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時間差の文明

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 だからといって、浩平が誰にでも頼りになるなど思っていない。千鶴だけに感じることなのだ。
 千鶴はその気持ちに暖かいものを感じた。そして、その気持ちを大切にしたいと思うようになっていた。その気持ちが千鶴の中でも大きな地位を占めていて、
――そばにいることがすべて――
 という浩平の気持ちに匹敵するものではないかと思うようになっていた。
 大学を卒業してからの千鶴は、以前のような浮き沈みの激しさはなくなった。落ち着いてきたというべきなのか、それとも、あの頃がそういう時期だったと言えばいいのかを考えた。
 やはり、これも半々という結論に行きついた。あの時期にあれ以上崩れなかったのは浩平がいてくれたからで、逆にあそこまで崩れたのも、浩平の影響がなかったかというのを考えると、一概に否定できないところがあるように思えてならなかったのだ。
 その日も仕事を無事に済ませた千鶴は、それ以上でもそれ以下でもない充実感に包まれて、しばし、一人になりたいという気分になっていた。
 今まで、一人になりたいと思った時、いつも浩平と待ち合わせをしている喫茶「アムール」に行くこともあった。
 必ず浩平がいないといけないという感覚に陥りそうなのだが、一度近くまで偶然行った時、喫茶「アムール」でコーヒーを飲んだ。
――浩平がいなくても大丈夫なんだ――
 とその時初めて感じ、喫茶「アムール」は、自分だけの「隠れ家」という様相も持つようになっていたのだ。
 その日は、イライラした気分を紛らわしたいという一心だった。浩平のことを頭に描いてしまっては、却ってイライラを紛らわすことはできない。浩平に電話でヒステリックに答えたのも、無意識のうちに、一人になりたいという気持ちが働いたからなのかも知れない。
 ただ、その日、千鶴は何にそんなにイライラしたのか、ハッキリとは分からなった。たまに訳もなくイライラすることがあったが、それが周期的に訪れるもので、精神が不安定になるのは、躁鬱症の気があるからではないかと思っていた。
 確かに躁鬱症なら訳もなくイライラするのかも知れないが、それにしても、何かきっかけがありそうなものだ。
 そのきっかけが、いつも同じところから来ているのではないかと、最近感じるようになった。以前から継続して気にしていることと言えば、浩平のことくらいだ。訳もなくイライラするほど、人のことを好きになったこともないし、元々、熱しやすく冷めやすい性格なので、継続する感情は、そうたくさんあるわけではない。
 千鶴は、自分の中で、複数の感情が入り組んでいることは分かっていた。躁鬱症だけではなく、二重人格もあったのだとすれば、救いようがないようにも思えた。しかし、躁鬱症の影に二重人格という性格が潜んでいるというのも必然なのかも知れない。ただ、二重人格と躁鬱症は共通しえるのかと言われると疑問で、二重人格に見えるのは、躁鬱症が原因にある場合や、逆に躁鬱症に見えるのは、本当は二重人格が及ぼしている見え方なのだとすると、それぞれ背中合わせだという考え方は違ってくるように思える。
 千鶴は、複数の感情がそれぞれ表裏一体であると思っていることから、二重人格なのだろうと、最近は思うようになった。
――イライラの原因は、表に現れていないところで燻っているから、きっかけになったことも分からない――
 と考えると辻褄が合ってくる。自分の中に相容れないもう一人の自分が存在するのだ。
 千鶴がそんなことを考えているなど、浩平は知っているのだろうか?
 浩平は、千鶴が自覚する以前から、千鶴の性格を理解しているに違いない。
――それでも一緒にいてくれているのは、浩平も同じ二重人格者なのかも知れない――
 と思うと、少し複雑な気がした。
 それでも、相性の合う二重人格であれば、それでいいような気がした。どちらかが悪い時、どちらかがいい、そんな関係であるから、お互いにいつも補っていけるのだろう。
 理屈では分かっていても、やはり一人になりたい時は絶対にあるものだ。それは浩平も同じことで、お互いにプライバシーを大切にするというのは、二人の間での暗黙の了解でもあるのだ。
 その日の仕事はイライラしている割には、早く終わったような気がした。イライラしているといつも時間が経つのが遅いのに、どうしたことだろう? 普段が遅いと思っていて、今日が早かったということは、プラスマイナスゼロで、結局、早くも遅くもなかったのかも知れない。
 会社を出た時は、日は暮れていない。隣のビルの窓ガラスに夕日が当たって眩しいくらいだが、直接夕日を感じないと、ビルの谷間に吹く風が、冷たく感じられる。
 身体が前屈みになってしまい、背中が丸くなってしまうのを感じると、歩くスピードが知らず知らずに速くなるであろうことは分かっていた。
 ビル街を抜けると、そこから先は夕日をまともに浴びることになる。さっきまで冷たく感じたビル風とは打って変わって、日差しの強さを背中に受けて、丸まってしまっていた背筋がピンと張っているのに気が付いた。
 汗ばむ陽気とはまさにこのこと、気が付けば風も吹いていない。
――夕凪にしては、少し明るい気がするわ――
 夕凪についての知識は千鶴にはある。もっとも浩平に夕凪の話をしたのは、他ならぬ千鶴だった。浩平は、千鶴から聞いた話に興味を持って、本で読んでみたり、自分で感じたことを好き勝手にいろいろと想像したりして、イメージを膨らませていた。そこが男性と女性の違いではないかと、浩平は思っていたのだ。
 千鶴は、浩平がそこまで思っていることは知らない。自分が話した程度の知識しかないだろうと思っている。浩平が千鶴と違うところは、話を聞いただけではなく、そこから発想を巡らせるという貪欲さがあることだった。それが精神的な余裕に繋がっているということを、さすがの浩平本人も分かっていなかった。
 千鶴が喫茶「アムール」へ行くのは、ある程度曜日が決まっていた。イライラを収めようと行く時でも、なぜか決まった曜日の範囲内だった。
――やっぱり曜日の周期が私にはあるのかしら?
 月の周期というよりも、曜日の周期の方が千鶴には馴染みが近かった。仕事が月単位であるのもさすことながら、週単位の方が多く関わってくることで、どうしても週単位のスケジュールに月を合わせる形になり、バイオリズムも週単位に落ち着いていた。
 精神的にきつくなるのは、大体水曜日だった。昨日は月曜日だったので、精神的に大丈夫だと思い、待ち合わせを月曜日にしたのだ。水曜日は千鶴が苛立っていることを浩平も分かっているので、浩平からの誘いも水曜日を外すようになった。
 ただ、最近千鶴は思うようになった。
――気を遣ってくれるのはありがたいけど、プレッシャーにもなるのよね――
 水曜日以外は大体大丈夫だと思われていると、それ以外の曜日にイライラできなくなってしまう。相手は気を遣っているつもりでも、却ってきついこともあるのだ。要するに、相手のことを分かりすぎていると、気を遣ったことが空回りしてしまうことが往々にしてあるということだ。
作品名:時間差の文明 作家名:森本晃次