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第八章 交響曲の旋律と

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 ハオリュウが、余裕の笑みを浮かべる。初対面のとき、彼と舌戦を繰り広げた経験を持つエルファンは、興味深げに口の端を上げた。
「何故、そう断言できる?」
「ルイフォンひとりなら、彼は自分を貫いて、決して戻ってこないでしょう。……けれど、異母姉が一緒ですから、彼は戻らざるを得ないんですよ」
「ほう? どういうことだ?」
 含み笑いのハオリュウに、エルファンは苛立つよりも心が躍る。
「彼は、異母姉の幸せを望むはずだから。――駆け落ちみたいに、こそこそと、ふたりきりでいるよりも、堂々と皆に認められることを、彼なら選ぶはずだからですよ」
「なるほどな」
 エルファンが呟いた、ちょうどそのとき。慌てた様子の門衛から、連絡が入った。


 閉め切られた地下の一室は熱気であふれ、蜃気楼すら見えそうなほどに空気が揺らいでいた。
 ちりちりと肌が焼けつくような感覚を覚え、〈蝿(ムスカ)〉は頬を引きつらせる。しかし、熱の発生源であるホンシュアは、その比ではなかった。羽のような光の糸を放出したまま、苦しげにベッドに横たわり、全身から玉の汗を噴き出していた。
「あのとき冷却剤を飲んだなら、熱暴走は収まっているはずなんですけどね。――何か、余計なことをしましたね?」
 ホンシュアのベッドに近づき、〈蝿(ムスカ)〉は冷たい声を落とす。平静を保っているが、サングラスで隠した瞳は激しく苛立っていた。
「たわい、ない……ことよ」
 熱い息を吐きながら、途切れ途切れにホンシュアが言う。
「何を言っているんですか。あなたが命を懸けるほどのことが、『たわいない』はずないでしょう?」
「心配、しなくて……大丈夫よ。別に、あなたの邪魔……していないわ。あなたの……機嫌、そこねて……協力、してもらえなく……なったら、困るもの」
〈蝿(ムスカ)〉は、眉を寄せた。
 他の〈天使〉は従順な道具だったのに、ホンシュアだけは〈蛇(サーペンス)〉という『中身』が入っていた。
 〈蛇(サーペンス)〉の正体は不明。だが、恐ろしく頭が切れる。
「誰に、何をしたんですか? ――私の協力を失いたくないのなら、言えますよね?」
 詰め寄る〈蝿(ムスカ)〉に、ホンシュアは少しだけ思案顔を作り、やがてゆっくりと口を開く。
「〈影〉にされた、あの貴族(シャトーア)……藤咲コウレンに。記憶(データ)の、修復(リペア)を……試みたわ」
「馬鹿な。〈影〉は、決して元に戻らないはずでしょう?」
〈蝿(ムスカ)〉は、〈天使〉に関しては門外漢だが、〈七つの大罪〉の〈悪魔〉として、そのくらいのことは知っている。
「少し、違うわ。上書き、前の……複製(バックアップ)が、あれば……回復(リカバリ)、できる」
「ほぅ、そんなことが……?」
 初めて聞く話に〈蝿(ムスカ)〉はやや驚くが、あり得ない話ではないと思い直す。
「――しかし、いつ複製(バックアップ)をとったのですか? 藤咲コウレンの記憶を上書きしたのは、あなたではなく他の〈天使〉でしたよね? あなたは、〈影〉になる前の彼とは接触していないはずです」
 人目を盗んで動き回ったのかと、サングラスの奥からホンシュアを睨みつける。
 だが、ホンシュアは目を伏せて「完全な、複製(バックアップ)は……ないわ」と、首を振った。
「……でも、藤咲コウレンの、脳は……並の人間よりも、容量(キャパシティ)が、大きいの。……だから、上書き、されてない……深層の記憶域、あったのよ。その記憶(データ)を、かき集めた」
