佐野槌 -張りの半籬交-
二、女
こんな婆あが出てきて驚いてらっしゃいますね。えっ、御亭主はどこへ行ったって? 買い出しって云ってませんでしたか。中食の仕入れでしょう。久しぶりにお人が訪ねてくれたもんだから、嬉しんでございましょう。あたしが拵えますから、召しゃがってってくださいませな。
それで、あたしには何をお聞きになりたいんざんしょう? まあ、仮宅のお職人衆のことでございますか。それは残念。内は仮宅といえども、お職人はお断りしていたのでございます。そりゃ、仮宅の妓楼にとりまして、お職人衆は大きなご贔屓ですから、見世の懐だけを考えれば、お断りするのは馬鹿な事でございます。多くの仮宅はお職人衆を上げていましたし、仲では平生はお職人が、見ることも叶わない呼び出しを、相方につける見世もございました。
それでも、幾つかの見世は、仲と同じようにお客を選んでいたのでございます。何故って、思って御出でですね。上手い譬えかどうか、今あなた様がお使いのその筆を、お大師様から貸してくれって云われたら貸しますでしょう? でも、その辺の子ども衆が貸してくれって云ったらお貸しになりますか? つまりは、そう言うことでございます。貧すれども、鈍にあらずですよ。
聞いたことがございましょう? 『京島原の女郎に、江戸吉原の張りを持たせ、長崎丸山の衣裳を着せ、大坂新町の揚屋にて遊びたし』その張りでございますよ。張りは何も、女郎衆だけの物ではなくて、見世の物でもあるのですよ。仮宅といえどもお職人衆を上げなかった見世は、山之宿では惣名主の玉屋さんと内、それに尾張屋彦太楼さんぐらいだったでしょうかね。断ったお職人からは惡態を吐かれましたが、こればっかりは矜恃でございますからね。諦めていただいたんでございます。
えっ? お職人かどうか、見て分かるのかって? そりゃあ分かりますよ。仲で生まれて何年になると思ってるんですか。男でも女でも一目見れば分かりますって。ましてや、ひと言ふた言話せば、どんなお好みで、何をお望みなのか分からないようでは、あの商売は出来ませんでしたよ。今はそんな人も少なくなったんでしょうね。あなた樣のことも分かってきましたよ。お聞きになりたいですか? そんなに怖がらなくっても宜しいじゃございませんか。そうですか? それではその話は後ほどにいたしましょう。
お職人衆は、佐野槌のような中見世や、大見世には上がることが出来ませんでしたけど、小見世や小格子、切見世では歓迎されておりましたよ。河岸の長屋見世での女郎衆との掛合なんざ、それを楽しみに仲へ足を運ぶ方もいたぐらいでございます。お職人は法被を纏っているので引っ張り込まれやすいんですよ。ですから、羅生門河岸なんて名前がついたんでございます。そんなお職人を内には上げられませんでしょう。
でもね、火事で焼けた見世の普請が終わると、鳶や大工の方たちを仮宅に招いて、ささやかなお礼の宴を開くのが、佐野槌の慣わしでしたのよ。それはそれは大層喜んでくれたものでした。
そんな張りの佐野槌ですから、見世の調度など設えにも気を遣っておりました。張見世の壁を伊豆の長八さんの手になる立派な鏝絵で飾ったり、部屋の衝立なんかも長八さんのお手によるものでしたよ。伊豆の長八さんはご存じですよね? あら、昨年浅草に移ってきた奥山閣や、こないだまであった浅草水族館は、伊豆の長八さんの設えですよ。奥山閣は一度御覧になるとお宜しいかと。それは見事なものですから。
それと、これも今はなくなりましたが、佐竹の原の大仏をお造りになった高村の光雲さん、そのお師匠さんの東雲さんのお作も数多く見世にはありました。それを見世に届けに来てくれたのが、まだ小僧さんだったころの光雲さんでしたのよ。みんな火事で燃えてしまいましたが、それはそれは、本当に見事なものでございました。また、何故ってお顔をされて御出でですね。いずれ燃えてなくなってしまう物にも贅を尽くす、それが吉原は佐野槌の張りでございますよ。あなた様が一度だけ上がられた大見世とは違いますでしょう? あらっ、今度は本当に驚いて御出でですね。そりゃ分かりますって。あまり良い思いもなさらなかったんでございましょう? 分かりますとも、これが仲で生まれ育った女の、人を見抜く眼でございます。
浅草と言えば、傳法院にも絵馬が奉納してございますのよ。御覧になられましたか? まあ、もったいない。鈴木其一さんにお願いして、迦陵頻伽を描いていただいた、幅が一間もある、それは大きな絵馬ですよ。吉原の名代として佐野槌が願主になりまして奉納いたしましたの。名代と申しましても、花魁の代わりに新造を出したわけではございませんよ。オホホ、これは、あなた様には少し謎が過ぎましたでしょうか? 鈴木其一さんはご存じですよね? そうです、酒井抱一さんのお弟子さんで、当代一の絵師でした。あれはたしか、後の十三夜の二年前でしたから、天保の辛丑ですね、その年に奉納いたしました。何故、半籬交の佐野槌が吉原の名代になったかと、お尋ねですか。
今ではすっかり名前だけになってしまいました大籬や大見世という言い方は、すでにその頃からいい加減になっておりました。本来は半籬の中見世でありながら総籬にしている見世もあり、細見をよく見ないと分からなくなってきておりました。籬はご存じでございましょう? 張見世と土間口を仕切る格子のことでございます。見世の前にある格子よりは、少しばかり太く拵えてあるのでございます。それが正しい吉原の籬でございますよ。これも今はなくなってしまいましたね。えっ、何故、太さが違うのかって? それは表からは籠の鳥、中からは座敷牢、そう見せるためでございますよ。
仲の多くの見世が、籬だけでも誤魔化そうとして、格式がいい加減になってきましたが、内や幾つかの見世は、昔ながらの籬やお女郎の格を守っていたのでございます。そんな吉原の張りを受け継いでいる見世の名代として、奉納させていただきました。それで、迦陵頻伽を描いて貰いましたんですよ。美しい女の顔を持ち、美しい声で鳴くといわれております、極楽浄土に棲む鳥でございます。その鳴き声と美しさから吉原の花魁にも譬えられておりますのよ。
おや、亭主が帰ってきたようですね。それでは、あたしは中食を拵えに、台所へ引っ込むことに致します。
作品名:佐野槌 -張りの半籬交- 作家名:立花 詢