佐野槌 -張りの半籬交-
仮宅のことを聞きたいって? 仮宅なんざぁ誰だって知ってるだろう。仲が焼けて普請する間、吉原の外で見世をすることだよ。どこで見世をするかは、決まっているんだよ。そうしないとお上の許しが出なかったからね。佐野槌の仮宅はずっと浅草花川戸の山之宿だよ。細見にも出てるよ。深川なんかの方が仮宅は多いんだが、どうも大川を渡るのを親父が嫌がったんだね。茶屋なんかを仮宅の間だけ借りるのが普通なんだが、内は一軒丸々佐野槌として山之宿に建てていたんだ。人を雇って掃除して貰ったり、木場には仲に見世を建て直すだけの材料を一軒分預かって貰っているから、随分と金がかかるんだよ。それで、仲で火事があると、見世のみんなが逃げる先は、その山之宿の仮宅にしてたんだ。そりゃあ、しつこいくらいにお女郎に云って聞かせていたんだよ。あたしが知っているだけでも、十を超える火事にあったけど、内の見世は一人も死んでないよ。江戸の大地震の時でも死んでないんだから、大したもんだろう? それだけ見世は立派に建ててたんだよ。親父の代からの自慢だ。また、少しだけ横道に逸れちまったね。
仲では顔も拝めない花魁と普通に顔を会わせることが出来るから、町場の男衆には仮宅の評判が良いんだよ。特に職人衆はここぞとばかりに仮宅に通ったんだ。何故かって? そりゃ仲だと職人が上がれる見世は限られるからね。中見世より上には職人衆は上がれなかったんだよ。法被を着てるからすぐ分かるし、着ていなくても茶屋で断られるからね。その辺りの話はこの後の人にお聞きよ。あたしよりも詳しいからね。
まあ、火事で見世の台所は苦しかったんだが、女房が遣り繰りしてくれて、贔屓にも助けられたりで、半籬交見世としてちょいと評判も上がってきたんだ。そこへ、天保癸卯の十五夜が巡ってきたんだよ。ちょいと待っとくれよ。今勘定するから……、太陽暦の1843年だ。十五夜ってのは吉原の紋日でね、内みたいに贔屓がついている見世にとっちゃ嬉しい日なんだよ。葉月の十五日は佐川花魁についたご贔屓の旦那が、総揚げしてくれてね。そりゃあ見世中で大騒ぎだったんだ。総揚げは分かるだろう? そうだよ、見世のお女郎全部を買い上げてくれたんだよ。昼夜併せて一人頭一両だから大変な金額なんだけど、さすがは佐川のお客だよ。えっ? 佐川はお職だったのかって? お前さん、それを花魁の前で云うとそっぽ向かれるよ。お職ってのは小見世の云い方だよ。中見世より上ではそんなことは云わないんだよ。そんなことも段々といい加減になっちまうのかね。
この十五夜に上がった客は十三夜にも同じ事をしないといけないのが、廓の法ってわけなんだ。片月見は御法度なんだよ。だから、この旦那は長月の十三夜にも総揚げをしてくれてね。ところがこの年はそれだけじゃ済まないんだ。閏の長月があってね。後の十三夜ってのがあったんだ。都合、総揚げが三回だよ。頭の好い人に聞いたんだが、後の十三夜があるのは珍しいらしいんだってね。なんでも百年以上間が開くみたいなことを云ってたよ。次はいつなんだろうね? おまえさんも頭が良さそうだから、教えておくれよ。なんだい? あたしの話はこれでいいのかい? わかったよ、お前さんのお目当ての人を呼んでくるよ。ちょいと待ってておくれ、その間にあたしは買い出しにでも行ってこようかね。
作品名:佐野槌 -張りの半籬交- 作家名:立花 詢