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時間差の文明

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 そして、精神的にイライラしている時に、喫茶「ラムール」に行くということも、浩平は知っていた。浩平も一人で喫茶「アムール」に行くことがあるらしいが、水曜日は外すようにしている。浩平が、前の日に違う喫茶店に行き、そこを少し気に入りかけているということを千鶴はもちろん知らない。喫茶「アルプス」に浩平がまた行ってみたいと思ったのは事実だったが、そこを自分の隠れ家にしたいとまでは、まだ具体的には考えていなかった。
 実は、喫茶「アルプス」に千鶴がかつて行ったことがあった。本人も忘れていることなのだが、アルバイトの女の子のお姉さんと友達だというだけで立ち寄った店だった。
 したがって一人で行ったわけではなく、妹を紹介するという意味で立ち寄った店だったのだ。昨日浩平にコーヒーの注文を受けてくれた女の子が友達の妹で、お姉さんとは仲がいいというのは千鶴が見ていて分かった。一人っ子の千鶴にとって、姉妹が仲がいいというのは、珍しいという意識があったので、見ていて羨ましい気分になっていた。だから、喫茶「アルプス」のことは、意識的に忘れようとしていたのかも知れない。
 千鶴は、夕凪を感じながら歩いていると、いつの間にか、違う道を歩いているのに気が付いた。ここから喫茶「アムール」に行けないわけでもないが、明らかな遠回りだ。考え事をしながら歩いていたわけでもないのに、どうしてこの道を歩いているのか、理解に苦しむ。
 道は田んぼの畦道のようなところで、車一台が通れるのがやっと、舗装はされているが、道のあちこちはつぎはぎだらけで、アスファルトの色もバラバラだった。
――以前にもこの道を通ったことがある――
 とすぐに感じたが、その後今度は、
――昨日だったのでは?
 と、まったく違った発想が頭を巡った。
 気が付けば、千鶴は足元の影を追いかけるように歩いていた。細長い影は気持ち悪く、元々痩せているのを気にしていた千鶴には、この細さは十分気持ち悪さが沸々と湧いて出ているようだった。
 歩いている道は一直線で、目の前に小高い丘があり、その向こうに何があるのか、知っている気がした。
――確か住宅街があって、その手前に喫茶店があったような気がするわ――
 目を瞑ると、その光景がよみがえってきそうだった。
 確かに初めてではないこの道は、大学を卒業して、就職するまでの短い間の休みに通ったような気がした。歩いているうちに、いろいろと思い出してくるところがあったのだ。
 この道を昨日、浩平が通ったことなど、千鶴は知る由もなかった。
――昨日だったのでは?
 と思うとすれば、それは浩平の記憶であって、千鶴の記憶にどうして浩平の記憶が交錯したのか分からないが、もし知っているものがあるとすれば、
――夕凪という時間――
 なのではないだろうか。
 夕凪の時間というと、「逢魔が時」と言われて恐れられている時間だということも、当然千鶴も知っていた。
――一日の中での一番神秘的な時間――
 として意識されているのだが、最近はあまり意識しなくなっていることに、今さらながら気付かされたのだ。
 まっすぐに歩いていると、あれだけ遠く感じられた小高い丘に、あっという間に着いていた。まっすぐに見えてまわりに障害物が何もないと、比較するものがなく、果てしなく遠く感じられるのである。そのため、丘の上に着いて思わず時計を見たが、本当に時間はさほど経っていない。最初に距離を判断し、どれくらいの疲れが溜まるかを想像していたので、肩透かしを食らった感じだ。それでも疲れは同じように襲ってくる。足のだるさは、踵に集中しているのが気になっていた。
 丘までくると、見覚えのある喫茶店が見えた。三角屋根の、丸太で作られた山小屋風の喫茶店、確か名前は「アルプス」と言った。
――まだ、友達の妹はいるのかしら?
 大学を卒業して何年か経ったが、あの時はまだ妹は確か高校生だっただろうか。今は大学生になっているのか就職しているのか分からないが、千鶴は彼女がいない方がいいように思えた。
 理由は、今思い出しても彼女の顔が浮かんでこないからである。
――どんな顔だったかしら?
 妹のことを想像しようとすると、不思議なことに友達である姉の顔も浮かんでこない。もちろん、ずっと友達だったのだから、思い出せなくても、顔を見た瞬間、思い出すことも大いにありうるだろうから、あまり気にする必要はない。だが、妹の場合は一度会ったきりである。
 同じ店にいて、同じ格好をしていれば思い出すこともあるかも知れないが、考えてみれば、思い出す必要がどこにあるというのだろう? 千鶴が覚えているならいざ知らず、相手が覚えていることは、ほとんどないのではないだろうか。覚えていない相手に対し、こちらが覚えていなければいけない道理もなし、ただ、もし相手が妹であれば、姉の近況を聞きたいと思ったのかも知れない。
 卒業してから、姉の方とは連絡が取れない。就職してすぐの頃は連絡を取り合っていたのだが、千鶴の方が、仕事の忙しさにかまけてしまい、連絡をおろそかにしたことから、自分から連絡を取りにくくしてしまったのだ。
 悪いのは自分なのだから、思い切って連絡を取ってみればいいのに、年数を重ねるごとに一時期、どうでもよくなった。それでも、何かのきっかけがあり連絡を取ることができるのであれば、こんなに嬉しいことはないと思うのだった。
 千鶴は喫茶店に近づくにしたがって、以前来た店と少し雰囲気が違っているように思えた。あれから数年経っているのだから、それも当然なのだろうが、逆に年月が経っているわりには、表の扉は、まるで新品のように光り輝いて見えた。
――入り口だけ、造り変えたのかな?
 とも思ったが、掛かっている鈴は、以前はなかったような気がする。
 ただ、鈴はかなり古いものだった。錆びついているのもところどころに見えて、ここ数年でつけたものだとは思えないほどだった。
 扉を開けると、確かに重低音が響く。それだけ年季が入っているということなのだろうが、新鮮な響きにも聞こえた。中に入り扉を閉めると、さらに音が大きく響いたような気がしたのは気のせいであろうか。
 店内は暖かかった。喫茶「アムール」よりも暖かいような気がする。やはり山小屋の雰囲気を醸し出すために使われた丸太からすきま風が吹いてこないとも限らないだろうから、暖房を強めに入れているのだろう。自然な暖かさというわけではなさそうだ。
 キョロキョロしながら中に入ると、
「いらっしゃいませ」
 という元気な女の子の声が聞こえた。
――彼女が妹かな?
 と思ったが、ここまで元気のいい娘だっただろうか?
 女子大生になっているとすれば、高校生とは違って明るくても当然だ。顔を見てみると、見覚えがありそうなのだが、雰囲気として思い出すことはできない。
 店の中は、以前に来た時と変わりはなかった。前に来た時に見た壁に掛かっている富士山の絵が、いまだに飾られているのを見て、余計に店内の雰囲気が変わっていないのを思い知らされた気がした。
 以前来た時と同じテーブルに腰かけて富士山の絵を見ていると、
――全体のバランスに比べて、前に見た時の方が、富士山の絵が小さかったような気がするわ――
 と感じた。
作品名:時間差の文明 作家名:森本晃次