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短編集46(過去作品)

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 仕事がちょうど架橋に入り、なかなか来ることがなかったのが一番の理由だが、もう一つの理由としては、プロ野球シーズンが開幕したことで、仕事の帰りに居酒屋に寄って、野球を見ることが多くなったからだ。
 さすがに毎日というわけには行かなかったが、仕事が終わって居酒屋で野球を見ながらの一杯というのがどれほど楽しみか、暑くなってくるにつれて実感してくるというものだ。
 野球は毎日見ていても飽きないのだが、サッカーはどうだろう? 週に一回か、多くても二回、年中できるスポーツとは言え、試合数には限界がある。
 何よりもテレビ中継は少ない。さすがにリーグができて一、二年はテレビ中継も頻繁だったが、野球ほどではない。やっぱり野球を見てしまう。所詮ミーハーというのはそんなものではないだろうか。
 久しぶりに喫茶店に立ち寄ったのも生活のリズムをたまには変えないと、生活がマンネリ化してしまうことを分かっているからだ。その証拠に、開幕の一ヶ月から比べて、後の一ヶ月というのがどれほど早かったことか。当然気分転換が必要になってくる。
 そんなところへのサッカーの誘い、喫茶店で本を読むのが、気持ちのゆとりを呼ぶのだということを久しぶりに思い出させてくれた。
 雑誌を見ていて、後半にルールについての解説が載っていた。そこにはオフサイドについても載っていて、そこにはサッカーというスポーツがいかに紳士のスポーツであるかということを表していたが、どうにも達男には納得が行かない。読みながら、何度も頭を傾げたものだ。
 気持ちのゆとりを思い出すと、サッカーを見に行くのが楽しみになってきた。約束の日になって里崎が車で迎えに来てくれ、彼の車で競技場近くまで行く。このチームは二部リーグのために、それほど競技場で観客が満員になるということもないというのだ。
 試合の二十分くらい前に競技場に入ったが、客はスタンドの三割も埋まっていない。
 熱狂的な応援団を正面に見ながら里崎が話す。
「本当は応援団の近くでの観戦がいいのかも知れないけど、俺はわざとこっちに来るんだ。あまりまわりに客もいないし、ゆっくりサッカーも見れるし、応援団の様子もここからが一番よく見えるだろう。富士山だってあまり近くから見ては綺麗に見えない。それと同じことさ」
 話を聞きながら達男も頷いていた。野球の応援でも同じである。達男はわざと三塁側の相手チームの席で野球を見ることが多かった。三塁側から見るアングルの方が、投手や打者の動きが鮮明に見れることを発見したからで、決して応援団の近くで応援するために野球を見に行っていたのではないことを思い出した。
 しかし、サッカーはゴール裏からでなければ、どちらから見ても同じである。しかも、ハーフタイムでは陣地が入れ替わる。前半と後半で攻める方向が逆になってしまうのだ。
 メインスタンドと呼ばれるところの中央から、選手たちが審判に誘導されるように出てくる。中央で一列に並び、挨拶するのは実に圧巻である。野球でもファンサービスのために守備位置につく選手の紹介の際にサインボールを投げ入れたりするが、サッカーの昔から変わらぬスタイルも素晴らしい。少しずつサッカーに対しての目が変わってくるのに気付いていた。
――やっぱり偏見が大きかったのかも知れないな――
 とスタンドからの光景に感じていた。
――百聞は一見にしかず――
 まさにそのとおりで、食わず嫌いが以前から多かった達男は今さらのようにかつての食わず嫌いを思い出していた。
 面倒臭がりであることも否めない。新しいものを簡単に受け入れられない性格なのは、食わず嫌いというよりも、面倒臭がりの性格が大きく影響しているように思えてならない。
 サッカーを見ていると、スピードを追うスポーツであることを今さらながらに感じられた。野球との違いが少しずつ魅力に変わってくるのも感じられる。
 フィールド的には野球よりも狭いので全体を見渡せるように思うのだが、どうしても一点に集中してしまう。それは野球も同じなのだが、一点に集中していると、ボールが回り始めて、気がつけばフィールド全体を見つめている。ここが野球とは違うのだ。
 フィールド全体にバランスを感じるようになる。
 それは目まぐるしいまでの攻守交替。野球もサッカーもディフェンスオフェンスとはっきり分かれているが、野球には自軍で攻撃と守備の時間がハッキリとしているが、サッカーはボールを支配している方が攻撃に向う。それだけに一時も目が離せないのだ。
 サッカーと野球の一番の違いは、決まった時間にどれだけの得点を挙げ、失点を防げるかで勝負が決まるのがサッカー。野球の場合は、九イニング、三つのアウトを取られるまでの間にどれだけ得点し、同じイニングの守備の間にどれだけ防げるかで勝負が決まる。まったくルールとしては違うスポーツだが、一つのボールを追いかけるという意味では根本は似ているように思える達男だった。
――見る方も、プレイヤーも結局ボールに集中しているんだ――
 と思う。間違いではないだろう。だが、サッカーの場合は全体を見渡す目を持っていれば観戦が楽しくなるのは事実である。フィールド自体が大きな芸術のように思えてならない。
 目を離すことができなくなうほどなので、プレーしている選手たちの運動量は相当なものだ。野球のように攻撃になればベンチに座っていられるというわけではない。ボールが近くにない時も絶えずポジション取りをしていないと、いざボールが飛んできた時にオフェンスに押し切られて命取りにならないとも限らない。チームワークとともに自分の立場を常に考えておかなければならないスポーツでもある。
「ピーッ」
 競技場にホイッスルが鳴り響く、絶えず鳴っているように思うくらいだ。
 ファールがあったり、オフサイドがあったり、はたまた危険なファールでのイエロー角が出されたりと、目まぐるしい。
「あれがイエローカードか」
 ボールをめぐってすさまじいまでの激突。ドリブルで抜こうとした選手に向ってのタックやスライディングなど、過激な守備は随所に見られたが、ひっくり返って二度も三度も回転し、そのまま足を抑えて苦しそうな選手がいる。
 すかさず主審が走ってきて、駆け寄りながら何やら胸の中に手を差し入れ、何かをまさぐっている。
 差し出されたメモ帳程度の大きさの黄色いカード、それがイエローカードと呼ばれるものであることは知っていたが、実際に目の前で見るのは初めてだった。
 主審は倒した選手の近くに来ると、おおきく右手を差し上げる。まさに同僚が持っていないカードを差し上げた時の胸糞悪い思いが頭をよぎり、まるで苦虫を噛み潰すような嫌な気持ちになった。それを横で見ていた里村は、そんな達男の心境を知る由もなかっただろう。
「サッカーは紳士なスポーツなので、ボールに対するタックルやスライディングであればいいんだけど、直接選手に対しての攻撃はイエローカードが出されるんだ」
 と解説してくれた。
 しかし、考えてみれば、野球でも同じような光景を目にすることがある。
作品名:短編集46(過去作品) 作家名:森本晃次