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時間差の文明

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 しかし、その雰囲気を打ち消したのも、千鶴の方だった。
 すっかり元の千鶴に戻ると、さっきまで、
――誰かを好きだった自分――
 が、本当の自分ではないと思うようになったのだ。だから、浩平に対して恋愛感情を抱いてはいけないと感じたのだろう。甘い雰囲気を打ち消すようにおどけて見せ、浩平も我に返って、二人で大笑いをしたのを思い出していた。
「これが俺たちの関係なんだよな」
 と、浩平がいうと、
「そうね。浩平と一緒にいると安心する」
 まさにその言葉の通りである。
「ありがとう、浩平」
「何かあった時は、俺のところに来ればいい。いつでも元の千鶴に戻してやるさ」
 この時ほど、浩平が頼もしいと思ったことはない。千鶴は浩平に対し。ずっとこのイメージを持っていて、イメージがそれ以上にもそれ以下になることもない。要するに、褪せることがないのだ。
 千鶴と浩平の関係は、この時に確立した。そのことは浩平と千鶴の間での暗黙の了解として、意識の中に確固たる位置を占めているのだ。
 それから、浩平は千鶴に対して違和感というものをほとんど感じたことはない。
――そばにいることがすべて――
 そう思うようになったのも、その時からだったであろう。
 それだけに、昨日からの千鶴は、まるで他の人になったかのような気がする。実際に会うことができなかった。ヒステリックな千鶴にも慣れていたはずなのに、電話での千鶴の声には、ゾッとするものを感じた。
 浩平の目の前に座った千鶴は、笑顔ではあるが、どこか疲れを感じる。同じ笑顔でも、
――これは千鶴の笑顔ではない――
 誰か他人が千鶴の顔をしたゴムマスクでもかぶっているような錯覚を覚えるくらいだ。そういう意味では、浩平も自分の顔を鏡で見てみたいくらい、酷い顔をしていると思っている。
――笑えないのに笑っているなんて――
 今までに愛想笑いをしたことがないわけではないが。明らかに愛想笑いとは違っている。基本的に愛想笑いは営業スマイルだと思っているからだ。しかも営業スマイルを千鶴の前でするわけもない。そんなことは自分が一番よく分かっていることではないか。
 会話がいきなり始まらないことも二人の間には結構あったことだ。しかし、それは会話がなくとも、ツーカーを感じていたい時間として会話のない時間を楽しんでいるだけで、――何を喋っていいのか分からない――
 あるいは、
――相手に威圧されて、話す言葉が見つからない――
 などという意識は千鶴に対して感じたことのないことだ。
――まるで初対面のようだ――
 幼馴染なので気付かなかったが、もし千鶴と知り合ったのが大学時代などだったら、
――何を喋っていいか分からない――
 などという感覚に陥ることもあったのではないだろうか?
 そんな感覚もないまま、ずっと今まで来たのだと思うと、当たり前だと思っていたことも一つ一つが無意識だったことを今さらながらに思い知らされた気がした。
――今日は、千鶴と初対面のような気持ちになって話をするのもいいかも知れないな――
 と感じた。
 実際、知っている千鶴とは違っている。浩平の知らない千鶴が顔を出したのかも知れないと思うと、千鶴のことを、もっと知りたくなっていた。
――俺の知らない千鶴?
 そんなものが存在するわけはないと思っている自分が顔を出した。
 浩平の中で、千鶴に対しての葛藤が始まったようだ。千鶴を疑うことを知らなかった自分にとって、もっと千鶴を知りたいという気持ちは、反則に思えたからだ。だが、千鶴のことをすべて知っていると思うのは、自分の思い上がりだと思っている自分もいる。どちらが本当の自分なのか、いや、千鶴を目の前にしている時には。どちらの自分が表に出ているのか、考えてみることにした。
 千鶴の前にいる時は、やはり、
――千鶴のことはすべて分かっている――
 と思っている自分がいるのだと、浩平は思っている。だからこそ、千鶴も浩平に従順なのだと思うのだ。
 喫茶「アムール」では、普段それほど会話をするわけではなかったが、その日は今までになく、
――何を話していいのか分からない――
 そんな日だった。
 普段、会話が少ないのは、何を話していいのか分からないわけではなく、
――お互いに、聞いてほしいことがあれば言うだろう――
 という気持ちがあったからだ。
 余計なことを言う必要はない。必要最低限の言葉から始まって、そこから会話になるのが一番自然である。二人の間にはその自然な雰囲気がいつも漂っている。お互いに顔を見れば分かるというものだ。
 浩平は、千鶴とぎこちない会話になったことがなかったわけではない。中学の時に、千鶴に好きな人ができた時、何を話していいのか困っている千鶴がそこにはいた。浩平も何かを話してあげようと思うのだが思い浮かばない。そのぎこちなさが、まるで昨日のことのように思い出された。
 その時は、
「ごめんね。好きになった人がいたんだけど、浩平に相談するようなことではないわね。でもいいの、もうその人のことは何とも思っていないから」
「どうしてなんだい?」
「浩平の顔を見ているうちに、どうでもよくなっちゃった」
 その言葉にウソはないだろう。ただ、それも半分ウソで、半分本当のことだったのかも知れない。
 初めて誰かを好きだという意識を持った千鶴は、自分の中で戸惑っていたことだろう。それを浩平に説明してほしいと思っていたが、それがお門違いであることに気付くと、相談しようとした自分が恥かしくなったに違いない。
 千鶴の表情は、申し訳ない中に、情けない顔を滲ませていた。本当は、浩平には見せたくない顔だったに違いない。
 浩平も高校に入って好きになった人がいたが、千鶴に相談するような真似はしなかった。だが、千鶴のことだから、ウスウス浩平の態度に気付いていたのかも知れない。何も言わずに見守ってくれていたような気はした。まるで、中学時代の「お返し」をしているかのようだった。
 千鶴の顔を見ていると、懐かしさを感じる。
――ずっと会っていなかったわけではないのに――
 久しぶりに会ったのであれば、懐かしいという気持ちになるのだが、同じ懐かしいという気持ちとは少し違っていた。
 普通に、懐かしいという気持ちには、どこかワクワクしたものが感じられる。懐かしさを感じている人がいるとすれば、その人の顔を正面から見るよりも、斜め前や、横から見てみたいと思うのだ。
 その感覚は、
――相手も懐かしいと思ってくれているのであれば、きっと虚空を見つめているはずだ――
 という思いが働いていて、相手の顔を見て、自分も同じような気持ちになっているのではないかと感じたいためであった。
 しかし、今の千鶴を見ていると、どうも斜め前からや、横からの表情を見せてくれそうにないのだ。真正面から以外の表情が思い浮かばないという気持ちがあるのも事実で、千鶴に感じた懐かしさは、どこか普段と違っているのは間違いない。
 千鶴の表情にあどけなさを感じたが、それは、
――何も知らない、無垢な状態――
 という意味でのあどけなさだ。
作品名:時間差の文明 作家名:森本晃次