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佐野槌 -張りの半籬交-

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三、男



 待たせちまったかね? それで、いい話は聞けたのかい? そりゃ良かった。あたしよりも、里のことは詳しいからね。なんていったって、吉原の生き字引だ。それよりも、あの人の里言葉は分かったのかい? そうかい、あまり出てなかったのか。ずいぶん気を遣って話したのかな。里言葉は見世のものじゃなくて、花魁ひとり一人のものだからね。それを花魁に付いた禿に伝えられるものなんだよ。だから、同じ見世でも花魁によって里言葉は少しずつ違うものなんだ。それも今じゃ無くなってしまったよね。なんでも、ありんすを付けりゃいいってもんじゃないよ。

 中食までの間、禿のことでも話そうか? 禿も今は名前だけになっちまってね。元は姉女郎に付いて、花魁として一本立ちするのに必要なことを仕込まれるんだよ。花魁の身の回りの世話なんてもんは、文使いくらいで、あとはほとんどしないよ。昔は、禿あがりじゃないと、花魁にはなれなかったんだよ。そんな習わしも御維新までだけどね。それに禿はあの里で産れた娘がほとんどだったよ。何故かって? そりゃ、ふた親のことをよく知っていれば、見世に出る頃にはどんな器量良しになるかわかるだろ。里の外から来る娘は余程の器量でなけりゃ、15歳になるまでは佐野槌じゃ請けなかったよ。禿は突き出しまでの十年を姉女郎について、しきたりや芸事なんかを仕込まれるんだよ。突き出しは分かるよな? 初めて客を取ることだよ。上方では水揚げって呼んでいるから、たぶんあの里だけの言葉だと思うんだがね。あんた学があるんだから、今度調べておくれよ。
 そうして、突き出しになると、もう一端のお女郎だよ。張見世にも出るし、評判が良ければ部屋も座敷も持てるようになるよ。それに、極僅かだけども、突き出しでいきなり、呼び出し ――本当の花魁だね―― になる禿もいたんだよ。そんな娘は突き出し道中をするんだよ。これは、花魁にとってたった一度のことだからね。金を掛けて華やかにやるんだ。もちろんお金は姉女郎が贔屓に頼んで出してあげるんだよ。あの頃でざっと三百両かかったね。その金額で新しく、十年の証文を作り直すんだよ。もちろん突き出しの証文だよ。
 それに花見の頃は、あの里全体が浮かれるからね。普段のお女郎衆は籠の鳥だが、この時だけは、向島なんかに花見に行けるんだよ。だから、其の時分の、突き出し道中には余計に金を掛けてね。五百両は掛けたね。名代の花魁は、みんな花見の時季に突き出し道中をしたもんだよ。それで、有名どころの花魁の年季明けは、みんな桜の頃なんだよ。内でも最後の突き出し道中をした黛は三月だったよ。黛は知っているかい? あの地震のときに江戸中にチョイとした騒ぎをおこした、黛花魁だよ。突き出し道中の錦絵があったはずなんだが、後で探しておくよ。

 中食まではもう少し時間がありそうだね。あの人も歳だから、のんびりしちまったね。昔は、そりゃ見事な立居振舞だったよ。なんたって見世を一人で切盛りしてたようなもんだからね。えっ? 亭主は何をしてたのかって? いろいろさ、御内証にいることは少なかったね。他の見世に顔を見せたり、茶屋にもご挨拶しなくちゃいけないだろ。茶屋だけじゃなくて、他の引手にも顔を繋いどかなくちゃいかないからね。引手茶屋が有名になっちまったけど、なにも、茶屋だけが引手じゃないんだよ。あたしら女郎屋と商売で繋がっているのはみんな引手と云ったんだよ。もちろん茶屋が筆頭だけどね。船宿も駕籠屋も何でも引手だよ。大きな所じゃ、鳥越の八百善や大恩寺前の田川屋なんて料理屋も引手だ。料理切手も仲で使えたんだよ。だから、酒や料理の切手なんてもんが流行ったんだね。

 いくら頭が固いお前さんでも、引手茶屋は知ってるだろ? アハハハ、酒宴をして花魁を呼ぶことだけが、引手茶屋の仕事じゃないよ。それだと、大門外の五十間茶屋の説明がつかないだろ? 吉原のいろんな案内も茶屋の重要な仕事なんだよ。なにもお女郎や芸者だけじゃなくて、料理屋から湯屋から何でも案内したもんだよ。仲之町の江戸町にあった、竹村伊勢屋の堅巻煎餅なんてのも案内してたよ。吉原名物の一つだ。
 でもね、仲の茶屋に呼ぶのは、何も呼び出しって決まったわけじゃないんだよ。お女郎は誰でも呼べたんだよ。知らなかったろう? そんな酔狂な客は少なかったけどね。大茶屋といわれた七軒に上がって、切見世のお女郎でも呼んでみなよ。そりゃ、この世のものとは思えないくらい、良いおもいが出来たよ。それも今は昔だね。

 おお、やっと来たね。佐野槌自慢の貝鍋だよ。今の時期だから蛤と小松菜だよ。土焼きの行平鍋だから、冷めなくっていつまでも暖かいよ。火鉢に掛けなくても大丈夫だろ? 見世で冬に出すときは、火鉢に乗せたんだが、冷めても旨いから夏でも拵えたよ。その湯呑みに、鍋の口から汁だけを入れて、飲んでごらんよ。暖まって旨いだろ。これを冬の夜に座敷で、花魁から注いで貰って飲んだら、堪らないだろう? 中身の貝は花魁に任せるんだよ。二つに一つは口に入れてくれるよ。乙なもんだね。
 この行平鍋と黛のことは、喰いながらする話じゃないから、何を話そうか? 文七元結の話でもしようかね。

 あれは江戸地震で黛のことが評判になった後だね。だから、安政の丙辰だな。1856年かい? その年に噺家が黛の評判を耳にして、話を聞きに来たんだよ。桂文七って云ったね。普段は噺家は見世に上げないんだが、まあ話だけならって、あたしが御内証でお相手をしたよ。お女郎のことや見世のこと、女郎屋の亭主のことも色々話したよ。それで、次の年だったかに、噺が出来たっていって挨拶に来たんだよ。そんときは名前が変わって、何て云ったかな……、そうだ、翁屋さん馬だ。四代目を襲名したって云ってたよ。浴衣や手拭いなんかも貰ったな。義理堅い噺家だったな。御内証で一席、文七元結を演ってくれたよ。あたしが出てきたときには照れ臭かったね。吉原にある寄席の中鈴木で演ってくれればよかったんだが、山の手の席によく出てたみたいなんで、ここらじゃ聴くことは出来なかったからね、あたしが文七元結を聴いたのは、後にも先にもそれ一度っきりだよ。
 もう食べ終ったのかい? それじゃ、あたしが片そうかね。いつも洗いもんはあたしがやってるんだよ。

 呼んでくるよ。黛のことや江戸地震のことを聞くんだろ?