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第八章 交響曲の旋律と

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9.蒼天への転調−3



 屋敷をぐるりと囲む高い外壁が、重圧感を持ってそびえ立つ。硬い煉瓦の質感は天まで続き、その先には青く澄んだ空が広がっていた。
 昨日とはまるで違う穏やかな陽射しの中で、門衛たちは今日も鉄格子の門を守る。
 ここ数日、貴族(シャトーア)の娘が現れてからというもの、近年に類を見ないほどの騒動が続いていた。しかし振り返ってみれば、鷹刀一族には、なんの被害もなく、仕掛けてきた斑目一族のほうが大きく力を削がれたという――。
 下っ端である門衛たちには、にわかには信じられないが、上の者たちがそうだと言うのなら、きっとそうなのだろう。
 しかし、この快挙に大きく貢献したルイフォンが、屋敷を出ていってしまった。
 引き取られた当初は、傍系だと軽んじられたものだが、持ち前の性格と頭脳で、彼はすぐに皆に愛される存在となった。凶賊(ダリジィン)、使用人を問わず、彼を弟のように、あるいは我が子のように可愛がっていた。
 この門衛たちも例外ではなく――だから彼らの心は、火が消えたようにどこか空虚なのである。
 門衛たちは、誰からともなく溜め息をつく……。
 ――こうして彼らが、のどかで穏やかなだけの寂寥感を享受していたとき。
 ふと。
 遠くから、人影が近づいてきた。
 門衛たちは、まさかと目を見張る。
 決してひ弱ではないけれど、少年らしさの残る細身の体躯。やや前のめりの、猫背で特徴のある歩き方……。
「ルイフォン様……?」
 傍らに、花のような美少女を連れている。いわずもがな、彼を追いかけていった貴族(シャトーア)の娘、メイシアだ。
 門衛たちは肩を叩き合い、叫び、喜び、慌てて執務室に連絡を入れる。
 そうこうしているうちに、ルイフォンとメイシアが到着した。
 そして――。
「ただいま」
 抜けるような青空の笑顔で、ふたりが笑った。


