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第八章 交響曲の旋律と

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1.真白き夜明け−2



 ふわりとした温かな気配を感じ、ハオリュウは目を覚ました。
 瞳を開けて、彼は硬直する。
 鼻先に触れんばかりの位置に、緋色の衣服に包まれた豊かな双丘が迫っていた。あたりには干した草の香が漂い、波打つ黒髪がハオリュウの頬を撫でる。
「あ、すみません。起こしてしまいましたか」
 優しげで、けれど申し訳なさそうな声が、頭上から落ちてきた。見上げれば、絶世の美女が彼に微笑みかけている。
「ミンウェイさん……」
 椅子に座ったまま眠り込んでしまった彼に、彼女が毛布を掛けてくれた、ということらしい。分かってしまえば、なんのこともない話である。
 しかし――、なんとも……強烈な目覚めであった。
 彼は、白い陽射しの窓へと顔をそらし、心を落ち着ける。
 ……彼女が無防備なのは、彼に対する警戒心が皆無であるという証拠に他(ほか)ならない。彼が彼女に寄せる感情は憧憬、あるいは思慕、敬慕の類であって、恋慕ではないのは分かっている。だからといって、妙齢の女性に半人前の扱いを受けるのは承服いたしかねた。
 ハオリュウの顔が、渋面を作る。
「きちんとベッドでお休みになられたほうがいいですよ。お父様には私がついていますから」
 彼の心の内は理解してくれないようであったが、彼女が彼を気遣ってくれているのは伝わってくる。
 父、コウレンがこの屋敷に到着してから、彼はずっと椅子でうつらうつらしながら脇に控えていた。確かに疲れていた。しかし、彼は首を横に振った。
「いえ。目を覚ましたときに僕がそばに居たほうが、父も混乱が少ないでしょうから」
 ルイフォンの話では、コウレンは斑目一族や厳月家のことを口走り、力関係に怯えていたという。ここが、斑目一族とは別の凶賊(ダリジィン)の屋敷だと知ったら、恐慌状態に陥るに違いない。善良なだけが取り柄の、庭師のような男なのだ。みっともなく取り乱すかもしれない。
 ハオリュウは、これ以上、鷹刀一族の人々に迷惑をかけたくなかったし、藤咲家の恥を晒したいとも思わなかった。
 思わず険しい表情になってしまったハオリュウだが、幸運にも、ミンウェイはちょうどコウレンの顔色を見ようと彼に背を向けたところだった。彼女は医者でもあるそうで、具合いを看てくれているようだった。
「そうですね。起きたら見知らぬ場所にいたのでは、お父様も驚かれますね。差し出がましく、すみませんでした」
 彼を振り返り、恐縮したように頭を下げる。そして彼女は「あなたは本当に、お父様思いの優しい方ですね」と微笑んだ。
 その瞬間、ハオリュウの心にさざ波が立った。彼女の目には、彼は父親を心配する孝行息子にしか映っていない――。
「そんなんじゃありません。ただ、僕は父を……」
 見張っているだけだ、と言いそうになり、ハオリュウはぐっとこらえた。
 コウレンは当主としての自覚に欠け、いつも秘書であるハオリュウの伯父に頼ってばかりだ。親族に腰抜け、腑抜けと言われるのも、完全なる誹謗中傷とは言い切れない。
 自分がついていないと不安だ。凶賊(ダリジィン)を前にして、どんな行動を取るか分からない。――そんな言葉を、彼は呑み込んだ。
 ふと気づくと、途中で黙り込む形となってしまった彼の顔を、ミンウェイが気づかしげに覗き込んでいた。
「……なんでもありません」
 彼は、逃げるように目線をそらす。
 ――けれど、その間際で、彼女に闇色の瞳を見られてしまった。
「ハオリュウさん?」
 ミンウェイが不審の声を上げる。
 窓から差し込む光が明るければ明るいほどに、ハオリュウの顔には影が落ちる。不満も運命と受け入れ、ひとりきりで抱え込む。抑圧した感情があふれ出ていた。
 早く出ていってくれと、ハオリュウは願った。けれどミンウェイは、何故か溜め息をついた。
 ふぅ、という息遣いのあとに、干した草の香りが漂う。横を向いたままの彼からは見えなかったが、うつむき加減になった彼女が、落ちてきた髪を払ったのだ。
「――メイシアが言っていたわ。『お父様がのんびりしている分、異母弟がしっかりしている』って。自己紹介みたいな話題のひとつだったから、特に気にしてなかったけど、あれはそんなに軽い意味じゃなかったのね」
 今までとは違う口調。声質は変わらないのに、雰囲気ががらりと変わっている。
「『非捕食者』のあなたが、『捕食者』であろうとしている。……悲しいわ」
「……僕がしっかりしていないと、藤咲家は喰われてしまうんですよ」
 毒を含んだ、乾いたハスキーボイス――。
 たゆんだ糸なら、どんな言葉も聞き流せただろう。けれど張り詰めた糸であるハオリュウは、載せられた言葉を強く弾き返した。
「そうね。そうかもしれない」
 ミンウェイは否定しなかった。さっきまでの彼女だったら、優しい慰めの言葉を掛けてくれたであろうに。
 こちらが本当の彼女なのだと、ハオリュウは悟る。落胆している自分自身に、彼は年上の女性に甘えたかっただけ――褒められ、認められたかっただけだという、なんとも情けない本心を暴(あば)かれた。
 半人前扱いされて当然の、子供だった。
 彼が自己嫌悪に奥歯を噛みしめたとき、「でも――」という彼女の声が続く。
「――今は、あなたは鷹刀と手を組んでいるのよ。少しだけ、気を楽にしていいわ」
「……え?」
 ハオリュウは耳を疑い、思わず彼女の顔を見上げた。
 ミンウェイは、すらりと背を伸ばし、胸を張っていた。けれど、それは自信に満ちあふれた姿とは違う。切れ長の瞳には陰りがあった。
「結局は自分で解決するしかないことでも、誰かがそばに居るだけで冷静さを失わずにすむ。これは大きいわ」
 そう言って、彼女は穏やかに笑う。その言葉の裏には、〈蝿(ムスカ)〉の〈影〉たちと対峙したとき支えてくれた、シュアンの存在があった。
 勿論、ハオリュウはそのことを知らない。ただ、彼女がそっと寄り添ってくれたのだと気づいた。――おそらく彼女もまた、悲しい『捕食者』なのだ、と。
「……ミンウェイさん、聞いてくれますか?」
 ためらいがちに、ハオリュウは口を開いた。
 ミンウェイは少しだけ驚いたように、目を瞬かせる。けれど、何を、とは聞き返さずに、ただ短く「ええ」とだけ答えた。
「僕は――父とは決して仲がよいわけではありません」
『僕と父』の仲、ではない。『僕』だ。
「父は血統だけで当主になりました。けれど、息子の僕は違うんです。努力しなければ認められない。それを父は理解していない。なのに無邪気に『君がいれば安心だ』と言うんです。嬉しそうに」
 ミンウェイは、ハオリュウの話の邪魔にならないように、そっと近くにあった椅子を引き寄せた。コウレンが運び込まれたときに、メイシアが座っていた椅子だ。
 彼女は音もなくそれに座り、彼と目線を合わせる。わずかな草の香りだけが、彼の言葉にかぶさった。
「父は本当に、ごくごく普通の人間で――今だって僕は、目覚めた父が取り乱したり、鷹刀一族の人たちに失礼なことを言ったりしないか、恐れています。僕は、まったく父を信用していない」
作品名:第八章 交響曲の旋律と 作家名:NaN