。私が大学時代にお友達だった人だったんだけど、その友達の妹がね、喫茶店でその頃アルバイトしてたのよ」
浩平は、千鶴の話を上の空で聞いていた。
普段は、千鶴の話を上の空で聞いている雰囲気の時であっても、意外と真面目に聞いているつもりだったが、その日の千鶴の話には、さほど耳を貸そうという気にはならなかった。自分に関係のある話ならともかく、自分の知らない友達の話というのは、真面目に聞く話としての価値がないと思ったからだ。
浩平は苛立っているわけではないが、
――どうして、自分の知らない人の話をするんだ?
今までにも確かに浩平が知らない人の話を千鶴が始めることもあったが、その時は普通に聞けたはずなのに、今日はどうにも乗り気ではない。そんな自分を浩平は、
――やっぱり今日は、最初から一人でいたいって思っていたからかな?
待ち合わせをしていたはずではないところに千鶴が現れた。待ち人でもないのに、普段から一緒にいたいと思った人が現れたのだから、素直に喜べばいいはずなのに、今日の浩平は少し変だ。
確かに昨日待ち合わせをしていて、自分が約束の時間よりも早く来たはずなのに、すでに相手の姿がなかったことは、釈然としないことであった。
それなのに、今日は待ち合わせもしていないのに、目の前に現れた。キョトンとしていると、満面の笑みを浮かべている。こんなに嬉しくて、有頂天になりかねないシチュエーションを迎えたにも関わらず、今さら何を一人になりたいなどと思っていたというのだろう?
そんなことを考えていると、苛立ちが自然に生まれてきた。それは千鶴に対してのものではない。あくまでも自分に対してのものだ。それなのに、自然と苛立ちが千鶴に向いている。甘えが出ているからだろう。
他の人になら、露骨に苛立ちを示すかも知れない。
苛立っている時に、自分の中に抱えこむと、苦しくなるからで、自分の苛立ちをまわりに知られるのは恥かしいことなのかも知れないが、それも仕方のないことだ。
――なるべく苛立たないようにしなければ――
とは思っても、なかなかそうもいかないだろう。
浩平は、千鶴の顔を見ているうちに、千鶴もいつもと違うのが分かってきた。そして、それはここで最初に千鶴を見た時から分かっていたことでもあった。
最初に見せた満面の笑み、あんな笑顔を千鶴がするわけはないのだ。いつも控えめに見せる笑顔が、浩平にとっての千鶴の笑顔であり、ずっと見てきた笑顔であった。
最初こそ、満面の笑みを見た時、こちらもつられて笑顔になり、
――ひょっとしてあれが本当の千鶴の笑顔なのかも?
と思ったほどだが、すぐに打ち消した。
――いやいや、千鶴は俺の知っている千鶴でなければいけないんだ――
と思っている。
浩平の知っている千鶴は、常に控えめで、決して表に出ようとするところがないのだが、なぜか千鶴を気にしている人が浩平以外にも一人はいる。
今日の浩平は、目の前でいつもの千鶴に戻ったと思い、歯の浮くようなセリフを吐いたと思ったが、大体、自分が歯の浮くようなセリフを吐くこと自体がおかしい気もしていた。歯が浮くようなセリフは、千鶴を相手に言えないと思っていたのは、やはり恥かしいからだ。
幼馴染というのは、年月だけではなく、それぞれの感情を年月以上に深いものにしている。そのことは千鶴も分かっているはずで、見ているとお互いの心境が分かってくるのも幼馴染だと思っていた。
しかし、その日の千鶴が何を考えているか、正直分かっていなかった。いきなり自分の知らない友達の妹の話を始めるなど、今までにはなかった。浩平が興味がないことくらい百も承知のはずだからだ。それなのに、わざと話しているように思えるくらい露骨な態度は浩平の中の苛立ちを呼び起こし、沸々と煮えたぎらせる結果になりかかっているではないか。
「その妹がどうしたんだい?」
「まだその喫茶店でアルバイトをしていたのよ。少しビックリしたんだけど、私が忘れていたのに、彼女の方が覚えていてくれて、それが嬉しかったのね」
あどけない表情を浩平に向けた。
「それで?」
わざと、つっけんどんに声を掛けた。まるで突き放すかのようにであった。
「彼女は、前から私のことを知っていて、私が幼馴染の浩平といつも一緒にいるのも知っていたのよ」
「それって気持ち悪くないかい?」
またしても、苛立ちを覚えたが、これはさっきの苛立ちとは違っていた。その妹に対しての苛立ちである。
「そうなんだけど、彼女のお姉さんが、私のことを妹に、大親友のように話をしていたことで、少し気にしてくれていたらしいの。だから、お姉ちゃんから、私のことをいろいろ聞いていたのかも知れないのね」
女同士というのが、どういう関係なのかよく分からない。