 ルイフォンがメイシアを伴い、屋敷へと続く長い石畳を歩いていると、玄関扉が勢いよく開かれた。
 ひとりの男が、血相を変えて飛び出してくる。肩までの、さらさらとした黒髪は乱れ、黄金比の美貌には複雑な色合いが浮かんでいた。
「ルイフォン……!」
「よぅ、リュイセン」
 ルイフォンが、軽く手を上げる。
 年上の甥にして、兄貴分。次期総帥エルファンの次男であり、一族を抜けた長兄に代わり、いずれは総帥位に就く後継者――リュイセンだった。
「何故、戻ってきた?」
 険もあらわに、リュイセンの静かな低音が響く。斬り裂くような眼光に、メイシアが、びくりと震えた。
 ルイフォンは、彼女を庇うように一歩前に出て、リュイセンとまっすぐに向き合う。
「親父やエルファンは黙認してくれても、お前だけは怒っていると思っていたよ」
 言葉の内容とは裏腹に、ルイフォンは臆することなく、堂々と胸を張る。
「俺は『責任を取る』という言葉で飾って、自分を正当化して屋敷を出た。けど、それは結局『逃げ』に過ぎなかった。――お前は、見抜いていたんだろう?」
 軽く顎を上げてルイフォンが尋ねると、リュイセンは黒髪を肩で滑らせ「ああ」と頷いた。
 予想通りの返答に、ルイフォンは小さく息を吐く。
「だから、卑怯者の俺を、お前は許さない。違うか?」
「お前をとっ捕まえて、『投げ出すな』と殴り倒して連れ戻そうかと思ったぞ」
 長身から落とされる冷酷な声には、明らかな憤りを含まれていた。しかし、決して荒立つことはなく、祖父や父にそっくりの魅惑の艶(つや)を保っている。
 ――と。リュイセンの目線が、すっと動き、メイシアを示す。そこには敵意はなく、むしろ敬意に近いものがあった。
「けど俺よりも先に、そいつが、お前に逢いたいという一心だけで追いかけていった。そしたら、俺の出る幕ではないだろう。お前が出ていったことについては、俺は何も言わん」
「リュイセン……」
 ルイフォンが兄貴分の名を呟く。
 リュイセンは、再びルイフォンに視線を戻した。
「だが、何故、戻ってきた? 一度、一族を出た人間を簡単に受け入れるほど、鷹刀は軽い場所ではないはずだ」
 厳しい顔でそう言ったものの、それは嘘だと、リュイセンにも分かっている。
 一族の者たちの大半は、帰ってきたルイフォンを諸手を上げて歓迎するだろう。貴族(シャトーア)ではあるが、ルイフォンを一途に想うメイシアも好意的に受け止められている。
 リュイセンとて、弟分の帰還は嬉しい。
 母親を亡くしたルイフォンを、この屋敷に連れてきたのは他でもない、リュイセンなのだ。
 ルイフォンがいれば、心強い。そう思わせる何かがある。祖父のイーレオが、たびたび口にする『人を魅了する人間』という戯言(たわごと)も、あながち嘘でもないとさえ思える。
 だからこそリュイセンは、この弟分には道理を通してほしいと思うのだ。
「お前は身勝手だ」
 低い声が、深く轟いた。
 ふたりの間を、微妙な空気が流れる。
 決して、険悪というわけではない。いがみ合っているわけでも、そしり合っているわけでもない。
 ルイフォンは、リュイセンの言葉に逆らわなかった。「ああ、俺は身勝手だ」と、言われたことを繰り返す。
「四年前、俺がこの屋敷に受け入れられたのは、俺が親父の血を引いた血族だからだ。そして、俺は一度出ていった。――だから今度は、一個人の俺として、改めて、この屋敷に居ることを認められたい」
 どことなく癖のある、彼らしい特徴的な表情が抜け落ちる。鋭く無機質な顔が、ルイフォンの本気を物語っていた。
 リュイセンの目が、冷徹な光を帯びた。
「なら他所者として、直系の俺と勝負しろ。お前に見どころがあると認められれば取り立て、後ろ盾になってやる」
 だがそれは、認められなければ、金輪際、鷹刀一族の敷地に足踏み入れるな、ということだ。
「分かった。それで構わねぇぜ」
 ルイフォンは、挑戦的に口角を上げた。
 リュイセンが庭を指し、場を移そうと促す。そこでは、すっかり花を落とした桜の大樹が、芽吹き始めた若葉を枝いっぱいに抱えていた。


 足首を慣らすように芝を踏むと、青い香りが漂う。
 すぐ後ろでは、メイシアが胸元のペンダントを握りしめていた。不安げな面持ちでルイフォンを見つめているが、無駄な気休めは口にしない。ただ、すべてを見届けようと、黒曜石の瞳に瞬きひとつ、許さなかった。
 ルイフォンは振り返り、メイシアの黒髪をくしゃりと撫でた。
 それだけで、彼女の顔がぱっと花咲く。呼吸が緊張から解放され、柔らかく緩んだ。
『信じている』と、彼女は無言で彼を見上げた。だから彼は、『任せろ』と目を細めた。
 ルイフォンは上着を脱ぎ、メイシアに手渡す。シャツ一枚の軽装でリュイセンと向き合い、手首を返して示した。
「この通り、暗器は持っていない。その代わり、お前も刀はなしだ」
「いいだろう」
 細身の体躯ゆえ、腕力に限界のあるルイフォンは、長い刀を扱えない。だが、身の軽さなら、リュイセンを上回る。
 彼は落ち着いた様子で、体をほぐす。軽く跳躍すると、背中で金色の鈴が跳ねた。
「行くぞ!」
 ルイフォンが鋭い声を上げ、リュイセンに迫った。
 後ろに大きく引いた右拳を、体のひねりを使いながら思い切り振るう。
作品名:第八章 交響曲の旋律と 作家名:NaN