「容量(キャパシティ)が、大きい――?」
「だって、彼は……王族(フェイラ)の血、濃いもの。母親が、降嫁した……元王女」
「――なるほど」
 貴族(シャトーア)なら、王族(フェイラ)の血を引いていても不思議ではない。
「それで、藤咲コウレンは元に戻ったというのですか?」
「さすがに……無理よ。私に、できたのは……死ぬ間際……極限状態のとき、戻る……だけ。喩えれば、走馬灯。ほんの一瞬、ふわっと……浮かんで、消えるだけ」
 それを聞いて、〈蝿(ムスカ)〉は、大きく息を吐きだした。
「それでは、あなたは、まったく意味のないことをしたわけですね?」
 駒にした貴族(シャトーア)が元に戻るのが、死ぬ間際というのなら、それは〈蝿(ムスカ)〉にはどうでもいい。確かに、『たわいない』ことだ。
 それよりも問題は、ホンシュアの熱暴走が止まらなくなってしまったことだ。
「勝手に〈天使〉の力を使わないでください。あなたは、私に与えられた最後の〈天使〉です。壊れてしまっては困るんですよ」
〈蝿(ムスカ)〉にしては珍しく、余裕なく声を荒らげる。
 それだけ、ホンシュアの状態はよくなかった。それは〈蝿(ムスカ)〉が、〈天使〉の持つ『人間の脳に介入する技術』を利用できなくなることを意味していた。
 ホンシュアは口角を吊り上げ、声もなく笑う。
「あなたは……寂しい人ね。あなたも、また……『私』に利用されている、だけ」
 その言葉に、〈蝿(ムスカ)〉は、かっと頭に血が上った。正体を隠したまま、彼を顎で使おうとする『〈蛇(サーペンス)〉』を、彼はいまいましく思っていた。
「あなたの本体は何処にいて、何を企んでいるんですか?」
 しかし、ホンシュアは答えない。〈蝿(ムスカ)〉は、小さく舌打ちをする。
「『デヴァイン・シンフォニア計画(プログラム)』とはなんですか? 『神の交響曲』などと、ふざけた名前を……!」
『デヴァイン・シンフォニア』――直訳すれば、『神の交響曲』。
『神』という言葉が『王』を意味するこの国で、わざわざ『神』と冠するからには、それなりの含みがあるはずなのだ。
 ホンシュアは、にやりと妖艶に笑う。高圧的な〈蝿(ムスカ)〉を翻弄していることが、愉快でたまらないというように。
 白い素肌は、汗でじっとりと濡れていた。
 ひと房の黒髪が、首筋から胸元にかけて張り付き、彼女が熱い息を吐くのに併せて艶(なま)めかしく蠢(うごめ)く。
「『デヴァイン・シンフォニア』は、『di;vine+sin;fonia』よ。……『di』は、『ふたつ』を意味する接頭辞。『vine』は、『蔓(つる)』。……つまり、『ふたつの蔓(つる)』――転じて、『二重螺旋』『DNAの立体構造』――『命』。『sin』は『罪』。……『fonia』は、ただの語呂合わせ。つまり、これは……『罪』」
「――『罪』……?」
「『デヴァイン・シンフォニア計画(プログラム)』は……『命に対する冒涜』……って、ことよ」
 体の内部から溶け出しそうなほどの高熱を出しながら、ホンシュアが言ったことは、〈七つの大罪〉の〈悪魔〉にとっては当然のようなことだった。〈蝿(ムスカ)〉は落胆し、不快げに鼻を鳴らす。
 彼は、黙って懐から冷却剤を取り出した。ホンシュアの顎を上げさせ、強引に飲ませる。――いつもの量では効かないだろうから、その倍の量を。それでも、どうなるか分からない。
 斑目一族は経済的に追い詰められていたが、〈蝿(ムスカ)〉もまた追い詰められていた。
 彼女の喉が、こくりと嚥下(えんげ)したのを確認すると、〈蝿(ムスカ)〉は「あとで様子を見に来ます」と言って、大股に部屋を出ていった。
作品名:第八章 交響曲の旋律と 作家名:NaN